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豊島将之九段と品格の証明

将棋界は藤井聡太さん一色

本日スポーツ雑誌「Number」1060号は将棋特集号として発売される(地域によっては入荷日に変動あり)。サブタイトルは「〈竜王戦開幕特集〉藤井聡太と王者の証明。」ハリーポッターと◯◯の◯◯、スタジオジブリ映画の◯◯の◯◯のような響きで、発売後即増刷が約束されたようなタイトルだ。

2022年度も上半期を終え藤井聡太先生は棋聖・叡王・王位と3つのタイトルを防衛した。続いて迎える防衛戦となる竜王戦でも強さを証明してみせることを期待した記事内容が予想される。藤井聡太先生の活躍は本当に素晴らしいことだ。
しかし曲がりなりにも5年以上、観る将を続けている私としては、藤井聡太先生一色の報道にはどうしても残念に思わずにはいられない。

現在報道される新聞や雑誌の将棋記事の割合は80%が藤井聡太先生、10%が羽生善治先生、残りの10%がそれ以外の先生といったところだ。タイトル8つのうち5冠を藤井先生が保持しているのだから理屈としてもやむを得ない。
ただ将棋界には約170名の現役将棋棋士の先生方がおられ、素晴らしい才能とパーソナリティをお持ちなのに、ほとんどのかたがあまり知られていない。
将棋に限らずエンゼルスの大谷翔平選手のように突出した強さというものはそれ自体がセンセーショナルなニュースとなるが、それにしても将棋界は偏りが極端すぎると感じる。藤井先生以外の先生方にももっと注目してもらえたら、将棋の楽しみかたも無限に広がるはずだ。

そこで今回の記事では、雑誌Number将棋特集へのオマージュの意味合いで、スピンオフとして私が尊敬してやまない将棋棋士・豊島将之九段の素晴らしさをプレゼンしてみたい。

【私の考える棋士の品格4つ】

1.人に優しく自分に厳しく
2.実るほど頭を垂れる稲穂かな
3.伝統文化としての将棋を大切にする
4.普及活動への積極的な参加

ちなみに品格といえば坂東眞理子先生のベストセラー「女性の品格」が有名だが、坂東先生が提言されている品格の基本は大きく捉えると「強く優しく美しく、そして賢い」ことだ。
プロ棋士は公益社団法人である日本将棋連盟からの対局料や指導・普及活動などによって収入を得ていること、一般的に先生、とお呼びする事からも、将棋を通じて広く社会へ貢献するという役割をお持ちだ。
人として尊敬できる素晴らしいかたであることに加え、棋士として必要な資質を考えた時に、この4つは欠かせないと考える。そしてそれを豊島将之先生が備えておられることを証明していこう。

1.人に優しく自分に厳しく

実社会ではなかなかこんなかたにはお目にかからない。私自身は人に優しく、自分にも優しい(甘い)。人に厳しい人は、温厚な日本人には少数派かもしれない。時々見かけるのは人にも自分にも厳しい人。その恐怖政治によって組織で偉くなったりもしているので、なかなか淘汰されない厄介な存在だ。

豊島将之先生ご自身は、1日も休むことなく日々将棋に打ち込み、研究中も鏡を置いて怠けないようにと律しておられるのは有名な話だ。しかし人に対しての応対については、彼を知る人の口からは次々とそのお優しさを語るエピソードしか出てこない。
私が一番好きなのが井田明宏四段が記録係の時の思い出を語るツイートだ。

私はこのツイートを読んでから豊島先生の対局開始に注目したが、100%記録係の準備が整ったかどうか視線を送り、確認してから初手を指しておられる。
ピリッと張り詰めた空間で、その緊張感はいかほどかと案じてしまう記録係に対し、このように自らがお優しい応対をされるのは、豊島先生の場を察した行き届いた心遣いに他ならない。

2.実るほど頭を垂れる稲穂かな

将棋界に限らず、一流のかたになればなるほど腰が低い、と断言したくなるほど傲慢さや不遜な態度がみられない。しかも卑屈さや自虐でも何でもなく、客観的に自分を見つめて、まだ道の途中なのだと仰るかたが多い。
豊島先生は竜王と叡王の二冠として昨年第62期王位戦に挑戦される際のインタビューで、特別な才能を持った藤井聡太さんと比較すれば私は一般的な棋士ですと仰ったことにも驚いたが、私が特に印象的だったのは2020年2月のこの記事だ。

大阪文化賞。歴代の受賞者にはサントリー文化財団の佐治敬三氏や作家の小松左京氏など各界で功績を残した著名人が名を連ねる中での受賞である。竜王名人同時戴冠という偉業を成し遂げながらもしっかりとご自身をみつめた、地に足の着いた謙虚な受け答えは、この頃にはまだ豊島先生のファンになる前だったが、とても好印象だった事を記憶している。

