ひろゆき氏の宿題代行がOKな一つの理由から見る教育の本質
ひろゆき氏が宿題代行について「OKな理由がひとつある」とのことで、ネットニュースで取り挙げられていることに本誌は注目した。
宿題代行がOKな一つの理由
ひろゆき氏は、
「宿題代行もそうだが、親が依頼・注文している事に対して、僕が親なら反対です。宿題だけに限った話ではないですが、金銭で問題を解決する癖をつけるのがよくありません。」
「でも、子どもが自力で宿題をやってくれる人を見つけてくる……これは「自分の力で問題を解決した」と僕は思うんです。」
「漢字をひたすら1ページ書かせる意味のない宿題をやらせる大人を、子どもが翻弄できるならば、それはそれで良くないですかね? 僕は、嘘も方便と思ってしまうわけです。」
と語る。
教育の目指すべき視点
ひろゆき氏が語る言葉の中の本質を見つけるためのキーワードは「自分の力で問題を解決した」と言う言葉にあると考察する。
彼が語りたかった本質とは、教育とは「問題を解決する力を養うこと」であり、「考える力」を磨いていく事であると言うことではないでしょうか。
そのために、学問を通して一般的な基礎知識を養うことも確かに重要ではあるが、「答えがある問題を解くこと」だけではなく、「答えがない問題を解くこと」も必要であり、教育として学ばせる必要があると言っているのではないでしょうか。
それが彼の本心であり、子供たちに必要な教育であると言っているのではないかと考察しています。
そして、そこで培った「考える力」が、学ばされることを抜け出し、学びに行く力になると言うことなのではないだろうか。
考える力とは何だろうか
そもそも「考える力」とは何だろうか。たまにふと思うことがある。
どんな問題でも解く力、どんな質問でも答える力、クイズ・謎解きを解く力?色々と考えるがいまいちピンと来ない事が多い。
しかし、なんとなくこうだろうと思う答えがある。
それは、ひろゆき氏の発言の一文を抜粋して説明すると、
「でも、子どもが自力で宿題をやってくれる人を見つけてくる……これは「自分の力で問題を解決した」と僕は思うんです。」
上記の発言に矛盾を感じてならない。それは屁理屈なのかもしれない。
この発言で注目していただきたいのが、「宿題」と言う言葉。
この宿題を「宿題」と言う事象・事柄(?)として捉えるのか、「宿題の中身(問題)」を「宿題」として捉えるのかで、「自分の力で問題を解決した」と言う言葉に矛盾が生じると思わないだろうか。
それが、考える力ではないだろうかと考えるわけです。
広い視野と考察力を磨ける昔に流行った番組
暑苦しくなってきましたので話を変えます!('Д')
考える力とは、広い視野で物事を考察する力であると考えています。
大人になると「技術」や「コミュニケーション」ばかりを追い求めて、この手の力を養おうとする人がほとんどいません。
そこで今回、おすすめしたいのが、昔にネット上で流行った推理番組です。
それは、普通のドキュメンタリー番組なのですが、よく目を凝らして隠された事象を辿っていくと、隠された本当の真実にたどり着くと言う番組です。
ドキュメンタリー番組自体がかなりリアルで、ついついドキュメンタリー番組として見終わってしまうことがしばしば。。。
「状況を客観的に見る力」「画面の隅々まで見渡す広い視野」「本編と隠れた事象を観察し結びつける力」が試される、結構、面白い番組です。
詳細は下記のリンクからご参照ください。
あなたには真実が見えますか?