高校生活最後の夏、藤本渚四段が挑むABEMAトーナメント2023
初めて見た動く渚先生(対渡辺名人戦)
2023年7月8日、ABEMAトーナメント予選Eリーグ第1試合に、新四段の藤本渚先生がチーム千田の一員として登場された。
現役最年少プロ将棋棋士、現役の高校3年生。小学3年生でアマチュア竜王戦香川県予選で優勝するなど、大人顔負けというよりもむしろ並居る大人を圧倒する上達の速さには、プロ棋士としての今後の活躍を予感させる才能のきらめきがある。
渚先生に関してはプロデビュー当時の記事を読んだり、加古川青流戦などの棋譜を見たりするくらいで、居飛車党で、どちらかといえば力戦を得意とする事くらいしか事前情報が無い状態だった。
初めて対局する姿を拝見したのが渡辺名人戦だったので、物怖じせず、芯の強さを感じる佇まいが特に強く心に刻まれた。
チーム動画では最年少の弟分として、おぼつかない手つきで一生懸命にタコ焼きを焼く(しかも事前に練習してきたという真面目さが何ともいじらしい)可愛らしい高校生そのものだったが、将棋盤に向かった途端、その表情は一変した。
相対する渡辺名人に気後れするそぶりもなく、一礼を交わしてからはスッと盤面に入り込むように凝視する。一手5秒のフィッシャールールでも慌てたり苦しげだったりと乱れが無い。一手一手を、しっかりと覚悟しながら指し進めている事が、素人の私の目からでも見てとれた。
ひとことで言うなら渚先生の将棋はとても綺麗だ。
定跡通りであるとか、巧妙な狙いを秘めた好手とか、残念ながら私の棋力ではプロの先生方の指し手の素晴らしさを全て理解できるまでには至らないものの、それでも感じ取れるのは意思の一貫性である。雑味のない将棋とでも表現したらいいのか。
強靭な受けで居玉のまま、すっくと玉の威厳を保ち続けている。無駄を削ぎ落とした真っ直ぐな軌跡で駒が振り下ろされていく。
百戦錬磨の渡辺名人が、大駒を封じ込めようと試みるも思ったような戦果が得られない。さすがに困惑したように何度も首をひねる。対する渚先生は丁寧に間合いを図り、堅陣を武器に、渡辺名人の攻撃を寄せ付けない。
これは大番狂せがあるかもしれない。私がそう思った瞬間、ABEMA実況解説の藤森哲也五段も「これはジャイアント・キリング見えてきたぞ!」と興奮気味に仰った。最終盤、攻守両方に利く馬の配置も絶妙だった。渡辺名人は持ち駒の飛車と歩だけでは攻めの継続手が無いと判断し、投了となった。
渡辺名人戦終局後インタビュー
冷静沈着、揺らぐことのない着実な指し回しで勝利した後には、すぐに高校3年生の表情に戻っておられるのが印象的だった。
「早指しとはいえ名人に勝てたことは、本当に一生忘れない」と初々しく白い歯のこぼれる笑顔で嬉しそうに話された。見ているこちらまで嬉しくなってしまう素直なかただ。
幼い頃から将棋のプロを夢見て、やっと掴んだプロ棋士の道を歩み始めた渚先生にとって、頂点に君臨する名人に勝利したことは、大きな自信になるだろう。続いて初のA級昇級を決め意気の上がる佐々木勇気八段との対局が行われ、双方譲らずの千日手指し直しから見事に撃破し2連勝を挙げ、確かな実力を示す結果となった。
予選突破、本戦トーナメントへ
翌週行われたチーム藤井戦では個人成績1勝2敗となったものの、初出場勢として予選総合成績が3勝3敗の指し分けは素晴らしい。チーム千田が予選Eリーグを突破し本戦トーナメント進出を決めたのも、渚先生の金星が大きく貢献しているといえる。
今回大会から個人成績を競う個人賞が設けられた事もあり、ぜひ敢闘賞候補として本戦トーナメントを次々と勝ち上がり、活躍を期待したい。
気になる本戦の組み合わせは、初戦で昨年の優勝チームであるチーム稲葉との対戦が決まっている。稲葉陽八段と出口若武六段とは、井上慶太九段門下として兄弟弟子対決となる。
一門の研究会でたくさん教わってきたであろう兄弟子に、立派に成長した姿をみせるのも“恩返し”のひとつだろう。
純粋に最年少者は応援したくなるのが人情ではあるが、渚先生の対局中の落ち着いた姿は、良い意味であまり年齢を感じさせない。
これは将棋界が年齢に関係無く対局で交流する機会があり、マナーと礼儀を守り年長者であっても年少者に対して敬意を払って感想戦を行うなどの文化が根付いている事から、若くともしっかりと応対のできる素養が身につくのだろう。また、勝負という厳しい現実と幼い頃から向き合ってきた事で、胆力や集中力が鍛えられている事も大きい。
高田明浩四段が今期の加古川青流戦開幕戦を前に、出場棋士紹介のツイートをしてくださった。
渚先生は、今は無くなったものの奨励会時代には、対局相手をじっと見つめる「藤本にらみ」で有名だったそうだ。初めてお顔を拝見した時から、勝負師らしくキリリとした切れ長な目元から才気が溢れていると感じていた私はなるほどと納得した。
ABEMAトーナメントでも、対局室への移動で一瞬垣間見えた強い眼光にドキリとさせられた。
ブレずに意思を貫く人の視線は驚くほど澄んでいる。中途半端にゆるっと生きている自分には眩しいのだが、まるで強い磁石に吸い寄せられるかのように目が離せなくなる。
私にとって渚先生はその数少ない存在のひとりになる事は、間違いない。