結局ネガティブ思考に陥ってしまうのです。
今後の日本においては、様々なリスクが考えられる。
新自由主義政策の推進により、ますます格差と分断が強化されている。著しい人口減少による少子高齢社会状態は、どんな影響を生み出すだろうか。首都直下型地震や南海トラフ地震が、私の生きている間にはおそらく起きるだろう。加えて、引き続く円安によるデフォルトの可能性はあるだろうか。最近は話題に上がらないが、台湾有事が起こる可能性も消えたわけではない。
そのように考えると、希望に溢れるキラキラした未来を思い描ける社会情勢ではあまりなさそうだ、思ってしまう。
上記リスクの中でも、私が特に大きく心配しているのが、格差の拡大と貧困問題だ。
貧困とは、シンプルに言うと選択肢が少なくなることを意味すると思う。人間の幸福感に大きく繋がると私が考えているのは「自己決定権」であり、それを保証するためには、多様な選択肢が用意されている必要がある。
しかし、(確かに限度はあるにしても)ある特定の選択肢を金銭的な理由で諦めなければならないことがある場合、それは人々の幸福感を大きく下げてしまう可能性がある。しかも多くの場合、貧困家庭の子どもたちは貧困によって最初からその選択肢を狭められた状態で生きていかねばならない。
近年よく言われる「自己責任論」の怖さはここにあって、全ての責任を個人に帰属する形での社会運営は必ず限界が来ると私は思う。
大変ありがたいことに、自分自身はたまたま大きな不自由を感じることもなくここまで生きることができたが、そうでない人たちは世の中にたくさんいるだろうし、自分だっていつそういう状況に陥るかはわからない。
そんな社会情勢の中で、私だって本当はワクワクする未来を思い描きたいところではあるが、上記の状況に加えて、そもそも自分自身はそういうポジティブなタイプではないから、かなり悲観的になっているところがある。
この「ネガティブ思考」というほぼ本能的な思考のクセは、もうこれから変わることはないだろう。だから少なくとも、この思考のクセを理解して、それが発動しないように工夫するか、発動したとしてもうまく活用できるように工夫することが大事なのだ。
上記のようなリスクに対応していくために、やっておかなければならないことは死ぬほどあると思う。
そういうとき、「生きていくために、環境に対応するための備えをしなければいけない」と考えるか、「ワクワクする新しくて楽しいことに取り組んでいる」と考えるかでもだいぶ感覚違うが、なかなか思考の切り替えが難しいなぁと思っていつもそこで立ち止まってしまうのが自分としてはネックだ。