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映画『あのこは貴族』 新時代の「細雪」(ネタバレ感想文 )

とてもいい映画です。
いい映画なんですけど、胸に何かが引っかかってモヤモヤムカムカするので早く吐き出したい(笑)。
原因は分かってるんです。私が男であり、東京で暮らす地方出身者であり、上の世代であるから。薄々感じていたのに見て見ぬふりをしていた現実を、目の前に突き付けられた嫌悪感かもしれません。

岨手由貴子という監督の作品を観るのは初めてなのですが、実は『BUNGO ~ささやかな欲望~ 見つめられる淑女たち』(12年)というオムニバス映画の1本「乳房」という作品の脚本で出会っていました。水崎綾女がエロかったことと「たいがいのことは女性(母性)が解決してくれる」という真理を扱っていた記憶があります。
おそらくこの監督は、女性らしい視点で女性を描くことに長けているのでしょう。
そして間違いなく地方出身者です(笑)。あの田舎の空気感は東京の人には撮れません(Wikipediaによれば長野出身、金沢在住だとか)。

私はこの映画の宣伝を見た際、門脇麦と水原希子の設定が逆だろうと思ったんですね。門脇麦が純朴な地方出身者で、水原希子が洗練された都会のイメージだろうと。甘かった。そのイメージ自体が「地方出身者が思う東京のイメージ」だった!

描かれているのは「これからの時代の女性の生き方」

この映画は『テルマ&ルイーズ』(91年)的なシスターフッドムービー(女性版バディムービー)と捉えられることが多いでしょう。もちろんそれは正しいのですが、私は姉妹物でも『細雪』だと思ったんですよね。主人公二人ばかりでなく石橋静河や山下リオも含めて、新時代の『細雪』。言わば「これからの女性の生き方」の物語。
主人公達の目には、自分らしく生きる友人達の姿が輝いて映ったことでしょう。でも決して順風満帆ではない片鱗も描かれます。
さらに言えば、女性が「世界に挑む」「(地方を発信する会社の)起業」といった旧世代にはなかった(成功は未知数だけど希望がある)発想。石橋静香が言う「女性同士で叩き合う必要はない」という旧世代にはなかった価値観。いずれも「これからの女性の生き方」に対する希望や期待の提示だと思います。

世代と階層による価値観の相違

映画の舞台は2016-18年(平成28-30年)という平成が終わろうとする頃ですが、主人公たちはこれからの新しい時代を生きる女性です。仮にこれを「令和世代」と命名しましょう。
そんな門脇麦にとって、10歳離れた姉=石橋けい、姑=高橋ひとみは「目の上の瘤」の世代として存在します。言わば「平成世代」。ちなみにバイプレイヤー好きで石橋けいとか高橋ひとみとか大好物の私もこの世代に相当します(<関係ない)。そこには「価値観の相違」という大いなる溝が横たわります。
しかし恐ろしいことに、この旧世代のもっと上に「昭和世代」という大旧世代が存在します。それが津嘉山正種演じる祖父です。さすがに死にゆく世代として描かれますが、「親の生き方をトレース」した世代、言い換えれば「昭和の価値観がまだ残っている」のが平成世代なのです。
面と向かって「うっせえわ」とは言えない令和世代のささやかな抵抗は、「身体を冷やさないで」という姑の忠告を無視してアイスバー食っちゃうことくらいなのです。

この世代間による価値観の相違を縦の糸とすれば、横の糸は地域や家柄といった階層による価値観の相違です。
世代間では抑圧された門脇麦ですら、何の悪気もなく「お雛様飾らないなんて信じられな~い」と平然と言ってのけるのです。恐ろしい。無意識に誰かを傷つけることは誰にでも起こり得る。やっぱり閉ざされた状況下では価値観が澱むんですよ。広い世界に目を向けよう。書を捨てよ、町へ出よう (<昭和!)。

自分でハンドリングできる等身大の生き方

門脇麦の登場は、タクシーに乗る彼女を並走する車から捉えたショットです。これ、なかなか大変な(面倒くさい)撮影だと思うんです。監督のわがままだな(笑)。
ある意味間違いなんだよ。主人公の視点だと思ってたらそこに主人公が登場するんだから。
なので普通なら、車窓から見える風景ショットから後部座席の門脇麦に切り返して「窓外を流れる夜の東京をぼんやり見ている」という導入部にするでしょう。しかし違和感こそ、作り手の意図が潜んでいるヒントなのです。
おそらく岨手由貴子は、タクシーを鳥籠に見立てたのです。ファーストショットで門脇麦を籠の中の鳥として描写したかった。だから車外から撮影する必要があったのです。もうこのショットで「勝ち」ですよ。映画監督岨手由貴子は、ほんの数秒のわがままショットで、己の才気を世に示し、この映画の成功を掌中に収めたのです。

一方、水原希子は大荷物を抱えて電車から降りて登場します。
タクシーと電車。これは二人の対比であると同時に、乗り物が彼女たちの生き方(考え方)の暗喩となっていることの現れです。

終盤、石橋静香を助手席に乗せ、門脇麦が車を運転します。つまりこれは、タクシーの後部座席に座っていた(運転手から「元旦からホテルで会食!」と羨ましがられていた)門脇麦が、自ら運転席に座るまでの物語なのです。
言い換えれば、籠の中の鳥から自分で自分の生き方をハンドリングするまでの物語。

水原希子も同様です。
大荷物を抱えて乗っていた電車から身軽な自転車へ。
背伸びした(無理した)生き方から等身大の生き方への物語。

正直、観ている最中は胸が痛くて苦しかったのですが、そのモヤモヤムカムカの原因を私が「男」「東京で暮らす地方出身者」「上の世代」であることとつきとめ、上述の通り吐き出したらスッキリしました。スッキリしたから言うけどね、いい映画です。面白かった。

余談
「男の描き方」も胸に引っかかりましたけどね。これは女性にしか描けない。ほんと男ってやーねと俺も思う。
でも一番モヤモヤムカムカしたのは「松濤より上がある」現実と、そんな世間から隔絶した階層が世襲で国家を動かしている現実なのかもしれません。ま、そういう政治的なことは抜きにしましょう。
(2021.03.08 渋谷WHITE CINE QUINTにて鑑賞 ★★★★☆)

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監督:岨手由貴子/2020年 日(2021年2月26日公開)

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