
映画『ファーザー』怖い怖い。DHAとか飲まないと。(ネタバレ感想文 )
予告だと「感動作」のようですが、もっぱら「下手なホラーより怖い」と評判だったので、アンソニー・ホプキンスのアカデミー主演男優賞受賞という以外、何の事前情報もないまま、「感動作なら観ないけどホラーなら観るか」という謎の理由で映画館へ。
アンソニー・ホプキンスが素晴らしすぎ。
さすが、かつて羊どもを沈黙させただけのことはありますよね。
少しテクニカルなことに触れます。
映画冒頭(タイトルバック)、娘のアンを演じるオリヴィア・コールマン、以下「アン女王」と呼称しますが、彼女が帰路に着く街角ショットが3,4カット続いたと記憶しています。
私は「何でこの入り方なんだろう?」と疑問だったんですね。
だって、「ただいま」って家の扉を開ける所から始めりゃいいじゃん。アン女王が街中を歩くシーンいる?女王陛下のお気に入りなのかしらん?
例えば小津の『麦秋』(51年)なんかも人が(屋内を)歩くオープニングですが、家の間取りと家族構成をきちんと紹介する役割を担っているんですね。でもこの映画のこの入りは何の意味があるんだろう?
これ、きっと、監督の親切心だったんだな。
映画の大部分はアンソニー・ホプキンス視点なのですが、ここはアン視点なのです。
それが何を意味するかというと、この冒頭シーンは「真実」だということを、密かに観客に提示しているのです。
レクター博士も妄想する。アン女王も妄想する。もはや何が何して何とやら。ここだけは確実な「真実」として刻印しておきたかったのではないでしょうか。
ついでに言うと、この映画で、カメラが屋外に出るのもこのシーンだけだと思うんです(あー、買い物中に電話がかかってくるシーンがあったな)。
そう考えるとこの映画、ワンシチュエーション舞台劇のように思えてきます。
豪華俳優の演技合戦で目がくらみますが、実はアングラ小劇場的幻想譚なのかもしれません。寺山修司か。(あ、本当に元は戯曲だったんだ)
(あれ?じゃあ、買い物中に電話がかかってくるシーンは誰の視点なんだ?アンソニー爺ではないし、アン視点だとしたら、真実と矛盾してないか?あ、もしかして・・・)
老人映画って難しいんですよね。
「青春映画」って誰もが通った道ですけど、「老人」ってこれから行く道なんです。つまり未知の世界。
未経験だから、作り手にとっても難しいし、観る側にとっても理解しにくい。
私は観ていないんですが、大林宣彦『あの、夏の日 とんでろ じいちゃん』(99年)はボケ老人視点の傑作らしいですな。私は吉田喜重『人間の約束』(86年)の三國連太郎のボケ老人が衝撃的だったんですよね。
あと、ボケ老人じゃないけど、男の生き様映画であるはずの『アイリッシュマン』(2019年)って老年期が長いんですよ。マーティン・スコセッシ翁(77歳)が、60歳代と80歳代を描き分けている正しい「老人映画」。
そう考えるとこの映画、老人を真摯に描きたかった様子もなく、老人介護という社会問題からも逃げている気がします。
(あ、もしかして・・・)単にボケをネタにした幻想譚なだけじゃない?
「未知の世界」をいいことに好き勝手やってるだけじゃねーのか?(2021.06.20 TOHOシネマズ シャンテにて鑑賞 ★★★☆☆)
監督:フロリアン・ゼレール/2020年/英=仏(日本公開2021年5月14日)