映画『愛のコリーダ』大島渚的近松心中(ネタバレ感想文 )
修復版を鑑賞。無修正版とかあるからややこしいけど、修復版ね。いわゆるデジタル・リマスター。無修正ではない。そして、実は初鑑賞。だって世代じゃないんだもん。
制作は1976年(昭和51年)。大島渚46歳頃の作品。
映画の舞台はそれより40年遡った1936年(昭和11年)。言わずと知れた実話で、阿部サダヲの芸名の由来。
クインシー・ジョーンズの世界的大ヒット「Ai No Corrida」の由来でもありますが、実はカヴァー曲なのでクインシー・ジョーンズ御大はそんなことは知らない(と思う)。元はチャズ・ジャンケルという人の曲だそうですが、彼も作詞には関与していないそうなので映画は見ていない(と思う)。ケニー・ヤングという人が歌詞を書いているそうだが、俺がその人を知らない。無駄な豆知識。
この映画を観る前は、
「闘う作家=大島渚がとうとう映倫という検閲制度にまで喧嘩を売った」
という認識だったのですが、どうもそれだけではないようです。
私にはこの映画が「近松心中物の現代版」に見えたのです。現代版と言っても1976年(昭和51年)当時だし、大島渚的解釈ではあるし、そもそも心中でもないんだけどね。
私がこの映画に感じた違和感、具体的には「殿山泰司」「御年60ウン歳の芸者」と「行進する軍隊とのすれ違い」に、大島渚の意図が隠されているように思うのです。
「殿山泰司」と「御年60ウン歳の芸者」、以下「GGIとBBA」と略しますが、その性欲にちょっとギョッとさせられるんです。もしかするとそれは、我々の既成概念や固定観念に対する大島渚の挑戦のようにも思えます。
近松心中物が描く「若者の美談」とは真逆の、「醜悪な老人の性」を描いたのかもしれません。正解は分かりませんけどね。
もう一つ、絶倫藤竜也が軍隊とすれ違うシーン。
この手の「主人公が道の端を歩いている」場面、私は長谷川和彦『青春の殺人者』(76年)を思い出したんです。水谷豊が道路脇を歩くタイトルバックね。偶然同年の作品。ちなみにこれは親殺しの映画でした。
メインストリームから離れて、あるいは逆行して歩く主人公。
もしかするとそれは偶然ではなく、高度経済成長に疲弊し始めた1970年代半ばの日本の「時代の必然」だったのかもしれません。
阿部定事件は昭和11年5月で、同じ年の2月に二・二六事件が起きているので、単に時代の空気感の描写なのかもしれませんけどね。
でも、このシーンを境に絶倫竜也は精気を失っていきます。むしろ自ら死を望んでいるように見えます。
まるで、時代に取り残されている自分を自覚してしまい、自暴自棄に陥ったかのようです。これも正解は分かりませんがね。
で、そんなこんなを考えていくと、これ本当に「愛」の映画なのか?そこに「愛」はあるんか?と疑問に思うんです。
二人が恋に落ちる瞬間を描くでもなく、二人の人物像を掘り下げるわけでもない。「二人はこうするしか道はなかった!」という追い詰められた感もない。
大島渚が描こうとしたのは、「愛」じゃなくて「欲」なんじゃないか?
そう考えると、GGIもBBAも説明が付くし、「欲」を手放した男が死を望むのも納得できる。
「大きなイチモツをください」と阿部定が歌うのも納得できる(<歌ってない)。
だいたい「大島渚が究極の愛を描いた」なんて眉唾だったんですよ。「お前らが愛だと思っているものはただの欲なんだよ」と大島渚が言っていると思うと納得できる。
余談
かねがね思ってるんですが、この映画で製作に名を連ねている若松孝二と大島渚の接点って何だったんだろう?若松孝二監督作『処女ゲバゲバ』(69年)のタイトルも大島渚の命名だって話じゃないですか。
闘う大島渚、怒りの若松孝二と似た系統に思いがちだけど、京大法学部のインテリ運動家大島渚と高校中退でヤクザの下働きまでした若松孝二は、だいぶタイプが違うと思うんだけど。
(2021.05.23 ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞 ★★★★☆)
監督:大島渚/1976年 日本=仏(修復版公開2021年4月30日)