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ゴムが伸びきったスウェットパンツ

SNSのおかげで短歌のハードルが低くなって、恥ずかしくて表向きには言えないけれど短歌を作ったり読んだりしている絶対数が多くなりました。
この場所、noteで少し検索してみますと、(2021 9/6時点)
短歌 記事:50682件 アーティスト:1523件
俳句 記事:36774件 アーティスト:715件
ちなみに
作詞作曲 記事:34387件 アーティスト:890件
と、とても短歌に興味のある人が多いことがわかります。

それでも世間一般では圧倒的に俳句の方が知名度が高いと思いますし、
短歌を詠んでいる人を探すよりも、ストリートミュージシャンを探す方が簡単だと思います。

ある歌集のレビューに「短歌は履歴書用紙だ」という言葉がありました。
それなりに枠を埋めようと思えば誰でも埋められるからだというのです。
確かにその通りです。誰にでも何らかの生い立ちは書けると思います。ただ枠を埋めるということを作歌だと勘違いしている人が多くいると思いますが、枠を埋めることが作歌なのではなく、埋められた内容から何が浮かび上がるのかということが重要なのであって音を合わせて報連相のようなことを書いたとしても永遠に真似事から先へは行けないのでしょう。

実は短歌というスウェットパンツのゴムはもう伸びきってしまって、だから誰にも相手にされないのかもしれないのです。

「こんなものでいいか」と思っていた私も、もしミルクさんの厳しい指摘に出会わなければユルユルのスウェットを履いたまま続けていたのかもしれません。おそらく誰の心にも届かない、刺さらない、自分勝手で自分大好きな自己愛の権化になって、くだらない歌を撒き散らしていることでしょう。誰かに短歌を勉強しているなんて絶対に言えないままこっそりと続けているかもしれません。

「自分の短歌を家に貼って飾れますか?」とミルクさんは問われました。

さすがにまだ自分の短歌は貼れませんが、少しだけ気に入ったミルクさんの短歌を貼ってみました。最初はハテナ?だった家族も、今は興味津々で見ています。繰り返し繰り返し、何百回も何千回も目にして読まれても、朽ちない凄さを感じているのだと思います。
※余談ですが、ミルクさんの短歌を掲示するに伴って、「武者小路実篤」と「相田みつを」が取り外されました。もちろん苦情など一切ありませんでした。

何でもそうだと思いますが、ある種の厳しさや制約を経なければ産まれないものがあるはずです。ただ欲望のままに作り、吐き出す短歌では二度と読まれることなどないでしょう。

家族とミルクさんの短歌について話すとき、小さな気付きについて話すとき、言葉にはできないような豊かさを感じています。それは誰の日常にもあるはずなのに、小さなきっかけを見失ってばかりいたことに驚きながら、皆で感心しているのです。

ミルクさんのスウェットはガッチガチの皮ベルトかもしれません。
あるいは硬い麻縄か、ひょっとすると鉄の鎖なのかも・・・・。
けれど短歌は温かく、そこに少しだけ愛が潜んでいるのです。

ミルクさん 短歌のリズムで  https://rhythm57577.blog.shinobi.jp/