Peton

jazz好きな社会人4年目。 哲学を読むのが好き(理解できるとは言ってない)。 数学も…

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jazz好きな社会人4年目。 哲学を読むのが好き(理解できるとは言ってない)。 数学も好き(理解できるとは言っていない)。 日々疑問に思ったことを呟く。

マガジン

  • データ再考

    昨今データ分析がもてはやされているが、改めてデータって何なのか、そして我々はデータによって何を知りうるのか、そんなことを書き連ねる。

  • 退屈について考える

最近の記事

データはあくまでも足跡

前回、前々回と「データ分析」という行為について考えてきた。昨今のデータ信奉の社会は、ビジネスから人間を追い出し、ビジネスを無機質なものにしてしまっているのでは?データを用いた予測には原理的な限界があり、そのことの認識を、データ分析を始める出発点とすべきでは?そう述べてきた。 我々が手に入れられるデータには、原理的に限界がある。具体的には、何を知りえないのか、これを考えてみたい。そしてその不可能性を人間という存在をビジネスに取り戻す反転攻勢の着手点としたい。 相関関係統計学

    • 不確実性からの逃走 -碇シンジのイヤホン

      電車の些細な光景暇だしイヤホンをつけて、スマホでも触ろうかな。 電車内などでよく見る光景だ。しかし、この光景を何気なくぼーっと見ていたときに、シン・エヴァンゲリオン劇場版のあのシーンが思い浮かんだ。 主人公の碇シンジが一人っきりでイヤホンを耳につけ、うつむいているシーンが。 しかもこの描写、何回も碇シンジの聴く旧式のウォークマンが巻き戻されるシーンが描写される。 不確実性なんて大嫌い人はなぜイヤホンをつけてスマホを触るのか?暇つぶしであることは間違いないが、暇つぶし

      • データだけじゃ、何にもならない

        先日、昨今のデータ信奉の社会に対しての疑問を書き連ねた。データを重視するあまり、生身の「人間」が最適解としてしか扱われず、ビジネスから「人間」の姿がなくなっているように思う。 前回の投稿では、データによって我々は一体何を知りうるのかについての課題を残していたので、今回はそのことについて考えようと思う。が、そもそもデータとは何かについて考えないことには始まらない。 データとはデータによって我々は一体何を知りうるのか?を考える前に、そもそもデータとは何なのかについて考える必要

        • カントを現代に読む理由

          大学4年生から興味を読み始めた哲学も早4年が経ち、少しずつなんとなく分かるようになってきた(気がするだけだと思うが…)。 今まで幾人かの哲学者の著作を読んできたが、その中でも理由は分からないが惹かれ続けているのがカント。言わずと知れた巨匠。ただ、彼の生きた時代から200年以上が経過した今、カントを読む理由はなんだろうか。 まだカントの哲学を解釈できているとは思わないし、彼の概念体系について批評できるような能力は持ち合わせていないが、ヘルベルト・シュネーデルバッハ著『現代の

        データはあくまでも足跡

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        • データ再考
          3本
        • 退屈について考える
          3本

        記事

          仕事ってなんだ。

          なんで仕事をするのか?東京に来て1年3カ月が経った。大阪とは違うところで働けたのは良い経験だった。周りの人たちが、毎日残業を3時間はしているという環境が初めてだったこともあり、仕事について考えるようになった。 「仕事って何やっけ?」 私には、周りの人たちが作業をしているようにしか見えなかった。たとえやりたい仕事だったとしても、それが作業になってしまえば、何のために働いているのか分からなくなるのでは?そう感じた。今回は、仕事ってなんやろうということを考えてみたい。 仕事と

          仕事ってなんだ。

          なりたい?自分

          普段いつも通りに仕事をしていると、「もし今の会社が潰れたら、私の今のスキルは、他では通用しなくて、仕事を得られなくなるのでは…」とか漠然とした不安に襲われることがあります。 この不安に耐え切れず、他社でも通用するスキルを獲得するため、 「転職しよう!」 と思い立ち、コンサルから内定を貰って、後は現職に 「辞めます!」 というだけのところまで実際にいったことがあります。 結局転職せず、現職に留まったのですが、よくよく考えてみると、安易に転職しなくてよかったと感じています。な

          なりたい?自分

          どこか寂しい東京

          今年の1月から25年暮らした大阪を離れ、1年という短い期間ではあるけど東京で暮らし始めた。何度か旅行などで東京に来たことはあったが、毎回東京に来る度に感じるのが、「どこか寂しい」という漠然とした感情。東京で暮らし3か月、それがなぜなのか漠然と私なりに見えてきたように思う。 挨拶が少ない東京新年度が始まり、近くの中学校でも新学期が始まったみたいだ。通勤路沿いにある中学校の近くを通る際、そこの生徒さんだろうか、通りすがりの人に「おはようございます」と挨拶している。僕も挨拶された