3.伝統文化としての将棋を大切にする

「将棋を次の100年へ」これは新・将棋会館建設に向けてのキャッチコピーだが、なぜこれを次世代に残さなければならないのかという動機づけは非常に大切だ。
将棋は単純にジャンルでいうとボードゲームのひとつだ。昭和で廃れたインベーダーゲームに熱狂した時代をうっすら記憶する人間としては、ではなぜ将棋が100年続くと言えるのかを答えなさいと言われると確かに難しい。

ただ少なくとも言えるのは、将棋には江戸時代に将軍の御前で対局を披露した御城将棋の頃から続く、伝統の様式美があることだ。
タイトル戦ではほとんどの棋士が羽織袴の和服姿で臨む。開始時には深々と一礼をし、大橋流・伊藤流で駒を並べる。盤への着手は人差し指と中指をすらりと伸ばして行う。こういった所作には随所に美しさが感じられ、時の徳川将軍はこのような景色を眺めておられたのかと思いを馳せることができる。
勝った棋士も負けた棋士もみだりには感情をあらわにしない。相手の心情を慮り、感想戦を終えた後は上位者が丁寧に駒を片付けて再び深く一礼して対局を終える。
とはいえ棋士も人間なので、ボヤきや大きなため息、マイクがしっかり拾うほどの盛大な舌打ちをするかたも中にはおられる。褒められた事ではないけど仕方ないよね、と苦笑しながら見ているが、豊島先生に関しては全くそれが無いのだ。十数時間もの間、苦しみ悩ましい局面でさえ静けさを保つ姿は、培ってきた精神修養の賜物なのだろう。
豊島先生を見ていると、この様式美も含んだ将棋文化をぜひ次の世代に受け継いで欲しいという強い気持ちが湧いてくる。ゲームもコンピューター全盛の時代に、人が将棋を指す事の意義を身をもって体現してくださる貴重な先生のお一人だ。

4.普及活動への積極的な参加

品格の条件として、自らの立場をよく理解して相応しい振る舞いができる事は外せないと考えた。
将棋界は藤井聡太先生の出現後、少しずつ知名度を上げてはいるもののまだ十分とはいえない。
普及活動は今でいうSDGs(持続可能な開発目標)的にも大切だ。どの世界であっても、それがどれほど素晴らしいものなのかが世間に認知されて初めて価値を持つからだ。
豊島先生は新将棋会館クラウドファンディングでも東西両方の対面イベントに参加されるなど、多忙な対局スケジュールをこなしながらも精力的に普及活動に取り組んでおられる。

30万円(15名限定)イベントは即日完売となった
100万円の指導対局にも支援者2名が参加された
20万円(25名限定)トークイベントも完売

特に東京・将棋会館での対面イベントは前日にABEMAトーナメント本戦の生放送に出場され、深夜遅くに宿泊先に戻られた当日というハードスケジュールだった。参加されたかたがTwitterに掲載してくださった写真を拝見したが、疲れた表情も見せずに優しい笑顔を振りまいておられた。参加者はきっと大喜びされ、とびきり大切な思い出の1日を過ごされたに違いない。
将棋界全体の事を考えて粉骨砕身で取り組む豊島先生は、トップ棋士としての自覚を持ち、無理を承知でも自分の役割を果たそうとする気概に満ちておられる。

品格は人を感動させる

私の考える棋士の品格の4つの条件に豊島先生がいかにピタッと当てはまるかは、たったこれだけのエピソードでも十分にお伝えできたと思う。
つまり、豊島先生の日々の活動を追い続けるだけで、どこを切り取って紹介してもそれが素晴らしい品格を感じさせるエピソードになるのだ。

2022年10月4日、第70期王座戦五番勝負第4局に挑戦者として臨んでいた豊島先生が敗れ、1勝3敗となり惜しくも奪取は叶わなかった。
しかし、王位戦挑戦、他棋戦の対局も連続する中でのクラウドファンディングイベントなど、ご自身でも苦手な季節と仰る夏を過酷なスケジュールで走り続けてきた豊島先生が、シリーズ総括のインタビューで答えたのは、実力不足だった、もっとよい将棋をお見せしたかったという言葉だった。

将棋界や応援するかたを思って努力を尽くし、時間を捧げ身を挺して頑張り続けてこられた姿はもう十分すぎるのにこの発言だ。これほどのかたが実力不足と仰るところに到底思いが至らないので、それを聞いた瞬間は私の脳がバグを起こしそうだった。
それでもなお豊島先生はご自分の目指す高みへと意識を向け続ける事を決してやめようとはなさらない。潔く美しい敗者の弁だった。
私はいったいこれから何度豊島先生に感動してしまうのだろう。

まだ見た事がないというかたにはぜひ一度、豊島先生の対局姿をご覧になって頂きたい。百聞は一見にしかず。言葉では言い表せない世界なのだ。
私はそれが間違いなく豊島先生の品格の証明になると、自信を持ってお約束できる。

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