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映画『シン・仮面ライダー』 庵野、そこに愛はあるんか?(ネタバレ感想文 )
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「池松壮亮くんの本気が見たい」とウチのヨメが言うもので映画館に足を運びました。池松壮亮くんの本気を見るなら『宮本から君へ』(2019年)を繰り返し観ればいいんですが、繰り返し観たい映画でもないもんでね。
そういうわけで気楽に観に行ったものの、そもそも私は(夫婦共々)仮面ライダーに思い入れがなかったんです。それが失敗の原因。
知ってりゃ面白い小ネタが満載のようですけどね。
あ、『シン・ゴジラ』(16年)は好きでしたよ。
『シン・ウルトラマン』(22年)は観ていません。監督が樋口真嗣だから。特技監督としては信頼してるけど、映画監督としてはどうかな?樋口で一番良かった監督作は『ミニモニ。じゃムービー』(02年)じゃ。
庵野に話を戻しますが、基本、斜に構えてスカしてるんですよ。
「浜辺美波に笑顔をさせない俺ってどうよ?」的な小賢しさがある。
『キューティーハニー』(04年)でも「イエローキャブきっての(隠れ)才女のサトエリを馬鹿に仕立てた俺ってどうよ?」感をやってたな。
そもそも庵野は仮面ライダーに思い入れがあるのでしょうか?
どっちかって言うと、「ジャンプしただけで全然別の場所に移動しちゃう雑な編集の当時のドラマ」を物笑いにしている気がしてならないんです。
ほら、我々は『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(01年)で金子修介のコジラ愛を、『ヤッターマン』(09年)で三池崇史のドロンジョ様愛を見てるわけじゃないですか。
庵野、そこに愛はあるんか?と大地真央ばりに問い詰めたい。
JとかKはいるけどな。あれは「ロボット刑事K」なんだろ?「小ネタ」と「愛」はイコールじゃないからな。だいたい何よ?この昆虫大戦争?
『妖怪大戦争』(05年)かよ(<だからそれは三池崇史だって)。
『シン・ゴジラ』は、ゴジラへのリスペクトというよりも、岡本喜八の『日本のいちばん長い日』(1967年)だったと思うんです。実際、消えた博士は本多猪四郎でも円谷英二でもなく、岡本喜八の写真でしたからね。
『シン・仮面ライダー』の博士(研究者?)は塚本晋也ですからね。この映画は『鉄男』(1989年)なんです(キッパリ!)。まあ、『鉄男』が仮面ライダーに影響を受けた「怪人」愛の作品ですけど。
ただ、得手不得手というか、消化(昇華)してるかどうか、という問題があるような気がします。
『シン・ゴジラ』は巨大怪獣、『日本のいちばん長い日』は終戦という「この国の一大事」を前に、事態収拾に向けて延々会議するという形で上手くマッチしていましたし、庵野の得意分野でした。
一方『鉄男』は、「都市と肉体」を描き続ける作家=塚本晋也の原点なわけです。ところが、『シン・仮面ライダー』を観て分かると思いますが、庵野は「肉体」に興味がない。戦闘シーンに血湧き肉躍るものがない。血飛沫は飛び散るけど痛そうには見えない。おそらく彼は人に殴られた経験がないんだと思います。おそらく、庵野とアムロは父さんにも殴られたことがない。
なんなら、肉体の痛みを伴わない「VRゲーム」を見ている気分。
なので、VRゲーム的な描写を目指したなら成功ですが、劇中でしきりに言う「暴力と優しさ」を描こうとしたなら、肉体や実態を伴わない空虚な言葉遊戯にしか見えなかったと言わざるを得ません。
実際、「小ネタ集」という遊戯だったのかもしれませんけどね。
(2023.03.21 アップリンク吉祥寺にて鑑賞 ★★☆☆☆)