映画『サンダカン八番娼館 望郷』 想像以上にドラマティック(ネタバレ感想文)
「女の生きざま映画」です。
あまり熊井啓とご縁が無くて、今まで観たのは『黒部の太陽』(1968年)と『千利休 本覺坊遺文』(89年)しかありません。
特に利休さんものは、同年の勅使河原宏の『利休』が大好きなもんだから、私はあまりピンと来てない。
私は熊井啓を「日本の暗部を描き続けた作家」だと思っているので、どっちも熊井啓の本質ではないんじゃない?そんなことない?
そんなわけで熊井啓には社会派のイメージがあるんです。社会派というか「告発系」。
そういった意味では、山崎朋子のノンフィクションを原作とした本作は本領発揮だと思うんですけど、意外にドラマティックな演出だったので驚きました。
高橋洋子が風呂場で泣くシーンとか、なかなかの過剰演出(笑)。
もしかすると、この耳の痛い題材をソフトに包むための道具としてのドラマティック演出だったのかもしれませんけど。
本作はとかく田中絹代が取り沙汰されますが、まず第一に高橋洋子の映画です。
田中絹代の回想という形で、彼女の若い頃を高橋洋子が演じ、娼婦として売られた「女の生きざま」が描かれます。これがこの話の主眼。
そう考えると、今村昌平『女衒』(1987年)も観ないといけないな。
また、原作者に相当する女性史研究者を演じたのが栗原小巻。
研究者として身体を張る彼女の姿も、またある種の「女の生きざま」。
そして、田中絹代と栗原小巻の友情というのかな、それが、まあ、ドラマティックというか、ベタベタというか、雨のように湿っぽい。ドラマティック・レイン。言いたいだけ。
ただ、前述したように、こうしたベタな部分が、切っ先鋭い告発系の題材を丸くしているのも事実。
それ故なのか、この映画の感想として、あまり社会派的な、あるいは思想的なことを語る気が起きません。ま、50年後に観たというのもありますけど。
ついでに言うと、とかく田中絹代が取り沙汰されますが(二度同じことを言っちゃった)、ターキーこと水の江瀧子も出てるんです。
映画出演は十数年ぶりだったんじゃないかなあ?
私は晩年の柔和なお婆さんタレントのイメージしかないのですが、ターキーも田中絹代も「往年の大スター」でリアルガチに「激動の人生」を歩んできた二人が「女の生きざま」を語るという趣向の映画だったんですよ。
元松竹少女歌劇団男役スターでその後大物プロデューサーになった水の江瀧子に、元娼婦の大物元締めという、実人生を想起させるような役を与える。
田中絹代だって同様ですよ。
だって、あの大女優がですよ、本作出演時は65歳頃で、67歳で亡くなるんですが、最晩年は借金まみれだったっていうじゃないですか。
実生活と役がオーバーラップする。
そういった意味では、役の向こうの「女の生きざま」を垣間見た気がします。
そう考えると、田中絹代は実人生も『西鶴一代女』なんだな。
(2024.09.07 CS放送にて鑑賞 ★★★☆☆)