見出し画像

親に知って欲しい金融用語『バブル🎈って、いったい何だった?』


バブル真っただ中の1987年(昭和62年)・・・

私は晴れて大学を卒業、社会人となりました。


いきなり名古屋での営業を命ぜられ、右も左もわからない初めての土地で、営業とは「飲みニケーション」的な仕事を覚えました。

取引先の接待はもちろん、社内の飲みも仕事のうち。

二次会、三次会・・・タクシーチケットでの帰宅。

けれど、自分のお金など出したことはありません😅


取引先の社長が新居へ引っ越しすると言えば、仕事じゃないのに土日でもお手伝い。

新しい冷蔵庫が欲しいと言われれば、経費で落としてプレゼント。


部内の予算はもちろんあったけど、予算を使い切っても何とかなります。

打ち出の小づちの「交通費」

部長から「ペペシくん、昨日東京行ったことにしておいてね(^^♪」

行ってないのに、日報には「東京出張」

上司のハンコが押されるのだから、問題ありません😁

当時の経費処理はすべて個人への現金払いですから、出張旅費を私が受取り、その後取引先との接待費に消えていきました。

上司や先輩、同僚、もちろん私も含め、みんな自分の懐には一切入れず、あくまで仕事のためにやっているという言い訳をしながら、こんなことが許される時代でした。


そういった行為の是非は別として、これがバブル景気時代の企業のほんの一コマです。

「なんだそんなこと、たいしたことないじゃん!」と言う、バブルをもっと強烈に過ごした強者もいることでしょう。


💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦


さて、本題です。


バブルは、日本語では「泡」

中身が無いまま膨らみ、そしていつか弾けてはかなく消えて無くなるものです。

世の中の「良い景気」の状態を指す言葉の一つです。


日本では、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間を、バブル景気と言っています。

土地など不動産や株などの資産価格が急激に上昇。

それに伴い、世の中の景気が良くなります。

付随して起こった社会現象の一つは、第二次ディスコブーム。ジュリアナ東京やマハラジャは、今でもバブル時代の象徴のように呼ばれます。


この時代の特徴的な出来事を、いくつかご紹介します。


✅ 株価の上昇

日経平均株価は、1986年頃から急上昇を始めます。

約3年後の1989年12月29日には、最高値の38,957円を記録。

この記録は、今もって破られていません。

1985年9月の日経平均株価が約12,500円ですから、この短い期間で3倍以上になったのです。

✅ 地価の高騰

「土地の値段は永遠に上がり続ける」という土地神話が信じられ、住むためではなく、転売目的の土地売買が増加しました。

特に東京圏の地価は急激に上昇し、当時東京23区の地価でアメリカ全土を購入できるとまで言われてます。

銀行も土地を持ってれば、いくらでもお金を貸してくれた時代です。

✅ 大企業へみんな就職できた!

好景気により、高卒・大卒問わず、企業も人をどんどん採用しました。

おそらくこれまでで、もっとも大企業へ就職がしやすい時期です。

バブル世代とも言われ、大卒の5割以上が一部上場企業に就職したとも言われています。

ただし、バブル崩壊後は一転、就職氷河期となったため、バブル世代は後輩が少ないとか、なかなか入社してくれないという現象も起きました。



そして、1990年3月から始まった金融引き締めにより、バブルは弾けました。

株も土地も下がり、その後「失われた20年」と言われる、日本経済の停滞の始まりです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よかったらスキ、フォロー、コメントをいただけると、とても嬉しいです。
フォローは必ずお返ししますので、よろしくお願いします(^^♪



いいなと思ったら応援しよう!