          どこか寂しい東京

          百貨店

          昨今、百貨店を取り巻く環境は非常に厳しい。なぜ百貨店の話を唐突にするのか。それは私が百貨店に勤める人間だから。20代で百貨店を選ぶなんてどういう神経してるのか、そんな声が聞こえてきそう。まぁでもダイエーがほんの数十年で没落したのに対し、百貨店は江戸時代から続くところも多い。よほどしぶといだろう。でもまぁ、今厳しい業界であることは変わりなくて、このままではヤバい。 何がどうやばいのか じゃ、なにがどうやばいのか。1つは百貨店ではデータ活用がビックリするほどに進んでいないとこ

          学び放題ってどういうこと?-知識という商品、私という商品

          会社から、○○経営学び放題6か月コースを受けられるようになったとの報告がありました。 学び放題....?!?! 「学び放題」という言葉の違和感に襲われました。今回はこの言葉の背後に潜む、知識という商品を解き明かしたいと思います。 ○○放題の言葉の裏にあるもの焼き肉食べ放題!!月額○○円で映画が見放題!! よく巷で耳にする言葉ですよね。そもそも当然ですが、○○放題は、定額で好きなだけ焼き肉を消費出来たり、映画を見られたりするということです。 つまり、定額で好きなだけ商

          学び放題ってどういうこと?-知識という商品、私という商品

          またあの「日常」が戻って来るまで

          先日新型コロナウイルスに罹患した。症状自体は苦しい時も確かにあったが、さほど苦しくはなかった。苦しかった、いや今も苦しいことは、隔離という状態だ。ほとんど人と話すこともない。隔離された毎日の中で、読書をしたり、映画を見たりしている。 普段の休日も同じことをして過ごすことが多いが、隔離中の読書や映画鑑賞はどこか身が入らない。生きることの目的がないというか、喪失感に似た感情が私を覆っているような感覚だ。 ところで卒業してもう5ヶ月になる。社会人となり、まず感じたことは生きる意

          またあの「日常」が戻って来るまで

          退屈な時間は無駄か?-退屈について考える③

          現代では、休日に際して充実した一日を過ごさなければならない、というある種の強迫観念に囚われそうになります。休日にインスタ映えで話題のカフェに行ったり、将来のキャリアアップのために自己投資をしたりする方も多いでしょう。 ですが、そこで一つ質問。 それは本当に自分がしたいことなのでしょうか? この休日の過ごし方には、時間を無駄にすること、退屈することを一種の損失と感じさせる心性があると指摘したのが、鷲田清一氏です。 私はさらに考えを進めて、この心性の裏にある直線的な時間感

          退屈な時間は無駄か?-退屈について考える③

          心は脳ではないー新実存主義とは

          私たちは科学が圧倒的優位の時代を生きています。そんな現代では、脳科学の進歩も著しいです。痛みを感じる時は脳のどの部位に電気が生じているかとかを解明できるようになったことで、 いつかは脳科学によって脳を物理的に作れるのでは?だとすると、心を持つロボットを作れるようになるんじゃないか? こんな甘い期待を寄せそうになります。しかし本当に心を作れるようになるのでしょうか?心はどうやったって人間の手で作れそうには少なくとも私には思えません。 今日の、心を自然の秩序の中のみで説明し

          心は脳ではないー新実存主義とは

          意識はイリュージョン-錯覚する脳

          久しぶりの本紹介です。 今回は心脳問題を取り扱った前野隆司著『錯覚する脳』を紹介します。 皆さんは心と脳の関係についてどんな立場に賛成しているでしょうか? 心は脳という物体の物理現象の結果に過ぎないとか、心は物体に還元できないとか。 様々な意見があると思います。私自身は、なんとなくどうしても心が脳内のシナプス結合とか電気発火とかのみの結果生じるものだとはとても思えません。 著者の前野さんも本書の冒頭でハッキリとこう述べています。 本書では意識がイリュージョンである

          意識はイリュージョン-錯覚する脳

          本当に楽しいことだけで良いのか?-人生における苦と楽

          漠然とした違和感 「人生自分の好きなことで生きていきたい。」 近はよくこういった言葉をよく見かけます。ただ、個人的にはこの言葉に対してどこか納得出来ませんでした。何というか、違和感をずっと感じているとでも言いましょうか。 この長年抱いてきた違和感に対する現状の答えはこうです。 「人生自分の好きなことで生きていきたい。」という言葉は、人生を生きるということが誰にとっても多かれ少なかれ苦しいことだということから目を背けているように思われるから。 この答えに辿り着くための大

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          幸せが見つからない理由

          「幸せになりたい!」「充実した人生を送りたい!」 これは人類に普遍の願いであることは疑い得ないです。 しかし、けだし逆説的ではありますが、”幸せになりたい・どうやったら幸せになれるんだろう”の呪縛は、私たちを幸せから遠ざけてしまう気がします。 だったら、幸せにどうしたらなれるのか??結論から申し上げますと、 幸せについて考えない。 これだと私は思います(拍子抜けした方は申し訳ございません...)。 幸せになるために、幸せについて考えないことが必要であれば、この記事

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          コペルニクス的転回

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