映画『はなればなれに』 遅すぎたゴダール入門編(ネタバレ感想文 )
私はしばしば「トリュフォー好きのゴダール嫌い」と書いていますが、ゴダールでも好きな映画があります。
一つは『軽蔑』(1963年)。もう一つがこの『はなればなれに』。
5つ星満点で星1つ、100点満点なら20点レベルだけど『アルファヴィル』(65年)も嫌いじゃないんだけどね。
今これを書いてて気付いたんですが、もしかすると30代前半(本作制作時33歳)のゴダール作品は好きだ、というだけかもしれません。
あー、もしかすると、ゴダールの本質ではない作品群なのかもしれないな。
商業映画を目指した(唯一のガッツリ商業映画と言ってもいい)『軽蔑』、ミシェル・ルグランを音楽に迎えた『はなればなれに』、自称SF(笑)の『アルファヴィル』とか、「売れ線」に色気があったのかもしれない。
タランティーノが本作のファンだとかで、自身の製作会社の名前はこの映画の原題「Bande à part」だとか。
これ、後日、重要なポイントになるんだけど、ここでは置いておきましょう。
あと、すっかり忘れてたけど、この映画、『気狂いピエロ』(65年)に続くんですよね。ゴダール自身は「『勝手にしやがれ』(60年)の続編」とも言ってるそうなんですが、それはどうなのかなあ?
さて、やっと本題。
カフェのダンスシーン、ルーブル美術館の全力疾走、1分間の沈黙……
この映画を観るのは3回目なのですが、洒落たシーン、素敵なシーン満載で超楽しい。
何が好きかって、グダグダしてるところ(笑)。
若者特有のグダグダ感と重なるんですよね。偶然かもしれないけど。
でも、ゴダールが描きたいのは、三文小説風B級犯罪でも、青春の彷徨でも、当然人間ドラマでもないと思うんです。
彼の主題は「映画の虚構性」を暴くこと。
それがゴダールの、というかヌーヴェル・ヴァーグの本質。
先程「ゴダールの本質ではない」と書いたことと矛盾しますが。
つまり、それまでの映画は(今でも映画・ドラマのほとんどは)、セットという「虚構」の舞台で、脚本に書かれた「虚構」の台詞を話し、芝居という「虚構」の演技をしたものを「本物」っぽく見せているんです。
一方、本作は真逆です。
ゴダールは、オールロケ、即興演出という「リアル」な舞台や芝居を、映像や音をバラバラに切り刻んで組み立て直して「虚構」に仕立て上げる。
「映画は作り物だ!」
これがこの映画のテーマだと私は思っています。話なんか何だっていい。
でも、この映画最大の魅力は、作り物ではない自然な「躍動感」にあると思うんです。
「虚構(作り物)」が強調された結果、「本物(リアル)」が目立つという妙。それが意図的だったかどうかは知りませんけどね。
余談
今回、「追悼 ジャン=リュック・ゴダール映画祭」でシレッと上映されましたが、長らく日本未公開だったんです。
原作小説だって邦訳が出たのは今年ですしね。てゆーか、原作あったのかよ?
何かに「日本では長らく劇場公開が実現せず、1998年に初めて上映された」と書かれてますが、どこで上映されてたんだか。
本作が日本でちゃんと公開されたのは2001年2月3日ですからね。
だって俺、その当時「15年前に観たかった」って感想を残してるから。
大学生の頃にゴダール初体験として本作を観ていたら、ゴダール狂になっていたかもしれない。遅すぎたゴダール入門編。
おかげでゴダール好きにならずにすみました。
(2023.04.29 ヒューマントラストシネマ渋谷にて再鑑賞 ★★★★★)