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映画『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』 (ネタバレ感想文 )前田愛ちゃん超可愛い(<俺の邪心覚醒)
平成ガメラ3部作は、「序破急」だと制作サイドが言ってた記憶があります。伊藤和典が言ったのかな?
しかしこの「急=終章」、私は納得しておらず、実は公開時以降再鑑賞していませんでした。
今回22年ぶりの再鑑賞。4K HDR版。HDRって何?(<もういいよ)
1999年という世紀末に作られた本作を、東日本大震災やコロナ禍という厄災経験を経て2021年に再鑑賞した結果、やっぱり納得できなかった(笑)。
納得できないと言うか、「特撮最高、ドラマが弱点」というのが正直な感想です。
特撮最高!
特撮は本当に素晴らしい。
移動する車内からガメラを見上げるという驚異の特撮を見せた『ガメラ2』からさらに進化。
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渋谷や京都の出来も素晴らしいし、炎に包まれる様も美しい。『炎上』(58年)より美しい。
技術もさることながら構図が美しいと思うんです。あとねえ、奥行きの見せ方が素晴らしいんですよね。京都の街中をビャーって飛ぶガメラを追うカメラ縦移動とか好き。
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一方、人間ドラマは「?」
「架空シミュレーション」の面白さで引っ張ってきたこのシリーズを「人間ドラマ」で幕引きしようとした意図は理解できます。やっぱり最後は「人」ですから。
『ガメラ2』レギオンが外来種だったので、被害者の憎悪が生んだ「内なる敵」という発想も分かります。そのためにも人間ドラマは必要だったでしょう。
これが2001年の9.11以降でしたら「復讐の連鎖は断つべし」という決着だったかもしれません。でも1999年世紀末、お前も蝋人形にしてやろうかという時代でしたから(<そんな時代じゃない)、「人類は」「地球は」という視点に立って「終わりの始まり」という方向に帰着したことも納得します。
でもさあ、内閣官房の謎の女とか、謎のゲームプログラマーとか、何なの?
「謎のチョメチョメ」を出すようになったら手詰まりの兆候。
怪獣映画は「どうなるんだろう?」が興味対象なのに、謎ビト登場で「何だろう?」を持ち込んでしまった。
本来この作品が解き明かすべき「何だろう?」は「ガメラの存在理由」なのに(実際、ガメラの墓場発見シーンから映画は始まる)、「前田愛ちゃんが育ててるのは何?」の上に「山咲千里に手塚とおる。お前ら誰?」が加わって混乱してしまった。
そして肝心の「ガメラの謎」は、マナだかカナだかマカだか、腑に落ちない説明がなされる。
「こういうの、抵抗あります?」ってセガールの娘は聞くけど、抵抗はないけど腑に落ちない。いや、腑に落ちないというか、説明がグダグダしててかえって邪魔。
謎の解明とドラマが重ならない
結局、謎の女Bと謎のゲーマー(<違う)は、ただの気味の悪い説明要員に終わってしまい、人間ドラマを担っていないと思うんです。何だろう?この二人「浅い」んですよ。
前田愛ちゃんが「幼さ」故、「熱いよイリス」とか言いながら事態を悪化させてしまうのは納得しますが、この大人二人まで幼い(浅い)のはいかがなものかと。電車が止まったからって何をボンヤリ京都駅で突っ立ってんのさ。「本来なら巫女になるべき存在だった」というドラマを全然担えていないし、終末思想の代弁者にもなっていない。背負っているものが見えてこない。それは演出のせい?脚本?役者の格?
いずれにせよ、謎の解明とドラマがリンクしないままだった印象です。
だって、この映画最大の人間ドラマは螢雪次朗なんだもん。
本来なら「オマケ」というか、「ファンサービス」のポジションですよ。
(2021.11.23 Morc阿佐ヶ谷にて再鑑賞 ★★★★☆)
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