映画『林檎とポラロイド』 (ネタバレ感想文 )その指示、なんなん?
ハリウッド女優のケイト・ブランシェットが製作総指揮に名を連ねているそうですが、ギリシャの映画です。
ギリシャ映画は、以前は巨匠テオ・アンゲロプロスくらいしか知りませんでしたが、最近ではヨルゴス・ランティモスなんかを観ます。
私の狭い「ギリシャ映画観」では、寡黙で、ちょっと変わった世界観の映画の印象です。この映画も例外ではありません。
被写界深度の浅い撮影が目立ちます。
背景がボケ、被写体が浮き上がる撮影。
私には、主人公の「世界」が狭いことを意味しているように思えます。
結論を先に言ってしまえば、「記憶」をめぐるストーリーですが、主人公が探しているのは「自分の世界」なのです。記憶とは、一個人の人生=世界そのものなのです。
映画の序盤、主人公が花を手に花屋から出てきます。
このシーン、ほとんどピントが合っていなかったと記憶しています。
おそらく、彼の「世界」は既にぼやけていたのでしょう。
カットが変わると、完全に記憶をなくしてバスの中で発見されるシーンになります。
なお、この時の花は、映画終盤、すっかり枯れた状態でお墓の前で再登場します。おそらく彼は、墓参りの帰りのバスで発見されたのでしょう。
そう考えるとこの映画は、「墓参りと墓参りの間の物語」であることが分かります。
ということは、この墓の下にいる人が、彼の記憶喪失の要因であり、彼の人生という「世界」の核であった、というわけです。
実に周到な映画です。
「その指示、なんなん?」と書きましたが、「刺激」を与えることが目的なんでしょうね。
車をぶつけたり、高飛び込みとかパラシュートとか。そうした物理的な刺激だけでなく、精神的な刺激もあります。死を看取るのはその一つ。そしてそれが、彼の失った「世界」を取り戻すきっかけになるのです。
「物忘れ防止の効果もある」と果物屋に言われて、林檎を買わないシーンがあります。物語も終盤近くだったでしょうか。
主人公は、「忘れたい記憶がある」ことを「思い出した」のです。
それでも彼が「指示」を続けるのは、記憶を取り戻すためでなく、新しい生活という「自分の世界」を得るためだったかもしれません。
いい映画というか、興味深い映画でした。
(2022.03.13 新宿武蔵野館にて鑑賞 ★★★★☆)