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映画『メグレと若い女の死』 犯行の動機より捜査の動機(ネタバレ感想文 )
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パトリス・ルコント8年ぶりの新作だったそうですが、私がルコント作品を観るのは30数年ぶり。
『仕立て屋の恋』(1989年)、『髪結いの亭主』(90年)以来。
あの頃、日本のミニシアターブームも重なって、流行ったんですよ。
そんなルコントも、もう75歳なんですね。
今回は二番館で鑑賞。
そもそも「メグレ」自体もジャン・ギャバンが演じたのを随分昔に観たきりです。『サン・フィアクル殺人事件』(59年)だったかな?全然覚えてないけど。
へえ、「名探偵コナン」の警部は目暮っていうんだ。メグレは警視だけどな。
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正直、若い頃はルコントの良さがイマイチ分からなかったんですが、彼の作品は短編小説のような「小品」のイメージがあります。
その特徴が、おそらく本格推理であろうこの話と上手く噛み合うのか疑問でしたが、なんかねえ、殺人事件そっちのけで、いい「小品」話だったんですよ(笑)
ルコントも75歳なら、ジュール・フランソワ・アメデ・メグレ役のジェラール・ドパルデューも74歳になるそうで、2人ともかなり老成した感があります。
何ていうのかな、彼らの視線が「女」を見る目じゃなくて「娘」を見る目になったというか。
特にドパルデューは長いこと観てますからね。
ドパルデューが隣人の人妻とドパルデューするトリュフォー『隣の女』(81年)だったわけじゃないですか。ドパルデューに成りすましたドパルデューが人妻をドパルデューする『ゴダールの決別』(93年)だったわけじゃないですか。(もはやドパルデューって言いたいだけ)
例えるなら、20数年前の私はモー娘。をエロい目で見ていましたが、10数年前の私はももクロを姪の運動会を見守るように応援していましたよ。
なに?例えが分かりにくい?
この映画、3人の「若い女」が出てきます。
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ネタバレになるので詳細は省きますが、彼女たちは皆、都会に憧れて上京したという共通項がある一方で、全く異なる立場で物語に関わるわけです。
そこで、本来なら、というか、普通描きたくなるのは、「格差」のような気がするんです。
都会と田舎、富める者と貧しい者。言ってしまえば「都会でもがく貧乏な田舎出身の女性の苦悩」が物語の中核になりそうな気がします。
ある意味『あのこは貴族』(2020年)。
ところがこの映画は、前述したお爺ちゃんたちが「娘」を見る視線で描かれるのです。
もちろん、捜査の過程で、彼女たちの「物語」が描かれるのですが、実はその掘り下げよりも、彼女たちに接するメグレの「心情」にスポットが当てられる。
犯行の動機よりも、捜査するメグレの動機を解き明かしていく。
ちょっと珍しいと思うんですが、75歳パトリス・ルコントの興味は、やはり同世代だったようです。
でも、まあ、楽しかったですよ。
中途半端に中年・老年の悲哀みたいなリアル話にするより、フィクションに昇華して、作者の意図を忍ばせるほうが健全な気がします。
(2023.06.25 下高井戸シネマにて鑑賞 ★★★☆☆)