将棋棋士を推すということ
アイドル文化などから派生してきた「推し」という言葉。もうすでに市民権を得た日本語として目にしない日はないほど使われている。しかし私には、子どもの頃から慣れ親しんでないぶん、使ってはいるものの、自分の中ではほんの少し気恥ずかしさを感じているというのが正直なところだ。
ファンよりも推し、と表現するのは英語で言うならLikeやLoveやFavoriteをひっくるめた感情をあらわすのにぴったりだからだろう。そう言うといや、推しは推しだし、なんて言われてしまいそうだ。「推し」に明確な定義はない。何を範疇に含めるのかまで人それぞれで自由だ。
最近の言葉はとても便利である。「ヤバい」「尊い」「エモい」何か素敵な感情を表現しようとすると、だいたいこの3つで事足りる。
普段の友人との会話やTwitter等のSNSを開いても、この3つの言葉が溢れている。
表現をわざわざ工夫せずとも、受け取る相手が心情を察してくれて、概ね辻褄が合うのでコミュニケーションが取りやすい。ヤバいね、うんうん。察し合う優しさがそこにある。
日本語の言い回しの多様さを愛し、言霊をとても大切に思っている私にとっては、なんだか取り残されてしまいそうな時代のスピード感だ。言葉を選ぶ時間さえ惜しむほどに毎日は猛烈な勢いで流れていく。
そんな私が今熱烈に「推し」ているのが将棋棋士の豊島将之先生だ。対局予定をチェックすることは言うに及ばず、SNSでの発言を注視し、グッズが発売されれば即購入、クラウドファンディングを呼びかければ即協力と、生活が豊島先生を中心に回っていると言っても過言ではない。
過去に公開させて頂いたnote記事の中で、私が先生を誤解し続けていて本来の姿を知り衝撃を受けた事、自らに高い目標を課して真摯に努力する姿や、武士道のように潔く貫かれた強い信念に感じ入った事などを熱弁してきた。
しかし、本当にそれだけだろうか。私は影響されやすい性分で、将棋界に興味を持ったきっかけも藤井聡太先生の29連勝が巷の話題になったからだ。いつも熱しやすいが冷めるのも早く、次々と目新しいことに興味を示す。ところが豊島先生の応援に関しては冷めるどころか熱量が上がる一方なのだ。
立っても座ってもその佇まいは洗練されて指先まで美しく、盤面に没入している場面でも猫背になる事は皆無で、背筋が真っ直ぐに伸びている。醸し出す雰囲気までも品格に満ちている棋士のひとりである。
だが私はもっと本質的なところで、豊島先生にしかない魅力を感じていることは間違いない。
おこがましくも推察するなら、豊島先生は相手に対する共感力、察して対応する力が特に優れておられると感じている。それはおそらく5歳の頃から将棋道場に通い、相当年の離れた将棋仲間とも長い時間を過ごしてきたことが影響しているのではないかと思っている。
豊島先生は対局中に相手の表情をよく見ておられる。これは、複数の先生方が豊島先生と対局していると途中で目が合うので気まずい、照れると仰っているので、先生の特徴とも言えるだろう。
つい先日も「地球代表」のキャッチフレーズで知られる深浦康市九段がABEMAトーナメントのチーム豊島Twitterアカウントで呟いてくださっている。
https://twitter.com/abt5_toyoshima/status/1514444729563619328?s=21&t=T1cguwpvTzE_q1vX8N7U9w
観察力に優れているかたというのは、自然と相手の波長に合わせて応対する能力が高く、一緒にいるとこちらが気を遣わなくとも非常に居心地がいい。普通の対人関係だと、かなり年齢が離れている場合それだけで神経をすり減らしてしまうが、この能力が高いかたが相手だと、ホッとするような不思議な安心感がある。
対局中の豊島先生は周囲を凍り付かせるほどの強い覇気を放っているが、ひとたび勝負を離れると、目尻も下がり柔和で穏やかな笑みを浮かべ、優しげな青年そのものだ。あの、先程までのあのお方と同一人物でしょうか?そう問いたくなる程に慎ましやかに微笑む姿はその温かみで人を惹きつける。
向き合う相手に対して自然体で、懐の深さと安定した情緒を感じさせる。時にはそれが行き過ぎて(⁈)なのか、あっち向いてホイには滅法弱いところも何ともチャーミングだ。
「棋は対話なり」を積み重ねたことで会得した豊島先生の高度な応接力が、日々の生活で〆切や目標達成に追われ、すっかりパサパサに乾涸びてしまった私の心に優しく沁みこんでいくのだ。
将棋界という神聖な見えない結界の向こう側にいる、美しくて手を伸ばすことさえ許されないようなオーラに包まれた存在。眼鏡の奥の瞳は濁りがなくキラキラと澄んだ光を放っている。
ヤバい、目が眩みそうなほど、尊すぎる。その笑顔は鎧を纏い凄まじい守備力を誇る私の心でさえも解いてしまうほどの威力だ。しかしひとたび対局となるとモードが切り替わり、うっかりするとこちらまで吸い込まれてしまいそうな強い集中力をみせる。この落差は一体何なのだ。気づけばあっという間に持っていかれる。
私にとって豊島先生への感動にも似た感情は、素敵だとか、好ましいとか、ひと言で片付けられる類のものでは絶対に無い。どんなに言葉を尽くしてみても、その全ての思いを伝えきることなど到底不可能だと感じてしまう。
だからこそ、豊島先生を全力で推しています、とあえてこの言葉を使うことで、私の感情を推しはかって頂くのが最善手に違いない。
私にとっての「推し」とは。
私の良心の拠り所で目標で尊敬で癒しでトキメキで感激で元気の源で…止まらないのでこの辺りで自粛する。
それ程までに素晴らしいかたに出会えた幸運に感謝しつつ、推し道を極めるべく時には豊島先生の棋書を読みながら眠りにつく。◯図から▲◯◯、△◯◯、(繰り返し)…。
頭に盤面を思い浮かべるのが難しくて徐々に睡魔が襲う。
棋力が弱いので理解できるレベルには達していないが、他の事を忘れて集中できる幸せな時間だ。まるで絵本の読み聞かせで健やかに眠りにつく子どものように、私のささくれた心も丸くなっていく。
推しがいる生活は無敵だ。辛いことがあっても、徳を積んだのだと置き換えて考えられる心の強さを手に入れる事ができる。しかし、実はまだ夢中になれるものが見つからない、というかたがもし読んでくださっているとしたら、私は迷いなく将棋をお薦めしたい。
将棋、いいですよ。素敵な先生方がいっぱいなんです。そう言いながら竜王戦写真集やサバンナ高橋茂雄さんの著書「すごすぎる将棋の世界」をそっと手渡してみたい。
【最後に】
本日4月30日は豊島将之先生の32歳の誕生日。
新たな一年が先生にとって充実した素晴らしい一年となりますように。
長文をお読みくださり、ありがとうございました。
※2022.5.5 追記
花言葉は他にも「貴方は幸福を振りまく」があり、豊島先生が名人位を獲得した際の揮毫「清福」のイメージにも重なる。