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韓国ドラマ「ナビレラ」について個人的考察
久しぶりに良質なドラマに出会ったので私なりの考察を書いてみたいと思います。ここから先はネタバレを含みますので、ドラマ未視聴で視聴予定のある方はご遠慮ください。
さて、この「ナビレラ」というNetflixで見たドラマ。設定がいいんですよ。
主人公の一人シム・ドクチュル(ドラマの中ではずーっとハラボジと呼ばれています)70歳のおじいちゃんがバレエを真剣に習いたいと言うところから始まります。
いや、どう考えても無理っぽい設定。昔やっていたとか、趣味でやるとかじゃなくて、最終的には舞台に立って「白鳥の湖」を踊りたい言うのですから。登場人物だけでなく、視聴者もこれはどうなることやら?の滑り出しとなります。もう一人の主人公23歳の才能はありながら、何故かスランプな青年、イ・チェロクがおじいちゃんのバレエの先生となります。
★周りの人々が変化する
おじいちゃんがバレエを真剣にやりたいと言った事は最初おじいちゃん家族にも秘密にしているのですが、流石にバレてしまい、家族会議まで開かれることに。奥さんを始め、3人の子ども、孫まで巻き込んでちょっとした騒ぎになります。
一番反対していた奥さんへナムさんは長男のソンサンがおじいちゃんに食ってかかる様子を見て爆発。誰のためにおじいちゃんはこれまでずっとやりたかった事を我慢してきたと思ってるの!と突然の賛成派に。長女のソンスクはおじいちゃんとおばあちゃんにペアの登山服を買い、登山でもと付き合いますが、これもうまくいかず。次男のソングァンだけは別におじいちゃんの好きにしたらいいんじゃない?と、特に興味もない様子。何故ならソングァン自身も医者を辞めた人間だから。チェロク自身もなんで俺がこの老人の世話をしたり、バレエを教えたりしなければならないんだ?と不貞腐れているのですが、おじいちゃんの真剣な眼差しや努力を目の当たりにすると、少しずつ二人の間に友情のような、本当のおじいちゃんと孫のようななんとも言えない感情が芽生えていきます。
まるで湖に小石を投げると何重にも輪が広がっていくようにおじいちゃんを中心に、周りの人達の関係性や考え方が少しずつではありますが変化していく様子を丁寧に描いています。このあたりの描き方が押し付けがましくなく、不自然な箇所もなく非常に秀逸です。
おじいちゃんのバレエは単なる起爆剤で、作り手はこの周りの人達の変化を描きたかったのだと視聴者は途中から気づき、涙が止まりません。
★現代韓国社会が抱える問題が散りばめられている
韓国ドラマにはよくある手法ですが、社会問題をチラチラと提起するのが非常に上手い。
まずは老人はこうあるべしといった風潮や男子がバレエを始める時のハードルの高さ。常識や世間体に縛られて生きている人がいかに多いか身につまされます。
長男のソンサンは銀行勤務ですが、奥さんは娘(おじいちゃんの孫)が生まれた時はワンオペ育児で限界状態。これも日本と相通じますね。
その孫娘ウノが大学を出て、飲食店でインターンをして無理難題を押し付けられた挙句、結局正社員にはなれない厳しい就職難。
チェロクの父親は彼の高校サッカー部監督だったが、行き過ぎた勝利史上主義で体罰をし、服役。チェロクとの間にも隙間風が吹いている。
長女ソンスクは結婚10年を迎えるが子どもに恵まれない。ドラマ中ではあまり詳しくは描かれていないが不妊治療を「もう諦めようと思う」という涙ながらのセリフから、結婚して子どもが出来ない夫婦(特に女性側への)風当たりが相当彼女を追い詰めている事が伺い知れる。
次男のソングァンは医者を辞めた経緯をドキュメンタリーに撮りたいと思っているが、なかなかその撮影もうまくいかない。一口に医者と言っても患者の死をうまく自分の中で処理出来る人とそうでない人が居る。明らかにソングァンは後者。救えなかった患者に罪悪感を抱き続ける、本来なら心優しいタイプ。
長男のソンサンはある日銀行で濡れ衣を着せられ、責任を取って銀行を辞める羽目に。自分の家庭を蔑ろにしてまで一生懸命務めた勤務先からのまさかの仕打ち。韓国中年男性ならあるあるの悲哀。
