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15歳の娘が、とうとう旅立ってしまった。 バレエ留学のために。 経由地のスイス、チューリッヒ空港からLINEがあった。 心配していた飛行機の乗り継ぎも、無事にできたようだ。 だがしかし――。 「英語が全然通じない!何を言ってるのかもわからない!」 いくらドイツ語圏といっても、まだ乗り継ぎ地の空港である。 英語は通じるはずと思っていたが、 「『ウォーター』ですら伝わらなかった」 これには本人もかなり打ちのめされた様子だった。 娘は4歳のとき、アルファベットを書きた
もともと、私は、小学校の他にも居場所やコミュニティのようなものが子供たちにできればいいなと思っていた。 毎日通って、長時間同じ空間いる「学校」という場所だけでは、居心地の悪さを感じる時期は多かれ少なかれ出てくるだろう。 そんな時に、逃げ場や息抜きの場所があるといいなと思っていた。 だから、年中や年長くらいになって子供が興味を持ったり、「これをやってみたい」と言い出したらすぐに動いて、好きなことや楽しく続けられることを見つけてあげたいと思っていた。 娘は、いきなり習いたいと
トウシューズを手にした娘は、「どうしたらもっと綺麗に立てるんだろう」「痛みを少なくできるのかな」と9歳なりに考え始めた。 すると、自然と先にトウシューズを履いているお姉さんたちを観察し、踊り方や体の使い方に注目するようになった。 これまでとは違った視点で、少しずつ「上手くなりたい」と自発的に考え、レッスンへの向き合い方が変わっていったように見えた。 なかでも、自分に似た体型や踊り方をするお姉さんに目標を定め、その人の立ち姿や動きを真似るようになった。 練習量や、自分と違う
トウシューズを得てからの初めての発表会は今までと違っていた。 まず、親の負担。 金銭的負担だけでなく時間拘束。 どうも、期待をかけてる子や先生と気の合いそうな親を役員に指名しているようだった。 役員になると衣装の手配、ゲストダンサーのお世話、舞台スタッフさんへのお世話、子供達のメイク、当日の受付など、各係のリーダー的役割をしなければならず、本番の何日(何ヶ月?)も前から準備に取り掛からねばならない。 フルタイムで仕事をしていると確実に仕事に支障が出る。 私も突然 指名され
娘がバレエを習うまで知らなかったこと、それは 「ムシ」をつけるという作業だ。 発表会などで各自に配られる衣装は そのまま着れるわけではなく「ムシ」というものを各自でつけなければならない。 「ムシ」とは、カギホックの「受け」の部分。ホックをひっかけて止める部分だ。 これを各自のサイズに合わせて きつめの位置につけるのだ。 1着につき、だいたい3〜5カ所くらいつけなければならない。 もちろん、子供が小さいうちは自分でつけられないので親の仕事となる。 本番までにも衣装を着て練習を
「外国人と並ぶと消えそうなくらい顔うっすいもん。みんなほんとうに美しくてさ、そんな中でレッスン受けてる私えらくない?」 「筋トレで疲れすぎて座ってるのも辛いから、ずっと足を上にして寝てる。9時まで起きてたらいい方、8時半にはもう無理って感じ。いつも早く寝てる笑」 こんなメッセージが届いたのは、渡独から2週間ほど経った頃だった。 学校生活も本格的に始まり、クラシック、モダン、コンテンポラリー 、ピラティス、インプロ(即興)のレッスン、そして解剖学や栄養学などの座学に加え、不
この学校の卒業までは3年間が必要。 実技だけでなく座学もレベルに達しないと進級できず、退学となる場合があるらしい。目下の課題は2年生への進級を果たすことだ。 入学前は、この学校に通いながら志望していた学校や有名校を再受験して転校することも選択肢として考えていた。 しかし、入学して2ヶ月が過ぎる頃には、娘はこう言った。 「ドイツの他の私立に転校するくらいなら、今の学校のままでいいかなって思うようになった。」 クラシックバレエの先生が非常に良い先生で、この先生の指導を受け
渡独前に「食事は冷凍食品や出来合いのものでしのげばいい。 ちゃんとしようとするのは落ち着いてからでいいよ」と言って送り出した。 いきなり言葉もわからない国での初めての一人暮らしだ。 とにかく生活でいっぱいいっぱいになってしまうことを懸念していた。 掃除も「休みの日にまとめてやればいい。生活のあれやこれやは、慣れてから徐々にできるようにしていけばいいから無理せず自分のペースでね」と伝えていたのだが……。 学校が始まって2日目のLINEのやりとりがこれだ。 母「お昼ごはんは
留学して2ヶ月が過ぎた頃、娘からLINEが届いた。 「自炊してるけど、間食もしてるし、パン屋さんでケーキも買ってる。 でも意識して生活してただけで、ドイツに来てから1.5キロ痩せたよ!健康的な食生活って大事だね!」 映像で見ると、確かに娘の顔が少しシャープになり、筋肉質な体もやつれた感じではなく引き締まっている。 すんばらしい!えらい!すごいよ! と、褒めながらも、ふと我に返る。 あれ? 中学までをせっせと育てていた母の立場は? せ、切ない。 こんな切ないことがあろ
食べることだけが唯一の楽しみなのに 私から食べる幸せを奪わないでっ きっかけは味覚障害。 うーむ。 そもそも娘の「偏食」は、好きなものしか食べたくないという、ある意味「食」への執着だったのだな。 ドイツに行ってその「食」を趣味にして、いままで避けていた食材もチャレンジして楽しむことで、初めての海外生活、一人暮らし、言葉の壁、ぜんぶ頑張ってのりこなしてきたのだ。 それが、風邪で味覚がなくなったことで一気に崩れた。 なんとも娘らしいといえば娘らしい。 でもごめん、 ちょっと
ホームシック?という名の憂鬱ゾーンを抜けたら、 また料理熱が再加熱して、元のやる気と行動が伴った娘に戻った。 やはり良い食事はココロも元気になりますのね。 そして、開き直ったのだ。 行きたい場所や、やってみたいことがあれば、1人でどんどん行動するようになった。 日本人の留学生に対しても、仲良くしなくちゃとか、気を遣うことがなくなったので、いい距離感で付き合えるようになったのだと思う。 いい意味で吹っ切れた。 1人で行動すると、必然的に店員さんにも自分の言葉で話さなければ
2年に進級する前に、校長面談があるらしい。 生徒一人ひとりの目標や希望する進路などを聞いてアドバイスされたりクラス分け反映されたりするようだ。 娘はこの面談でちゃんと自分の目標や意向を伝えるために、事前にいいたいことを英訳したメモを用意していた。通訳を用意する子もいるらしい。 1年この学校に通い、いろんなダンスも勉強して、改めてクラシックが好きだということを認識した娘。 ただ、コンテンポラリーの評価が高かったので、将来、何処かのバレエ団にクラシックではとってもらえなくてもコ