映画『選ばなかったみち』 (ネタバレ感想文 )三者三様の選択肢
『ノーカントリー』(2007年)の強烈な殺し屋と『パーティで女の子に話しかけるには』(17年)の宇宙人が父娘なんてヘンテコな映画に違いないという誤った認識で観に行ったら、予想外に重たい映画でした。
実はこれ、たった一日の物語です。
父=ハビエル・バルデムは、現実世界に身を置きながら、2つのパラレルワールドを行き来します。
決して純粋な「回想」ではありません。だって回想中若返ってないからね。今の姿のまま別世界と行き来している。それは彼の過去の体験に基づいた「パラレル・ワールド」です。「潜在意識」と言ってもいいかもしれません。
彼の潜在意識に根深くあるのは、どうやら「後悔」のようです。
「選ばなかったみち」と言い換えてもいい。
一つの世界は、故郷メキシコ。
息子を失った場所。おそらく家庭も捨てて、二度と戻らなかった故郷。
「帰る」というみちを「選ばなかった」場所。
もう一つの世界は旅先のギリシア。
ここで彼は、若い女の子の尻を追いかけて、こんなことを言います。
「家庭と娘から逃げてきた」。
おそらく彼は、まだ幼かった娘=エル・ファニングとその家族を捨てる気だったのでしょう。実際、離婚してますし。
現実世界のエル・ファニングは「あの時は気が変わってすぐ帰ってきたじゃない」と言っていますが、父の心の中では既に家族を捨てていたのです。
そんなハビエル・バルデムは、パラレルワールド内で死に、現実世界で娘の名を呼ぶ(思い出す/認識する)わけです。
つまりこの世界での彼の「後悔」は、家族を捨てたことにあるのでしょう。
家族の元に「帰る」というみちを「選ばなかった」。
映画は、娘=エル・ファニングの「選択肢」を暗示して終わります。
父を捨てるのか、自分を押し殺して父と生きるのか。
この2択のどちらを選択しても、もう一方は「選ばなかったみち」として、いずれ彼女の「後悔」になることでしょう。
ボケをネタにした単なる幻想譚ホラーだった『ファーザー』(20年)に比べたら、とても文学的です。
聞くところによれば、サリー・ポッターの弟が若年性認知症を患い、その経験から生まれた映画だそうです。
映画最後に「捧ぐ」と名前が出てきますが、亡くなった弟なのでしょう。
もしかすると、この映画自体がサリー・ポッターの「後悔」から生まれた作品なのかもしれません。「あの時こうしていれば」というサリー・ポッター自身の「選ばなかったみち」。
そう考えると、「パパが理解できない」と泣くエル・ファニングの悲痛な叫びは、サリー・ポッター自身が弟に向けて本当に放った言葉なのかもしれません。
それにつけてもエル・ファニングは泣き顔も可愛い(<結局そんなことか)
(2022.02.27 アップリンク吉祥寺にて鑑賞 ★★★★☆)