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映画『ノマドランド』世界は世界である(ネタバレ感想文 )
映画はブレることなく、フランシス・マクドーマンド演じるファーンという女性の視点が貫かれる。つまりこれは、彼女の見聞録なのです。彼女は、自分が見聞きした風景や他者の人生という「世界」をありのまま受け入れ、変化していく。これはそういう映画です。ある意味、典型的かつ正しいロードムービーとも言えます。
さらに言えば、正しいドキュメンタリーとも言えます。
多くの場面が手持ちカメラで撮影され、出演者のほとんどに実際のノマドを起用した手法もさることながら、善悪を区別せずにフラットな視点で世界を見ている点こそが正しいドキュメンタリーだと思うのです。記録映画に近いと言ってもいいかもしれません。
というのも、映画でもテレビでも最近のドキュメンタリーと呼ばれる作品のほとんどは「作り手の意思」が必要以上に介在している気がします。「作為に沿って都合よく切り取られている」というのが分かりやすいかもしれません。その卑近な例の一つがネットニュースですよね。全体の文脈をきちんと見れば違うことを言っているのに、恣意的に部分を切り取ることで別の意味に受け取られてしまう。ドキュメンタリーが悪質だと思うのは、素材がノンフィクションであるが故、あたかも「真実」のような錯覚を観客に与えることなんですよ。まあ、そういう映画(映像作品)があってもいいんだけど、「ドキュメンタリー」というジャンル分けはやめませんか?はっきり「政治映画」「思想映画」と言った方がいい。
話がだいぶ横道にそれました。閑話休題。
この映画は、何かを声高に主張するようなことはしません。
資本家の義兄と多少言い争うことはあっても、「ノマドという生き方」を過剰に賛美することもなければ、資本主義を非難することもない。雄大な自然は美しいけれども、時に厳しいこともきちんと描写する。人生は過酷でもあり楽しくもある。何が良いとか悪いとか決めつけることは一切ない。世界は世界であり、ありのままを受け入れる。
この映画のキモはここだと思うんです。
この映画の原作は「ノマド:漂流する高齢労働者たち」というノンフィクション書籍だそうで、本当の原題は知りませんが、この日本語の副題にも「課題・問題点を指摘してやろう」という作為が垣間見えるじゃないですか。
でも映画は全然そんなことはない。
これ、普通の映画だったら「叔母さん放浪者なんだって」「困ったもんねえ」とか親族が陰口叩いているのをうっかり聞いてしまうようなシーンを入れたくなるんですけどね。そういう無粋なことはしない。
「ありのままを受け入れる」というこの映画のキモは、今の時代の価値観でもあります。
「アリとキリギリス」で言えばキリギリスですよ(遊んで暮らしてるわけじゃないけど)。アリの勤勉さこそがあるべき姿で、キリギリスなんぞは野垂れ死んで当然、というのがこれまでの価値観だったわけです。この価値観は資本主義も社会主義も一緒です。個人が富むのか国家が富むかの違いで、「富」に価値を求め、そのために汗水流すという考え方に変わりはない。産めよ増やせよ労働こそが美しい。
しかしこの映画は根底から異なる価値観を提示した。その映画の監督が中国出身の女性監督というのも大変興味深い。
ただこの「ありのまま生きる」という価値観は、作劇にとっては難しいと思うんですよ。ドラマって「枷」で盛り上がるから。
キャピュレット家とモンタギュー家が若い二人の恋愛をありのまま認めちゃったら「ロミオとジュリエット」はお話にならないわけだし、午前0時に解ける魔法もないままシンデレラが一晩中踊り狂ってたら話はそこで終わってしまう。めでたしめでたし。
余談
クロエ・ジャオは、本作では本物のノマドを、前作『ザ・ライダー』でも本物のカウボーイを起用しているそうだ。そして次作は「ドラキュラ」を撮るという情報があるが、どこから本物を連れてくるんだろう?
(2021.04.03 Tジョイ品川にて鑑賞 ★★★★☆)
監督:クロエ・ジャオ/2020年 米(日本公開2021年3月26日)