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【日々のつれづれ】晴れなんだか雨なんだかよく分からない天気があったっていい

こんばんは、みよよです。今日noteを書いたのは「毎週書く!」と決めたのでとりあえずPCに向かっている。うん。要するに書くことがないのだ。
けれど書くことないって平和な証拠。いいこと。

先週私は1番最初の職場の子から連絡をもらったということを書いた。思い返してみるとこの年はてんやわんやだった。まずは昇進に必要な研修を受けていた。ちゃんと背景を書くとその2年前にも昇進試験は一応勧めてもらえていたのだが、偉い人からの許可が下りなかった。なぜかというと私の会議に出ているときの態度が酷すぎて(寝ていたりして完全になめていた)、偉い人がお怒りだったから。本当ばかすぎ。(よい子はマネしないように)
もう汚名を返上するのに必死になって頑張り、やっと受けられた研修だった。だが実際に参加してみて、私はまだ昇進すべき年ではないと感じた。もともとぽけーと生きているのでこのまま昇進してもぽけーっと生きてしまうんではないか。だったらもっと自分がプレイヤーとして修業し、社会人として成長できる環境に行ったほうがいい。そう考え転職活動を始めた。

先週書いたように私は2つの職場を掛け持ちしていて、1つは4月からの職場でなじまないといけない、また研修を受けながら通常業務もこなし、休日は転職の履歴書書いて面接ってなかなかハードな1年だった。

で最近改めてびっくりしたのが

そんなにがむしゃらに頑張っていた26歳の時の記憶と記録が一切残っていない。どういうことやねん。

もしその時の記憶だったり、記録が残っていたら(mixiで当時の闇日記は出てきたけど恥ずかしいのでとてもじゃないけど見返せない)、振り返ってみて自分がどう成長したとか何を大事にしていたのか、振り返って今後の役に立てられるのに

何で闇に葬り去っているんだ、何があったんだよと思わず自分にツッコミ。

思い当たるのが、自分の中で1回目の転職を悪だと決めつけてしまったこと。自分なりに考えて、ベストな選択をしたつもりだけど結局2年も経たずに転職してしまった。しかも職場の人はみんな優しくて、理想の職場だったから余計に自分を責めた気がする。

ちょっと話はずれるけれど、大学生の時授業をさぼって映画を見まくっていた。(よい子はまねしないでね)その中で8回劇場で見る位好きな映画があった。バットマンシリーズの「ダークナイト」

※画像はお借りしました

実際にプレミア試写会にも行き、そこでドはまりした映画。なぜどはまりしたかというと自分にない観点に当時はめちゃくちゃびびったから。
ネタバレしない程度にふんわりいうと、この映画の醍醐味はなんといっても悪役のジョーカーにある。

本来悪役は「絶対に許せない」ということをして、嫌われるべき役。だけど私があまりにも勧めすぎて仕方ないという感じで映画をみた両親は口をそろえてこう言った。

「ジョーカー好き!」

私もジョーカーを憎めない。映画でのジョーカーは本当に酷い奴で、人を殺したりもする。だけど、彼の正義は「今の世の中は狂っている、だからあえて壊してやるのさ」という「絶対そんなのだめ!!!」とは一概に言えない「うーんそういう考えもありかも…」という内容なのだ。だから映画をみて「あれ何で彼って悪いんだっけ?」と混乱する。「白」と「黒」で分けられない、「グレー」も存在するということを自分の中で認識できた映画だった。

のわりには自分が1番「白」と「黒」をつけていた気がする。なぜかというと簡単だから。楽だから。それ以上自分の思考を深める必要がないから。

「私はこれが出来なかったからだめな人だ」「こんな結果を出すって本当にぽんこつだ」ってはっきりと自分の経験をOKかNGかで分けるのは簡単だ。けれどそうやって結果をOKかNGかで分けることにこだわりすぎたらだめになってしまう気がする。
実際私の場合も2018年度色々なことに取り組んでみて、自分の納得いく結果はほとんど出なかった。だけど、それって本当に全て無駄なことだったのか?

てか結果にこだわりすぎていたら極論プロ以外何も手を出しちゃいけないになってしまうよね、そんなことないな。

色々なことを取り組んでみた。結果はうまくいくほうがもちろんいいし、結果にこだわらない人生なんてつまらない。だけど、結果がダメだから「うん、私はだめだ。このことは忘れよう」だと振り返りようもないし次に繋がらない。結果はだめだったけれどこんな観点では成長できた!とかこんな学びがあった!とかグレーをも楽しむって視点を持つのがこれから私にとって必要なことかもしれない。

確かに転職自体は「長くいる会社を見つける」という点では失敗だったかもしれないけど、今の会社は4月で5年目。26歳の時の「いったんこの会社を出てみよう」という決断自体は間違っていなかったと思っていて、26歳の私に感謝をしている。

5年後の私が今の私に感謝できるよう、ちゃんと結果にこだわりつつでもその過程での学びも大事に出来るような「グレーの視点」をこれから意識していこう。晴れだって雨だってよくわからん天気だって、大地にとっては恵みをもたらしているみたいに、全ての経験は私の肥やしなんだ、きっと。

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