王道が脇道に見えてきたこと
ミルクさんの短歌を知り、ミルクさんとのやりとり(※数は少ないですが)をするうちに自分の中で化学変化に近いような価値基準の転換が起こりました。
「自分ごと」や「自己愛」に絡めたものしか歌にすることができないと思っていた今までと正反対の姿勢で短歌を作ったり読むようになったのです。
それまでスタンダードとされてきた先人達の短歌も、冷静に旧仮名を新仮名に変換したり、読み辛い漢字や言葉をわかりやすい表現に置き換えて読み直してみれば、もうその殆どが他愛ない日記のような自分ごと、自分語りに終始していることがわかります。
「自分に向く意識」を目の敵のように嫌うミルクさんの気持ちが、ほんの少しわかったような気がして、まるで短歌はこの全体の総意のような(自意識過剰病)に侵されているのではないかと考えました。絶対的な何かが存在するわけでも無く、問答無用のルールがあるわけでも無く、確固たるポリシーがあるわけでもなく、お仲間内だけで選んだり決めたり作ったり、「まぁまぁ、仲良くやって短歌を盛り上げましょう!」なんていう調子でしょうか。
短歌について私の中で明確になっていない事柄についての答えや考えを誰一人明らかにしてくれた人がいなかったのですが、唯一ミルクさんだけが全ての問いに明確に答えて下さいました。
・短歌とは?
・歌意はどちらにあるのか?
・良い短歌、悪い短歌とは?
※ミルクさんは良い悪いということを、残る短歌、残らない短歌と例えられました。
・学ぶ上で何を目指すべきなのか?
答えが得られたことにまず驚きましたが、それらはまるで歌壇の重鎮が口にするような、地に足のついた、歌のあるべき姿を追求して止まない姿勢に溢れていました。
ただ歌を作るだけではダメで、その中に悟りや気付きが必要だともおっしゃっています。
受け止め方や感情にバイアスを与えてしまうから、旧仮名や傷病辛苦の歌では公正な評価の対象にならないとか、短縮形や抜き言葉を使わずに丁寧な表現を心がけろとか、おかしなことは何一つありません。至極真っ当なことばかりです。
なぜプロの歌人の言葉や、多くの短歌を学んでいる人達から同じような答えが聞けないのか不思議でなりませんが、そのような現実がくだらない歌の氾濫を招いている元凶なのかもしれません。
ミルクさんは誰にでも見える旗を掲げてくれています。
曖昧ではない、はっきりとした目印です。初心者の私にはそれが唯一最大の救いとなりました。おかげで今ははっきりとその旗までの一本道が視界のど真ん中にあります。
「うたよみん」に投稿されている中のいかにもミルクさんらしい一首が光ります。
・ 言い過ぎと言い足りなさの真ん中は卵の殻を割る加減かな
ミルクさんはご自身でまだはじめて4~5年の素人だとおっしゃっています。
素人に”ど”が5個くらいつく私が言うのもなんですが、素人でこのレベルって、いったいプロはどのくらい高い意識で作歌しているのだろうと、気が遠くなります。
けれども私の中では「ミルクさん」がひとつの大きな基準であり物差しになりました。
王道が脇道に見えてきた以上、一体どちらが裸の王様なのかを見極めたいと思いはじめたのです。
ミルクさん 短歌のリズムで https://rhythm57577.blog.shinobi.jp/