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映画『それから』 (ネタバレ感想文 )淋しくっていけないから、また来て頂戴。

私、森田芳光信者です。
当時高校生だった私が入信する決定打となった作品が本作です。
しかしなんてことでしょう。
ネット上に映画感想の駄文を書き散らかして四半世紀になりますが、その間一度も再鑑賞しなかった。『そろばんずく』(86年)なんか3度も観てるのに。なんで3度も観てんだよ。

今回、神保町シアターでの上映を偶然見つけ、
「宿は神保町だ。あれに乗って帰るよ」という小林薫の名台詞(<全然名台詞じゃない)にならって神保町で観るべき映画だと急に思い立ち、
「明日はダメだ。今日はどうだ?今日ならいいぞ」という中村嘉葎雄の名台詞(<全然名台詞じゃない)に従ってドタバタと観に行きました。
こんなショーモナイ台詞まで覚えている異常愛。
久々の鑑賞は、初恋の人に再会するくらいドキドキした。

実はこの映画、森田芳光「初の他人脚本」作品です。たぶん。
当時30歳代半ばの森田君が調子こいてた時期である一方、鼻っ柱が折られた面もあるのではないかと私は睨んでいます。

書けなかったんですよ、脚本。

何度も言っていますが、83年の「11PM」恒例「日本アカデミー賞予想」において、『家族ゲーム』森田芳光が「古典小説だって面白い映画にできる」と言い、「そんなはずはない」と反対する『戦メリ』大島渚の前で、「僕がやれば面白くなる」と大見えを切ったのです。私が森田芳光信者の呪縛から逃れられないエピソード。
でも書けなかったんだ。たぶん。

結果、松田優作の紹介で筒井ともみが投入され、初の他人脚本作品となります。よく考えると、プロデューサーは黒澤満だし、音楽は松田優作のバックも務めたEXの梅林茂だし、松田優作主導の企画だったのかもしれません。

確かこの頃、松田優作は脱アクション俳優を目指していたんですよね。
最初に選んだのが狂老人鈴木清順『陽炎座』(81年)。傑作なんですけどねえ(<ただの鈴木清順マニア)。松田優作は「実にならなかった」的なことをこぼしていたと何かで読んだことがあります。そりゃそうですよ、鈴木清順だもの。「止まったように動いてください」とかいう演技指導だったらしいから。
それで『家族ゲーム』(83年)の縁で、森田芳光との再タッグ企画が立ち上がった。もしかすると、後の深作欣二『華の乱』(88年)も含めて、松田優作は「文芸作品」に固執していたのかもしれません。だから「泉鏡花原作」詐欺に引っかかっちゃったんだ(<詐欺じゃねーし)。

やっとこさ、映画自体の話に入ります。ええっ!
ずいぶん乱暴なのね(<草笛光子の名台詞)

私は森田芳光の計算というかケレン味が好きです。
それが鼻につく人が多くいることも承知していますけど。

例えば音楽。
この映画、音楽が流れるシーンは、代助か三千代いずれかの感情が動く場面に限定されています。唯一例外は森尾由美のイメージショット(?)の箇所だけ。
そもそもオープニングからして、
「先生、手紙が」平岡からの手紙ドーン!
→当然三千代のことを思い出す
→オープニングミュージックと共に静かに浮かび上がる藤谷美和子の肖像!
はい来たコレ!

例えば立ち位置。
風間杜夫が登場する回想シーン。
橋の上で三千代を挟んで立つ代助と平岡。
後の関係性を暗示する微妙な距離感。
そして三千代が池に小石を投げる。広がる波紋。まるで三人の関係性。
はい来たコレ!

さらに言えば、代助と三千代の間には、常に障害物が置かれるように撮られています。
回想シーン。雨の中の二人の間には傘。二人を百合を介して繋がれる。
それ以後も、二人の間には常に何かがあります。
「素敵なものがあるのね」と廊下のオルゴールを見る場面に至っては、二人は並んでいるにも関わらず、屋外から窓越しに撮影し、二人は窓枠で区切られます。
全て計算ずく。森田芳光そろばんずく。

回想シーンで代助が選んだ指輪も平岡が選んだ懐中時計も、三千代は今も身に付けています。そのさり気ない描写。
そしてその指輪を外した手を「仕方がなかったのよ」(生活に困窮して質に入れた)と見せる三千代。その手に「紙の指輪」と言って金を握らせる代助。
ここで初めて二人は触れ合うのです。

しかし三千代は、その金を借金返済や生活費に当てるのではなく、「代助から貰った思い出の指輪」を質から受け出したのです。「いいでしょ?」。
三千代さんラブビーム全開。花器の水をすくって飲んじゃうなど、意外と大胆な女性です。
もはや恋愛確変モードに入った彼女は止まりません。ラムネを瓶のままグッと飲み、大きく息をついて、精一杯、一世一代の愛の告白をするのです。

