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私の好きなミルクさんの歌 010

この歌は「心の景色」シリーズの中の一首で、私は勝手に初恋を詠った傑作だと思っています。

・美しい紋様だから触れられず君は節度の繭に消えゆく

もう恋愛映画のワンシーンのような、なんて素敵な響きでしょう。
初めてこの歌を読んだとき、30分ほどじっと浸って動けませんでした。
幾度も幾度も繰り返し読んで、この美しい調べに込められたミルクさんの狙いを理解できてからは更にこの歌が好きになり、他の歌同様に手放せない一首となりました。

詠っているのは作者側からなのですが、ミルクさんは作者自身の心情と相手側「君」の心情を推し量った内容のどちらにも読み取れる解釈の幅を持たせています。
最低限の「君」しか登場させないことで、「触れられず」と「消えゆく」、そして「節度の繭」という核心を自分と「君」との両方に使える仕掛けにされたのだと思います。

自分の心情側では
ただただ美しく輝く君に話しかけることもせず、眺めていることすら躊躇ってしまう、それはまるで禁忌の存在のように見えて、いっそもう見えなくなってしまった方がこの心の荒天がおさまるような気がしている。羽化しないまま、見えないままの繭の中に君を仕舞い込んでこの恋は終わってゆくのだ。

「君」の心情の推察と捉えれば
それは君にとって劇薬かそれとも他に人知れず深刻な理由があるのか、相手に向けている愛情が空回りして誤解されるほど距離をとって接している。想いが純粋で真っ直ぐなほど相手と自分の距離を意識しすぎて怖くなるばかりなのだろう。若いということだけでは越えられない、傷つき傷つける事への恐れが君を安全地帯に留まらせているようだ。
はみ出さない君はまるで手触りの良い繭肌のように押し黙ったままで、静かに描いた落書きを消してゆくように恋を終わらせてしまった。

私なりに勝手に妄想した二つの物語ですが、ミルクさんの狙いにそう遠くはないと思っています。
とにかくこんなにも少ない文字数の中にこれだけの物語を押し込める、しかも美しい言葉と響きで流れるように詠う、私には神業にも思える短歌です。羽化したものを繭に戻すという超ウルトラCともいえる発想ですが、人が想いを巡らせる時に過去の時間へと遡っていく状態と見事にリンクしているではありませんか。
ほんとうにどうすればこんな歌が作れるのか、とても素人の私の考察が及ぶ範囲ではありませんが、一つ一つのフレーズが刻まれるように心に染み込んでいきます。

具体的にフォーカスが合っているものは「繭」だけで、「美しい紋様」も「節度」も曖昧の霧の中にありますがそれでも十分過ぎるくらいの説得力や現実感があります。
きっかけというか発想のスタートはきっと小さな発見だったと思うのですが、ミルクさんの歌になった途端にすべての人の脳裏に映像を映し出す迫力を持つのですから、言葉の選択や構成に関する考察が如何に大切かがよく解ります。

初めて読んだ衝撃から数日後、私はミルクさんの本当の狙いに気付きます。
実はこの歌は与謝野晶子自己愛信奉を叩きつぶすがごとく放たれた、凄まじい一首であったのです。

・柔肌の熱き血潮に触れもみで悲しからずや道を説く君

 与謝野晶子 「みだれ髪」

殆どの人が知っている与謝野晶子を代表する歌です。ミルクさん曰く諸悪の根源である、「自分大好き症候群」を代表する歌でもあると言えます。
自分が好きすぎて、自分にばかりベクトルが向いていて、結局それが歌の世界を小さな所に押し込めているという問題点を常に孕んでいることを、ミルクさんは事あるごとに指摘されていました。

ミルクさんの歌は、まるでこの問題に対するアンサーであるかのように、絶妙の距離感で詠われています。
明らかに狙っていて、「君はなぜこういう風に詠めないのだ?」とすら言われているように感じるのです。しかも圧倒しています。私のジャッジはもう100対0です。
さんざんミルクさんがおっしゃられてきた、「自己愛の悪魔」にまつわる論説が結晶化したような、鋭くて的確で、深い奥行きをもった歌になっているのです。

「触れもしないで」「触れられず」「柔肌の熱き血潮」「美しい紋様」 、すべて細かく計算されています。
考えていてだんだん恐ろしくなってきました。(笑)

この歌も私の短歌の目標とも言える頂になりました。
短歌への価値観が一変した、凄まじい歌との出会いになったのです。

ミルクさん 短歌のリズムで  https://rhythm57577.blog.shinobi.jp/