ドラマ『新宿野戦病院』 でーれーおもろいドラマじゃったが…(ネタバレ雑感 )
2024年7-9月期のフジテレビ水曜22時枠の連ドラ。全11話。
宮藤官九郎脚本作。
実は私、小池栄子先生のファンです。
俳優で「先生」と呼んでいるのは、小池栄子先生以外は蒼井優先生と故・緒形拳先生だけ。なぜ先生と呼んでいるのか、いつから何がきっかけだったのか、実はすっかり忘れてしまいましたけどね。
2010年5月、今は無き青山円形劇場の舞台でナマ小池栄子先生を見ました。劇団、本谷有希子第15回公演「甘え」
ええオンナじゃ。ぼっけーええオンナじゃ。
思い返せば、私の安藤玉恵好き、本谷有希子フリークはこの舞台から始まった気がしますが、小池栄子に関しては既に「先生」と呼称しておりました。
堤幸彦『恋愛寫眞』(03年)で映画を掻っさらうと同時に我々のハートも掻っさらって以来、彼女が主演した『接吻』(08年)では「現代日本最高の怪女優」「京マチ子の再来」とまで評し、同年の中島哲也『パコと魔法の絵本』(08年)の怪演辺りで「小池栄子先生」と呼び始めたように思います。
私の小池栄子先生好きの話はもういいですか?そうですか。
このドラマ、なんでも重鎮・河毛俊作が「クドカンで『救命病棟24時』やりたい」と言い出したのが企画の発端だとか、何かで読んだか聞いたかした気がします。気のせいかもしれないけど。
ま、私は『救命病棟24時』を観たことがないんですけどね。というか、医療ドラマをほとんど観たことがない。殺人事件は好きなんですけど。
それはさておき、いずれにせよフジテレビでのクドカンドラマは珍しい。
私は元々、クドカン作品は「中学生みたいな僕たち」の「集団喜劇」だと思っています。このドラマでも、太賀や濱田岳君、岡部さんなんかがグダグダしているクダリは「中学生みたいな僕たち」の構図です。
そして、ボンクラな男達が右往左往している隣で、女達は「女神」、劇中の言葉を借りれば「マドンナ」的に描かれ、皆したたかで強い。
それを逆説的に証明したのが『監獄のお姫さま』(17年)のような気がします。
私が最初に「クドカンが描く女性は女神である」と感じたのは、自身の監督作『真夜中の弥次さん喜多さん』(05年)でした。
この映画の小池栄子先生は女神。というか菩薩。
私、棟方志功好きなんですが、棟方志功の描く女性と小池栄子先生って似てると思いません?思いませんか。ああ、そうですか。
話をクドカンに戻します。
「中学生みたいな僕たち」の物語、いわば「青春ドラマ」だったクドカンが、最近、山本周五郎原作の『季節のない街』やTBS磯山P『不適切にもほどがある!』辺りから、非常に社会性を帯びるようになってきたように思うんです。
クドカンも50歳を過ぎたということが大きいのかもしれません。
そして今回のドラマは様々な社会問題を縦横無尽に斬り倒し、最後はまさかの「未来設定」パンデミックで、コロナ禍の総括にまで至る。
おそらく、コロナ禍の際に思っていたことを吐き出したんでしょう。
ただ正直、あんまり消化(昇華)できていないように思います。当時思ってたことをゴロンと提示したような印象。
たしかに私も思いましたよ、「濃厚接触」なんて店名のピンサロが出てくるんじゃないかとか。
でも、いま、歌舞伎町にあんな衛生的な箱ヘルやソープの建物があるかな?歌舞伎町の雑居ビルはもうだいぶ古いからね。2丁目まで行って角海老ビルならいいんじゃないか?
そんな無駄話はさておき、『不適切にもほどがある!』と共通するものがあるように感じたんです。
「ルールや規則」と「道理」は違うんだ、という話。
ヨーコ先生も小川先生も、人としての「道理」は何も間違っていない。
ただ、世の中のルールや規則に合わないだけ。なんなら逮捕までされちゃう。
もしかすると、世の中のルールや規則を盲目的に信じていいのか?という提言だったのかもしれません。