「淋しくっていけないから、また来て頂戴。」

そろばんずく森田芳光が二人の距離を丁寧に丁寧に演出し、じらしてじらしてやっとの思いで吐き出したこの台詞。
なんと!フィルム状態が悪くて神保町シアターの上映で飛んだのです。

たしかこの台詞の後、それまで「後ろ姿」が強調されていた松田優作が、ほぼ初めて正面を向いて歩くシーン・・・だったはずです。飛んだのです。
藤谷美和子がラムネを飲み始めたら、ブチブチブチって、次には電車による心象風景シーンになっていた。俺が笠智衆だったら「出ていけ!」と怒鳴ってる所だ。残酷だわ。

繰り返しになりますが、代助が歩くシーンはほとんど「背中」から入ります。世の中に背を向けて生きていることの象徴でもあるのでしょう。しかし真骨頂はその先なのです。
私の記憶では、代助は三度、正面に向かって歩いてきます。上述した三千代の告白の直後。雨の中、百合の花を買いに行くシーン。そしてラストシーン(原作では職を求めて街へ出る場面)。つまり、彼が自発的に行動した時だけ、正面に向かって歩くのです(一度だけ人力車でやって来る場面があるが、強い逆風が吹いている。確実に意図されたシーンだと思う)。

事程左様に、観てもいないシーンを脳内補完できるほど熟知した映画を私は再鑑賞する必要があったのでしょうか?
あったんですよ。四半世紀ぶりに観たら新たな発見がありました。

「解釈が済んだ物語は死んだ物語」「いい物語は常に新たな発見がある」。
誰が言ってたんだろう?文学者・石原千秋だったかな?
映画・ドラマ・漫画・アニメ、何でも同じです。異口同音に似たような感想が並ぶ物は「死んだ物語」なのです。

話が横道にそれました。
私はこの映画を「世界で二人だけ映画」だと解釈していました。
リリアーナ・カヴァーニ『愛の嵐』(74年)とかフランソワ・トリュフォー『隣の女』(81年)みたいな。世間に背を向けた男と女の物語。それがこの映画の核だと思っていた。

しかし今回再鑑賞して一番グッときたのは、思わず息を殺して魅入る「僕の存在にはあなたが必要だ。どうしても必要だ」の長回しシーンではなく、最後に松田優作と対峙した平岡だったのです。

「あの時ほど朋友を有り難いと思ったことはなかった。」

「それから以後どうだい?」と問われ「どうもこうもないね」とそっけなく答えながら再会した平岡が、あれほど「この3年で変わった」「あの頃とは違う」「三千代もだいぶ変わったよ」と言っていた小林薫が、なんとあの頃の思い出話をするのです。
「上野から歩いて」「あの橋の上で」と具体的な思い出がエモい。
そう、この映画は、男同士の友情の物語でもあったのです。
思い出しただけでも泣けてきた。

長々語ってしまいましたが、さらに語ります。

私は、森田芳光の(特にオリジナル脚本の)「時代感覚」を信じています。
1986年に制作された次作『そろばんずく』は、バブル時代の狂乱を先取りしていました。でもバブル景気は1986年12月から(byウィキペディア)。バブルの象徴ジュリアナ東京だって1991年。森田芳光はいち早く時代の空気を読み取っていたのです。
また、Windows98登場以前の1996年には『(ハル)』でネット時代の到来を予見しています。『ユー・ガット・メール』(98年)より2年も前にね。
『わたし出すわ』(2009年)では「お金より価値のあるもの」を、遺作となった『僕達急行 A列車で行こう』(2012年)では「多様な価値観を許容する人の輪」を提示しました。森田芳光は優れた「時代の読み手」だったのです。

そして本作では、原作にあるとはいえ、「実に痛快ですな」と書生が新聞記事を語るほど汚職事件(日糖事件)に触れます。
私はそこに意図を感じるのです。
「これからは土地だよ」なんて台詞にも意図を感じるのです。
森田芳光の「時代感覚」は、いずれ狂乱バブルに陥る変な空気を感じ取っていたのかもしれません。
だから「古典」にこだわり、「人の心の物語」を描こうとした、と考えるのは穿った見方でしょうか?誠者天之道也。
そう考えると、次作『そろばんずく』は、森田君の「どうよ!俺の振り幅」自慢だと思っていたのですが、根底は、狂乱の時代へ向けた「危惧/揶揄」という同じものだったのかもしれません。

もっとも、これほど熱く語っておいてナンですが、私の映画仲間内では概ね「低評価」なんですよ(苦笑)。
言うてもキネ旬1位ですからねっ!
よくってよ、知らないわ。

(2021.09.23 神保町シアターにて鑑賞 ★★★★★)

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監督:森田芳光/1985年 日

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