映画『ことの次第』 ハンバーガーは口に合わなかったらしい(ネタバレ感想文 )
「12ヶ月のシネマリレー」という名作上映企画で初鑑賞。
正直言うと、ヴィム・ヴェンダースが苦手です。
『パリ、テキサス』(1984年)と『ベルリン・天使の詩』(87年)、名作と名高いこの2作を若い頃に観たのですが、死ぬほど退屈で(笑)。
たしか両方とも2回観てるんだ。そのくせ1シーンも1ミリも覚えていない。忘却度100%。1回目の鑑賞は死ぬほど退屈で、2回目の鑑賞は退屈すぎて実際に死んだことだけ覚えてる。
ゴダールは嫌いなんだけど、ヴェンダースは苦手。
そんな中、どうしてこの度鑑賞したかというと、役所広司がヴェンダース作品でカンヌで賞をもらったからというわけではなく、映画制作現場が舞台設定だと聞いたから。
映画制作現場が舞台の映画を私は「メタ映画」と呼んでいるんですが(命名したのは友人だが)、傑作が多い。
フェリーニ『8 1/2』(63年)、ゴダール『軽蔑』(63年)、トリュフォー『アメリカの夜』(73年)。
ゴダールは嫌いなんだけど、『軽蔑』は好きなんだ。
厳密には、これらの作品はただ撮影現場を舞台にしているのではなく、映画監督の内面を描くことに主眼を置いている作品たちです。劇中の映画監督には監督本人が色濃く反映されている。実際、トリュフォーなんか自分で演じてるしね。
そして、映画とはなんぞや、監督とはなんぞやという哲学に昇華していく。
メタフィクションとしての映画。だから「メタ映画」。
この『ことの次第』は立派なメタ映画だった。
まず映画冒頭、今回のリマスター版だけなのかもしれませんが、ちょっとした解説文が入ります。
この映画は、フランシス・フォード・コッポラ製作総指揮『ハメット』(82年)を監督していたヴェンダースが、撮影中断の合間に撮った映画ですよ的なことが書いてあったな、たしか。
つまりこの映画は、『ハメット』がうまくいかなくなった『ことの次第』を描いたというわけなんです。
もちろんフィクションですよ。
でも「これはフィクションであり実在する人物・団体とは関係ありません」みたいなダサい説明をするのではなく、ラストシーンで思いっきりフィクションに振れることで、フィクションを主張するのです。
でも、これが噂の真相、じゃない『ことの次第』だけどね、いやいや、フィクションなんだけどさ。
映画は最初に、撮影中の「SF映画」から始まります。
なに?このトンマなSF?
完成したら、ゴダール『アルファヴィル』(65年)、トリュフォー『華氏451』(66年)に匹敵する映画史上に残るマヌケSFになったのに。
そして、そこからが大変。
死ぬほど退屈。
ああ……ヴェンダースだ……30数年ぶりに観たヴェンダースは、やっぱりヴェンダースだった……
そしたら、舞台がアメリカに移って、ここからまるで別の映画のように、俄然面白くなるの。
ちょっとしたハードボイルド。
なんなら、先日観たアルトマン『ロング・グッドバイ』(73年)より『ロング・グッドバイ』。
ドイツ人の映画監督である私とハリウッドとは映画に対するスタンスが違うということが、ハードボイルの中で、いや、キャンピングカーの中で語られるのです。
生前の伊丹十三が「一口に映画(監督)と言っても、棒高跳びをしている者もいれば走り幅跳びをしている者もいる」と話していたことがありましたが、実は違うジャンルだったりするんです。
それを、ハンバーガー喰ってご機嫌の(?)プロデューサーが「♬ハリウッド、ハリウッド♪」と歌を歌い、その横で監督が「映画とはストーリーじゃねーんだよ」みたいなことをブツブツ呟く。
ここに集約されるんですよ。
ヴェンダース、ハンバーガーが合わなかったんだなぁ……。
そして最後の最後、8mmカメラを銃のように構えるんです。
グッときます。
ヴェンダースの「カメラは武器だ」宣言だと私は受け取りました。
白黒映画をバカにすんなよ!俺はカメラで戦うぜ!
終わってみたら面白かったんですよ。
前半は死ぬほど退屈だったのに。
(2023.06.03 シネ・リーブル池袋にて鑑賞 ★★★☆☆)