「障がい者が働けないなんていう先入観や偏見は間違いです」と伝えたい
「障がい者が働けないなんていう先入観や偏見は間違いですと伝えたい」。精神障がいのある親に育てられ、自らも双極性障害に苦しんでいた彼が、取材の中で何度も語っていたメッセージ。その1年後、なんと、自ら「就労移行支援事業所 こねくと」を開設したのです。彼のメッセージを書籍『静かなる変革者たち』でたどってみたいと思います。
『静かなる変革者たち』
ペンコムでは、昨年、『静かなる変革者たち 精神障がいのある親に育てられ、成長して支援職に就いた子どもたちの語り』という本を出しました。
その副題の通り、精神障がいをもつ親のもとで育ち、その後、精神保健福祉士や看護師など、障がいのある人を支援する側になった4人の「こどもたち」が登場し、体験談と座談会を通じ、精神障がいとは何か、親との関係は? どんな苦労があったのか、真に役立つ支援とはどんな内容なのか、などを、当事者であり支援者の立場から、分かりやすく伝えてもらおうという一般向けの本です。
今回、noteでご紹介させていただくのは、4人のうちのお1人。 田村 大幸さんのその後。
プロフィールを簡単に。
母が双極性障害Ⅰ型。生まれたときにはすでに母は発症していたが、特に困った経験もなく育つ。しかし大学3年時に母が躁状態になり入院。サポートする傍ら専門商社に就職するも、入社5年目で、今度は自分がうつ病を発症し退職。体調の波があり、うつの再発2回、仕事が続かない。発症から8年後、双極性障害Ⅱ型と診断されるが、医師と二人三脚で寛解しNPO法人に就職。就労支援員4年目。精神保健福祉士。両親は現在、2人暮らし。母も寛解しパートで働いている。(P102)
とても心優しい青年の 田村さん。体験談の中では、この箇所に涙がにじみました。
母の入院 ─「大幸、助けて!」母の叫び声に一生分泣きました
躁状態の母を何とか受け入れてもらえる病院が見つかりましたが、母は興奮し、診察室に入っても激しくなる一方でした。医師から即入院と言い渡されると、本人は入院したくないと言って泣いてもっと暴れます。すると突然、四人の男性看護師が現れ、暴れる母の両手両足をがっちりと抑え込み、担ぎ上げて入院病棟に向かっていきました。母は私から離れていきます。
「ひろゆき、助けて!」
何度も何度も、その叫びを聞いた時、私は自分のふがいなさと無力感から、こんなに涙が出るのかというくらい泣きました。(P110)
まさか母と同じ双極性障害に
その後、仕事と介護のはざまで、青年は追い込まれていき、何と自らも精神を病み、うつ病、さらに、双極性障害を発症してしまいます。つらい日々が続くなか、医師と二人三脚で薬を調整するなどして徐々に好転していきます。「これ以上、親に心配をかけられない」。リカバリーを目指し、医師の紹介で就労移行支援事業所に見学に行きます。そこで初めて、母以外で精神障がいや発達障害をもった人たちと出会うことになるのです。
会社員の経験しか無い田村さんは、この時の心境をこう綴っています。
どうやって働けるようになるのかイメージがつかなく暗闇の中にいましたが、この出会いで自分ももしかしたら元気に働けるかもしれないと一筋の希望と光を感じることができました。
何か特別なことをしてもらったわけでもないのに、勝手に希望を感じる不思議な感覚を得てから、私のリカバリーは始まりました。(P123)
まず一番に変わったのは障がいの受容でした。
私は発症してから八年間、良くなったり悪くなったりしながらも、自分は障がい者じゃないと受け入れることはできませんでした。受け入れた時に自分のプライドや築いてきた大切なものが崩れると感じていたし、何より障がいに偏見を持っていたと思います。
それゆえ福祉につながるのにも時間がかかりました。
障がいを受け入れた自分は、福祉サービスを受けるために障害者手帳をとりましたが葛藤があったのは確かです。(P123)
次に、自己開示することができるようになりました。
他のメンバーと一緒にグループワークなどを通して、いろいろな困りごとがあり、つらいのは自分だけではないことを知りました。
障がいを隠していて誰とも分かり合えないと思っていた私が、少なくともこの場所では自分を偽らなくてもよくなり楽になりました。(P123)
やがて、青年は「就労支援員」として、同じような苦しみの中にいる人たちの助けになりたい。
そう思うようになっていきます。
再就職─就労支援員として。当事者の自分が元気でいることでバトンをつなぐ
体調の波が安定してきて、自分について時間をかけて考え出した結果、私の選んだ仕事は就労支援員でした。
