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映画『イージー・ライダー』 アメリカは自由病の重症患者。(ネタバレ感想文 )
午前十時の映画祭にて鑑賞。
恥ずかしながら初鑑賞。キャー恥ずかしい!この映画を観ずに何を語ってたんだ?本当に恥ずかしい。
だって、しょーがねーじゃん、俺がヨチヨチ歩きの頃の映画だぜ(<開き直り)。デニス・ホッパーなんて、物心ついた時には実写版『スーパーマリオ』(93年)のクッパだったよ。あ、俺が20歳代半ばの映画だ。物心つくの遅せーな。
映画って、「いつ観るか」(製作から何年後に観るか&自分が何歳で観るか)でだいぶ感想(解釈)が変わると思います。
この映画は特にそう。
「いつ観るか」が違っちゃうと、その当時の「風俗映画」としか捉えられない出来かもしれません。
しかし「いつ観るか」がハマると、70年代アメリカを語る上で欠かせない重要な映画に見えてきます。もはや語り尽くされた感もありますけどね。
そういった意味では、決して「普遍的な名作」ではない。
「人は自由を説くが、本当の自由を恐れる」
全てはこれに尽きます。これを仮に「自由病」と呼称しますが、自由を求めながらも自由を恐れるのは、ある意味人間の本質なのです。そして「自由の国アメリカ」こそ、どの国よりも「自由病」の重症患者なのです。
その理由を知りたければ、マイケル・ムーア『ボウリング・フォー・コロンバイン』(02年)でも観るといいんじゃないかな。
今さら私が書くまでもありませんが、アメリカが内省的に自己を見つめるのは、ベトナム戦争泥沼化以降です。
実際、戦勝国である第二次世界大戦を描いた映画、例えば『戦場にかける橋』(57年)とか『史上最大の作戦』(62年)とか『大脱走』(63年)なんかは「オールスターキャスト娯楽活劇」なんですよ。ゲーム感覚と言ってもいい。
そして、内省的にアメリカ自身と向き合い始めた映画群が、いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」というやつです。
このアメリカン・ニューシネマは、『俺たちに明日はない』(67年)から始まり、この『イージー・ライダー』が代表作だと言われますが、アメリカン・ニューシネマと呼ばれる映画のほとんど全てが「自由病映画」として捉えられる気がします。
自由を求めた結果、自由を恐れる人々(社会)によって排除されていく。じゃあ、自由の国アメリカって何なの?アメリカって本当はどういう国なの?というわけです。
いわゆるアメリカン・ニューシネマの扱いではありませんが、70年代にはアメリカを内省的に考える代表作がいくつかあります。
例えばコッポラ『地獄の黙示録』(79年)。正に自由病映画であり、アメリカ建国の源流に遡る旅でもあります。同じくコッポラは『ゴッドファーザー』(72年)と『ゴッドファーザー PART II』(74年)でアメリカ(の裏社会)を形作ったイタリア移民を描きます。これもまたアメリカの歴史。そんなコッポラ製作でルーカスが撮った『アメリカン・グラフィティ』(73年)は1963年を舞台とした青春映画です。まだビートルズもベトナム戦争も知らない「古き良きアメリカ」。ただの懐古趣味ではなく、翻って今の(70年代当時の)アメリカについて考えさせられる映画です。
そしてアメリカン・ニューシネマの終焉は『タクシードライバー』(76年)だというのが定説です。(私はロバート・アルドリッチ『合衆国最後の日』(77年)が本当の最後だと思ってますけどね)。
75年にベトナム戦争が終結したということもありますが(アメリカの撤退は73年だったそうですが)、同じ年に『ロッキー』(76年)が生まれるんですよ。
それはもう、内省的(あるいは自虐的)アメリカ史観とは真逆の「アメリカン・ドリーム」。帰ってきた「強いアメリカ」。『ロッキー』以後アメリカは一足先に80年代に突入します。
カントリーの国アメリカは、『イージー・ライダー』のロックを経て、80年代にはマイケル&マドンナに代表されるポップス王国として世界を席巻することになるのです。
さて、ここからやっと『イージー・ライダー』の話(<ええっ!)
私はこの映画、全然「ワイルドでいこう!」でも「ワイルドだろぉ?」でもなくて、実は繊細な映画だと思います。
本作の製作・出演のピーター・フォンダが監督した『さすらいのカウボーイ』(71年)と本質は似ていると思うんですがね。
割と最初の頃に、パンクしたバイクのタイヤを修理するシーンがあります。隣で馬に蹄鉄を付けてるんですよ。つまりこのシーンは、「バイクは馬だ」と言ってるわけです。何を言ってるのかって?つまりそこに、馬で荒野を駆け抜けた開拓民の精神を垣間見るわけですよ。
これは時を経て『ノマドランド』(2020年)のキャンピングカーへと進化します。
『イージー・ライダー』と『ノマドランド』の共通性について語ってもいいんですが、長くなるのでやめときましょう。
ここで私が言いたいのは、『イージー・ライダー』の主人公たちの根底にあるのが、「開拓民=アメリカ的精神」だということです。
そう考えるとこの映画は、自由を求めるアメリカ的精神が、自由を恐れるアメリカ人に殺される話なのです。
なぜそんなことになるんだろう?
私はその理由が、LSDシーンの中に描かれている気がしたんです。
「自由」と「キリスト教的戒律」という相反する思想がアメリカの根底にある。それが見えたんです。あのLSD幻想シーンの中に見えちゃったんです。見えちゃったんだからしょーがねーじゃん。え?俺がラリってるって?
(2021.06.12 TOHOシネマズ日本橋にて鑑賞 ★★★★★)
監督:デニス・ホッパー/1969年 米