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映画『しとやかな獣』 日本最高のブラックコメディー。現代の狂言。(ネタバレ感想文 )

監督:川島雄三/1962年 日

約10年ぶりの再鑑賞。好きなんですよ、この映画。
「日本軽佻派」川島雄三をもっと観たいんですよ。4本くらいしか観てないんだよな。

川島雄三の画面えづらは、複数人が画面に入り、ほぼ常に動いている。
二人が静かに対峙するなんてことはほとんどなく、複数人が出たり入ったり、あるいは動いたり食べたり、移動しながら、他のことをしながら、会話は行き来し、人物も行き来する。
前回も今回もテレビで観てるんですが、本当はシネスコのでっかいスクリーンで観たいんです。
『貸間あり』(1959年)をスクリーンで観た時は驚いたな。
横長の画面の中で縦横無尽に人物が行き来する面白さったら。

そして本作の脚本は名匠・新藤兼人。
日本インディペンデント映画の父。商業脚本を大量に書いて売れない自主製作映画に注ぎ込んだ人(<酷い言い草)。
ちなみに私は、新藤兼人の最も凄い脚本は『裸の島』(60年)だと思ってるんですが、この映画の脚本も凄いんですよ。

この映画は「狂言」なのです。
現代(当時)の「狂言」。つまりブラックコメディー。
岡本喜八も『ああ、爆弾』(64年)で狂言を使ってますね。日本の古典芸能とブラックユーモアは相性が良いんですよ(<そうか?)

この「狂言」は、マンションの一室を「舞台」に見立てます。
それはオープニングを観れば分かります。
そしてこの舞台に、金と色の欲にまみれた「獣」たちが出入りする。
若尾文子が謎の(?)階段を登るシーンは、「橋掛り」(歌舞伎で言うところの花道)をもじっているのかもしれません。

「(終戦直後の極貧だった)あの頃に戻りたいか」の一言で、この一家の動機を全て語りきってしまう新藤兼人脚本の手腕。
しかも単なる動機付けだけでなく、今(当時)という「時代感」も見事に描き切っているんです。

映画は1962年製作。
日本は高度経済成長真っ只中で、まるで敗戦なんかなかったかのように好景気を迎え、オリンピックなんか招致しちゃうぜ!ってなウハウハの時代。
この映画は、そんな時代の波に流されている「人間」という「獣」を皮肉っているのです。

伊藤雄之助と山岡久乃演じる父と母には「ラジオ」から流れる能楽をバックに静かに佇むシーンが用意され、子供たち姉弟、言い換えれば「若い世代」には「テレビ」のダンスミュージックで激しく踊り狂うというシーンが用意されます。
川島雄三は、持ち味の猥雑さを前面に出しながら、「静と動」を用いて世代を繊細に描き分けるという芸当も見せてくれます。
なんなら、この世代差、時代が変わっていく感じは、はからずも同年製作の小津安二郎『秋刀魚の味』(62年)にも似ています。映画は似ても似つかないけど。

そしてね、若尾文子が階段を上るんですよ。
成瀬巳喜男に『女が階段を上る時』(60年)って映画があるけど、したたかにのし上がっていくんですよ、女は。
この時期は、そういう映画が多い気がします。今村昌平『にっぽん昆虫記』(63年)とか。

余談
ついでに言うと、今回の鑑賞で思ったんですが、森田芳光『家族ゲーム』(83年)はこの映画にインスパイアされているんじゃないかなあ?勝手な想像だけど。

(2023.06.03 CS放映にて再鑑賞 ★★★★★)

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