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映画『小さな恋のメロディ』 (ネタバレ感想文 )子供はよく走り、大人はよく食べる。

実は観たことなかったんです。微塵も。

ほら、ビージーズと言えば「メロディ・フェア」より「ナイト・フィーバー」や「ステイン・アライブ」の世代だからさ。
嘘。『サタデー・ナイト・フィーバー』(77年)も『ステイン・アライブ』(83年)も観てない。
てゆーか、日本人、この映画やたら好きよね。英米じゃヒットしなかったそうだけど。

近所の映画館でデジタルリマスター版を観たのですが、微塵も知らないもんだから、オープニングテロップで脚本にアラン・パーカー(<それは薄々知っていた)、製作にデヴィッド・パットナムの名があった時には驚いた。
『ミッドナイト・エクスプレス』(78年)じゃないですか。社会派ですよ。
調べてみたら、アラン・パーカー27歳、デヴィッド・パットナム30歳、共に「若葉のころ」。なんてな。

監督は全然知らん人ですし、当時のイギリスの社会情勢も分からないんですが、要するに「大人は信用できない」ってことだと思うんです。
若者による大人(=社会)批判。
いや、批判ってほどでもないな。価値観の相違。
「どうして一緒にいちゃいけないの?」「愛していることがどうして悪いのだ?」と井上陽水「断絶」みたいなことを言いますが、井上陽水「断絶」が1972年。ちょうど同じ時期だ。そういう時代だったんだな。ちなみに陽水23歳。俺は4歳(<どうでもいい)。

実際、この学校の授業で描写されるのは、ラテン語であり、キリスト教典であり、歴史の授業です。一方、主人公らは地理や数学が好きだと話します。
道徳観醸成のために「過去」を教えたがる大人に対し、子供達は「未来」を生きるために必要な学問を欲しているのです。

そう考えるとこの映画、キラキラと輝く子供達を活写するより、大人を醜く撮ることに終始しているように見えます。まあ、監督の力量かもしれませんが。

もう一つ。

中産階級の男の子が、労働者階級の親友と出会い、さらに労働者階級の女の子と恋をするというお話です。
イギリス映画は、こうした社会階級を伴う話が多い気がします。
私のケン・ローチ好きがそう思わせるだけかもしれませんけどね。
でもこの映画、身分違いが障害ではないのに、家庭の事情を丹念に描きます。

もちろん日米にも「身分格差」物は多々ありますが、どちらかというと「セレブに恋した/された平民の私」あるいは「理由があって貧乏になった」という設定で、身分格差そのものがストーリーの中核に置かれる場合が多い。
おそらく日本は「平等」が前提だからです。
しかしイギリス映画の場合は、物語のバックボーンとして社会階級が描かれる。金持ちより貧乏人に視点が置かれる。
『フル・モンティ』(97年)なんか典型例。
おそらく、イギリスは格差が前提(もはや当たり前になるほど深刻な社会問題)なのでしょう。

つまりこれは、「子供達にとって社会階級なんか関係ない」という映画なのです。
しかし大人は、その悪しき慣習を維持すべく「過去」を教育しようとする。そして子供達はそれに抵抗する。ゴリゴリ社会派ですよ。

ここから私の勝手な推測です。

アラン・パーカーや井上陽水(<関係ない)はビートルズの影響を受けた世代だと思うんです。
ビートルズは世界中が熱狂したと勘違いされますが、あくまで「若者が」熱狂したにすぎません。そして港町リヴァプール出身の彼らは、絶妙に労働者階級でも中産階級でもなく、イギリスの根深い社会問題とは無関係に支持を集めた。
ビートルズが「若者にとって社会階級なんか関係ない」をやってのけた。
「音楽で世界を変えられる」と信じられた時代。
そういった意味では、この『小さな恋のメロディ』 はビージーズよりもビートルズの影響下にあるのです。というのは私の暴論。

しかし70年代後半になるとロックも多様化、複雑化してきて、「えーい、もう面倒くせえ!」と労働者階級の若者が暴れだすんですよ。それがパンク・ロック。セックス・ピストルズ。
そういった意味では、ダニエルとメロディの行く末が『シド・アンド・ナンシー』(86年)なのです。あのトロッコの行く先は、ぐるっと回って階層社会に戻ってしまう。超暴論。ボーイズ・ビー・シド・ヴィシャス!

(2021.10.10 Morc阿佐ヶ谷にて鑑賞 ★★★☆☆)

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監督:ワリス・フセイン/1971年 英
(デジタルリマスター版日本公開2019年6月7日)

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