今の時代こそ「変人」になれ!
構成と「変人」の定義
酒井敏、小木曽哲他『京大変人講座』(三笠書房、2019)
本書は6章構成です。各章は京大の教授陣が担当していています。
各先生方の視点は確かに「変人」的です。よくもまぁそんな視点を持てますね...と思わず感服。
本書での「変人」の定義とは、いわゆる”変わっていてヤバイやつ”ではありません。
ここでの「変人」の定義は、世の中の当たり前のことに疑問を持ちそこから行動に移すことの出来る人のことです。
社会一般から見ると、非効率に思われること、なんであんなことに熱心に打ち込んでいるんだろうと思うことに真剣に取り組み、頻繁ではないが、とても大きなイノベーションを起こす人。
本書での「変人」はそのような感じでしょうか。
特に4章と6章は個人的にかなり面白かったです。
第四章:不便益-便利な社会は豊かな社会?-
便利な社会は果たして豊かな社会なのでしょうか?
便利⇒豊か
こう言われると、確かに頭を抱えてしまいます。
不便益を唱える川上浩司先生は、便利さは同時にチャンスの喪失を招いていると主張します。
確かに、Amazonで服や本をインターネットで頼めば自宅に届き便利です。
しかしショッピングの醍醐味とは店に直接足を運んで、「あっ、これ良い!」みたいな偶然の出会いではないでしょうか。
僕がAmazonで本を頼むよりも、書店に足を運んでダラダラ見るのが好きな理由はそういうことなのだなと感じました。
積極的に不便益を勝ち取れば、色んな出会いが待っているかも...?
第六章:カオスな世界は本当にカオス?ーフラクタル理論ー
カオス理論。
”北京で蝶々が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起きる”みたいなことをどこかで聞いたことがあるでしょう。
実はカオス理論とは、「小さな無数の要因の誤差が、将来結果の大きな違いを生み、未来予測は限りなく不可能に近い」と考える理論だそうです。
だとすると、この世界はまさにカオスそのもので、予測から逆算して計画的に生きるのは全く無意味な世界ということなのでしょうか?
酒井敏教授によると、自然はテキトーだからこそ強いとのこと。
????(意味不明...)
自然界には、フラクタル図形で溢れています。
フラクタル図形とは、全体と部分がかなり似通った形をしている図形のこと。
確かに、上にあげた木をみると、枝も葉(部分)も、木(全体)と形が似ていますよね。
これがフラクタル図形です。
この世界は、そんなフラクタル図形とカオスで溢れています。
さらに、我々の生きる現実のネットワークには普通は存在しないと、酒井教授は主張しています。
これを、「スケールフリー性を持ったネットワーク」と言うそう。
この「スケールフリー性を持ったネットワーク」は、無計画に発生したもので、ぐちゃぐちゃであるからこそ、ひとつの関係性が切れても、別のバイパスで繋がっていて、全体のバランスは崩れない。
無計画だからこそ、強いネットワークが築ける!!
人間は理性的な存在であると同時に、生物でもあることには変わりなく、この世界の一員だからこそ、理屈で効率性を追求するばかりでなく、生物らしく、”ぼちぼち”生きることもまた大切。
これが、酒井教授の言いたいことだと感じました。
効率を追求するばかりの近年の日本社会に警鐘を鳴らし、「アホ」なことにも注力する人がいてもいい。
酒井教授は、『京大的アホがなぜ必要か―カオスな世界の生存戦略―」(集英社新書、2019)でこう述べています。
この本についても後日読書感想を別で書こうと考えています。
所感
本書を読んで感じたのは、”効率良く生きることのみを追求することは危ない・常識を無批判に受け入れるのは危ない”。
まさにこの一言に尽きると思いました。
今は、新型コロナの影響をもろに受けています。
大学生の僕は、3月からほとんどを家で過ごしています。
「家ですることないな...」
そう思った僕が手を伸ばしたのは、それまであまり好きではなかった書籍でした。
就活のESや面接、その対策で疲れると、全く就活に関係のない本を読んでいました。
全く効率的ではないですよね...。
ただ色んな書籍を読んでいると、「あれこの話、この企業の面接でも使えそうやぞ」「本ってめちゃおもろいやん」
こう思いました。
まさに新型コロナの襲来という予測不可能でカオスな自然に、僕がたまたま適応して、違う人生の楽しみを見つけた瞬間でした。
新型コロナの猛威には太刀打ちできません。
予測不可能な新型コロナという自然に、”ぼちぼち”適応しながら、これまでの生活習慣を変えてみる・常識を疑ってみる(最近テレワークの急速な普及など以前では考えられなかった新常態が進んでいますよね)。
新型コロナウイルスの影響を受けた今だからこそ、本書は読んでみる価値があると感じました。
こんな今だからこそ、積極的に「変人」になりたいですね!!