映画『失はれた地平線』 万人にとっての理想郷は存在しない(ネタバレ感想文 )
「アメリカの良心」フランク・キャプラ。
分断の時代の今こそ観るべき映画監督です。
特集上映をやっていたもので「とにかくキャプラが観たいんだ!キャプラだったら何でもいい!」くらいの勢いで映画館で観たら、割と変な作品掴んじゃった(笑)
いや、別に変な映画というわけではないんです。その過度な「お花畑的理想主義ファンタジー」に興ざめしかけたというだけでね。
万人にとっての理想的な映画は存在しない。
もっとも、自分の年齢とか心情とかで受け止め方が変わると思いますしね。
いずれにせよ、この映画の製作当時の背景を考慮しなければいけない気もしますし。
映画が作られたのは1937年。日本は昭和12年。
ジェームズ・ヒルトンの原作小説が発表されたのは、その4年前の1933年。
第一次世界大戦終了(1918年)から第二次世界大戦開始(1939年)の間のこと。ちょうど、大恐慌とナチスが台頭していった時代。
そんな時代を背景として、「アメリカの良心」キャプラはこの映画で「理想郷」を描こうとします。
ちなみにこの理想郷の土地の名前が「シャングリラ」。
この映画(というか原作小説)が「理想郷=シャングリラ」の語源だそうです。
チャットモンチーとか、電気グルーヴとかね。
幸せだって叫んでくれよ
さて、この理想郷が「お花畑的理想主義ファンタジー」に感じられちゃうんですよ。観客にとっても、この映画の一部の登場人物にとっても。
これ、今の映画だったら、「そうは言っても、猥雑な人間がいるから世界は面白いんだぜ」「蜂の巣みたいだ東京」って展開になると思うんです。
でもこれ、本当に「お花畑」なんだろうか?
原題は「Lost Horizon」。
地平線なのか境界線なのか限界なのか、いずれにせよそうしたものの「Lost」であって、このタイトルに(お花畑的)理想郷の意味はなく、むしろネガティブな印象さえ受けます。
人は何を失ったのだろうか…
また、劇中も「中庸」という言葉が出てきます。
孔子ですな。あるいはアリストテレス。
つまり、極右が台頭した時代に極左を理想とした、というわけでもない。
実際、シャングリラに戻れたかどうか不明ですしね。
「(そんな場所に)辿り着けたらいいよね。乾杯!」って話なんですよ。
いや、もしかしたら、最初から理想郷なんて「妄想」でしかなかった……という解釈は……さすがに穿った見方でしょうか。
夢でKISS KISS KISS……
(2024.07.21 渋谷シネマヴェーラにて鑑賞 ★★★☆☆)