鍵垢にしてもなんでこんなに大変なんだろうと考えてみた
※この記事は、下書きから救済した記事で、情勢に合わせて変更をしています。
最近様々なSNSを運用しているけれど、鍵垢にしなければ、自分の心がぼろぼろになったり、最悪知り合いや家族にまで迷惑をかけることが増えた。
「質問箱」なるものを置いてみると、Instagramでの写真に対しての文句をつけられたり、趣味の書道の作品に対して誹謗中傷を受けた。
最近では、家族の入院のことで「私ね、それ知ってるから」という内容を書かれて、ひどい捨て台詞を吐かれた。
だから、もうあまりにも誹謗中傷やいたずらがひどいアカウントについては、仕方ないけれど鍵アカウントに変えて運用している。
現在は仕事はしていないし、宣伝することも特にないから、のんびりと活用していたはずだった。
ある日、鍵アカウントでも自分の心を守るのが難しい話が出てきて、思い切って辞めてしまおうということが出てきた。
TL上では何も書かずに平然としていたけれど、「これはひどすぎる」という話が出てきて、ショックを受けた。
あまりのショックですぐに見えないようにしたけれど、公の場で書くことではないし、辞めてほしかった。注意をしたところで、その人の商売上書くことをやめないと思う。
今、コロナ禍2年目で心がどんどん荒んでいるのを、毎日ひしひしと感じる。楽しいことを書くこと自体が難しいと思う。海外からの情報を仕入れるようにしているけれど、なかなかいい情報に巡り会えない。
鍵アカウントという狭い世界の中で、少しは楽になれるのかなと思ったけれど、案外視線を狭めてしまうと危険性もあるんだと気付かされた。
かといって、鍵を解錠したら、無事でいられるのだろうか?
その補償はゼロだと思う。
SNSは顔が見えないことや匿名性から、誰かを攻撃するなんて容易いし、傷つけたという「痛み」を感じにくい。
だから、平気で誹謗中傷が始まるし、SNSから離れたくなる。
使っているSNSで「つらい」「しんどい」と感じた時は、コロナ禍が治るまでは離れるのがいいと思うし、覗く時間を自分でコントロールするしかない。
今のところTwitterだけに適用される(可能性は高い)法改正が行われたけれど、この制度でSNSでの誹謗中傷がどれだけ減っていくか、期待はしたい。
本来は鍵をかけたくないユーザーに対して、そして他のSNSに対しても安心して使えるように、システムの改善とユーザーの意識変化が行われることを期待する。