映画『ハンナとその姉妹』 宗教よりマルクス兄弟。生きる喜びは映画に(ネタバレ感想文 )
淀川長治先生が「アメリカ最後の哲学者」と評したウディ・アレン。
大好きなんです。全作品観直したい。上映してくれないけど。
今回はCS放送を録画していたもので、30数年ぶりに再鑑賞。
いろいろ知ってしまった今(2023年)観ると、
「あ~、ウディ・アレンの浮気癖が投影されてるんだなぁ…」って思っちゃう面はあるんですけどね。
ウディ・アレンほど、私生活(の好不調)が如実に作品に出る作家はいないから。だから尚更、いろいろ知りたくはなかったというのが本音。
本間長世という学者の『ユダヤ系アメリカ人』という本に引用されてて気付いたシーンがあります。
劇中、ウディ・アレンが人生に悩んで改宗しようとします。
ユダヤ人の彼がカトリックに改宗するんですね。
キリスト関連グッズ(?)を買い込んだ彼が、一緒に購入してきた食パンをその上にポンと置く。
その食パンの名前は「ワンダーブレッド」。よく売られている一般的なパンだそうです。日本ならヤマザキパンといったところでしょうか。
キリストの上に日用品を置くということと、そのパンの名前が「奇跡」というギャグなんですけどね。
ウディ・アレン作品をもう一度観直したいと私が切望する理由は、当時は気付かなかったけど、大人になって分かることが無数にある(であろう)点なんです。多作だから大変だけど。
例えばこの映画、「感謝祭」のホームパーティーから始まるんですが、私は今回再鑑賞して、イングマール・ベルイマン『ファニーとアレクサンデル』(1982年)にインスパイアされたんじゃないか?と勝手に想像したんです。あっちはクリスマスパーティーですけどね。
同じく俳優一家の話だし、ウディ・アレンはベルイマンを尊敬していたし。
ワンダーブレッドも感謝祭も、それの持つ意味は日本人には皮膚感覚では理解できません。映画は時代も国境も超えないというのが(押井守の受け売りの)私の持論です。
でも、時代も国境も超える普遍的な「哲学」をこの映画は提示します。
人は悩む。
この映画には2人の男が登場します。
ハンナの「元夫」と「今夫」です。まるで「大豆田とわ子」。
2人は「病気」に悩まされます。
一人は「病気恐怖症」、もう一人は「恋の病」です。
そんな彼らに巻き込まれたり、あるいは全然関係ないところで、ハンナとその姉妹たちも「悩み」ます。
それが人生なんですよ。
泣いたり、笑ったり、悩んだり、恋したり・・・
それがウディ・アレン作品に一貫して流れるテーマのような気がします。
そして、そんな人生の苦悩から救ってくれるのは、宗教ではなく、マルクス兄弟『我輩はカモである』(1933年)なんですよ。
これはもう、ウディ・アレンの「俺、映画大好きなんだよね」宣言なのです。
今となっては「俺、映画と女が大好きだ」宣言のような気もしますが。
余談
ベン・アフレックが監督した『アルゴ』(2012年)っていう映画の中の台詞で、「資本論」の一節から(だったかな?)の言葉を言った後の会話にこんなのがあります。
「誰の言葉だ?」
「マルクス」
「グルーチョか?」
これ、声に出して言いたい名台詞。
(2023.08.14 CS録画にて再鑑賞 ★★★★★)