少子高齢化に伴う介護の問題、認知症の受け止め方、本人の希望や尊厳をどこまで守る事が出来るか、家族に出来ること、家族だからこそうまくいかない事、外部委託するならどこでどのタイミングでするのが良いか、これは日韓というか、先進国共通の答えのない命題。
つらつらと書いて見たけれど、ストーリーの中にこれだけの社会問題を練り込んで、皆が考えさせられる具体的なエピソードを盛り込むのはなかなか至難の技だと思います。
★相手を許すこと、自分を許すこと
チェロクの高校サッカー部の同級生、ヤン・ホボムはチェロクお父さんの体罰により、サッカー部が廃止となり、サッカーで身を立てたいと言う夢を断たれた不遇な青年。4年経った今でもグループでチェロクのバイト先やビリヤード場でチェロクをいじめたり、罵ったりする役どころです。チェロクと殴り合いになってチェロクの足に怪我をさせてしまい、チェロクは直近のコンクールに出られなくなったりします。なかなかのイケメンで憎むのが難しいのですが、最初は何でも人(主にチェロク父)のせいにして、ムカついているのですが、チェロク父の謝罪と、おじいちゃんのアドバイスによって少しずつ自分のやりたかったサッカーに向き合うようになります。そんなホボムをチェロクも許し、ホボム自身もコンプレックスや恨みだらけだった自分の事をある意味許していきます。癒やしていくと言った表現が近いかもです。
これもチェロクの真隣におじいちゃんが居たからこその心境の変化ですね。希望が垣間見えます。
★何かを始めるのに年齢は関係ないというスローガンへの問い
よくエクササイズや資格試験の謳い文句に「何かを始めるのに遅すぎることなんてない。思い立ったらその日から!」のようなキャッチコピーが見受けられますが、それは本当かな?と、私は常々思っています。
やはり何かを始めて極めるには適齢期というものがあり、それを過ぎるとなかなかうまくいかないのが世の常なのではないかと。
じゃあ70歳でバレエを始めたおじいちゃんはどうなるの?って事ですが、この際おじいちゃんがバレエが上達したかどうかは最初の方に書いたようにあまり重要な要素ではありません。もちろんチェロクのようにジャンプも跳べないし、クルクルとターンも出来ない。お腹はぷよぷよ出ているし、顔はシワがしっかりと刻まれています。
でも。
でもね。
それでいいんです。
それがいいんです。
おじいちゃんが踊るバレエはおじいちゃんにしか踊れないものだから。人生長い事生きて来て良いことも悪いことも辛いことも嬉しいことも、たーくさん経験して来たおじいちゃんにしか踊れない唯一無二のバレエなのです。そう、それは競技というより芸術。いや、人生讃歌。
おじいちゃんが練習している時、チェロクと一緒の時、時々おじいちゃんが子どもだった頃や若い頃の映像がセピア色で挿入されます。決して楽な人生ではなかったはずなのに、おじいちゃんは懸命に人生に家族に向き合って来た事が良くわかります。
それが全ておじいちゃんのバレエに滲み出ているのです。
このドラマが目指すのは70際を超えても筋肉ムキムキの若々しいバレエダンサーを鍛え直すのではなく、ありのままのおじいちゃん、いつも頑張るおじいちゃんへの人生応援歌になっているところがまたすごく良いと思います。
もちろん、チェロク、おじいちゃん共に踊るシーンはスタントさんが踊っておられるのでしょうがその繋ぎ目を感じさせないほどにお二人共よく練習されていました。
全12話と韓国ドラマにしては短めでしたが、見終わった後にいつまでも続く余韻と溢れ出る涙がいつもより透き通ってみえるのは私の錯覚でしょうか。心が少しだけほんわかと温かくなるような作品でした。
おじいちゃんがバレエを始めると言い始めて12話の中で、おじいちゃんに直接的に間接的に関わって来たチェロクを筆頭に様々な人々の人生の歯車がカチリ!と音を立てて動いて行く様を私達視聴者は聴くことになりました。例え、それが諦めであったり、妥協や方向転換であったとしても、彼等はその時出来る最善の選択をして、必ず音を立てているように思えてなりません。
ここまでお読みいただきありがとうございました。