ソーシャルディスタンスがもたらしたものは?
今でも「ソーシャルディスタンスを守って並んでくださいね」と、お店で並んでいると、店員さんに指摘されて「おぉ」と床に貼られているシールの位置に並ぶ。
コロナ禍以降「ソーシャルディスタンスを守って」とよく言われるけれど、そもそもソーシャルディスタンスって何?
Goo辞書によると日本では「社会的距離」と翻訳されるそうな。
感染予防の為に距離をとるのは「社会的距離」と訳するのは正解なのだろうかと思う。飛沫感染や接触感染による為に距離を開ける対策なのに、なんだか違和感を感じる。
最近では、ソーシャルディスタンスを「社会的距離」と訳するのは的確ではなく、「フィジカルディスタンス(身体的距離)」がふさわしいのではという方がいる。
子供達は無邪気に「ソーシャルディスタンス!」と屈託のない笑顔で叫んでいるけれど、大人の世界では、なんだか信頼や友情などの距離が離れていく現象が起きてるんじゃないかと思う。
わけのわからない疫病に、対処に仕方はわからないし、不満や不安は重なる。これは当然だ。
訳がわからないのは、今まで親しかった人と急に意見が合わなくなって、疎遠になることや、誹謗中傷がひどくなったこと。
「あなたは今までそんなことしたかなぁ」という人まで、あまり聞きたくない言葉を書いたり話し始めた。
会社員の人だと、パワハラで精神的に参っている人を見かける。一体、世間では何が起きているんだろう。
人間て完璧ではないから、ちょっとした言葉で誤解を招いたり、気分が悪い時に嫌なことをされたり聞いたりすると、腹を立てて怒ることってある。
私も人間だから、今まで誰かを傷つけてしまったり悲しませたことは、多いにある。謝っても許してくれたことはないし、逆に傷つけられて泣いたことはある。
相田みつを先生ではないが「人間だもん」。
間違えは起こすよ、人間だれでも。でも、今そっと手を胸にあてて目を閉じて考えて欲しい。
「自分は今冷静だろうか?自分の心にソーシャルディスタンスを作ってないか?」
気づいて欲しい。といって書いても、ほとんどの人は「知るか!」と怒る。
「あの人と疎遠になったけれど、戻ってきて欲しい」と願うことはある。でも、話しかけることも難しいことがあり、もう自分からは連絡をとるのをやめた人はいる。
無理に相手が設定しているソーシャルディスタンスを縮めることは難しいし、精神力と時間がいる。もうそれも疲れてしまった。
アドラー心理学では、「一度離れたり嫌われたとしても、気にする必要はない」というが、すぐに切り替えられる考えでもないので、アドラーの言葉を覚えておきながら、今まであった縁は思い出にする。
そして、新たに広がる世界へジャンプすればいい。また違う仲間を作ればいい。そこで、また壁を作られてしまった時は、その時に臨機応変に考えて、乗り越えるか破壊するかそっとしておくかを選択すればいい。
訳のわからない疫病の為に、人間は今まで健全であった環境や関係を破壊された。まだ「アフターコロナ」ではないのに。
今はまだ渦巻の中でもがき苦しんでいる最中なのに、社会的分裂はよくない。だから「フィジカルディスタンス」で身体的距離に止めて、自分の根性が悪くならないように、精神面を常に磨いてあげよう。
アドラー心理学で一番人気のある書籍を紹介して終わりにする。