働きたい人と働いてもらいたい企業のマッチングにおいて私の営業経験を生かすことができますし、ぶつぶつ切れている職歴はあまり褒められたものではないですが、複数の仕事に就いていることが強みになると思いました。
また自分が仕事をしたいのにできなかったことの悔しさや苦しみがあり、就労支援サービスの利用者だった自分がもっとサービスをよくしたいという気持ちもありました。(P124)
そして一番の理由が、私が変われるきっかけになった当事者スタッフとの出会いのように、私も元気に存在することによって、次の人にバトンをつなぎたいと思いました。
それは当事者が自分の経験を生かし、当事者のリカバリーのきっかけになることです。(P125)
さらに、精神科病院に入院していた母が、退院し、パート職員として再就職出来たのです。
それは、以前母親が働いていた会社の社長さんから「田村さん、また仕事を手伝ってよ、午前だけでもいいからさ。」と周囲の理解と助けがあったからでした。
母は仕事を得て精神疾患から回復したのだと思っています。─まさか、あの母がまた働ける日が来るなんて
私が就労支援が重要だと考える理由は、自分の母が仕事を通じて回復、リカバリーしていったことです。
母は入院してから外出、外泊、そして再入院を繰り返し、退院することができたあと、以前母が働いていた会社の社長から「田村さん、また仕事を手伝ってよ、午前だけでもいいからさ。」と言われました。
いま思うと、ここからすでに彼女のリカバリーは始まっていたのだと思います。
それは人に期待され、誰かの役に立つという役割を得たからです。
仕事は役割の一つであり、役割があるから人はいきいきと生きていけるのだと私は思います。
彼女は仕事を得て回復したのだと思っています。(P125)
「障がい者が働けないなんていう先入観や偏見は間違いです」と伝えたい
私は彼女が精神障がいを患い入院してから、再び働くまでの過程・リカバリーを見てきました。病院で初めて母と面会したとき、まさか母がまた働けるなんて想像できませんでした。
それは私の間違った先入観でした。そんな先入観は間違いだよと母は実践して教えてくれ、見事に覆してくれました。
だから私は、働きたいと思っている障がい者の方と一緒に就労に向かって努力していき、障がい者が働けないなんていう先入観や偏見は間違いですと伝えたいのです。(P126)
この本『静かなる変革者たち』の出版に向けて取材をさせていただいていたとき、田村さんはまだ、本当に苦しそうでした。薬の影響もあり、文章や座談会で内容をまとめることができず「申し訳無い」と何度も連絡をくれました。体験談ができあがるまでに、本当に時間がかかりました。
しかし、当初から、次の言葉は揺るがない気持ち、メッセージでした。
「障がい者が働けないなんていう先入観や偏見は間違いですと伝えたい」
そして、自ら「就労移行支援事業所 こねくと」を開設したのです!
このニュースを知った時は驚きました。文中では「まさか、あの母が!」と書いておられましたが、私も、「まさか、あの田村さんが!」と驚くと同時に、編集という仕事をしていて、こんなに嬉しかったことはありませんでした。
自ら、精神障がい者の就労移行支援事業所を立ちあげたのです。
私も元気に存在することによって、次の人にバトンをつなぎたいと思いました。それは当事者が自分の経験を生かし、当事者のリカバリーのきっかけになることです。(P125)
体験談の中でそう語っていたことを、こんなに早く実現した田村さん、あなたはすごい、すごすぎます。
「人とつながる」「仕事とつながる」「こねくと」は11月開所。見学会、体験利用も行っています。「働きたい」だけど自信がない… それは、まさに、少し前までの田村さんの姿だったのです。
お近くの方、ぜひ、お知り合いの方に広めてください。
タイトル『静かなる変革者たち』に込めた思い
この本のタイトル「静かなる変革者たち」は、著者のお一人、蔭山正子先生(大阪大学大学院准教授)の次の文章からつけさせていただいたものです。
現れた、静かな変革者
子どもであり、支援者でもある彼らは、精神医療という親や自分を傷つけた、嫌な世界にあえて飛び込みました。精神科で働くようになって「おかしさ」に気付き、怒りが表出されるようになったのです。
(著者の)横山先生が「何か変革していこうという時に怒りというのはあるじゃないですか」と言うように、怒りは変革のエネルギーとも言えるでしょう。
彼らを見ると、内面では激しい怒りを抱いていますが、外面からその勢いを感じることはありません。
静かに染み渡るように変えようとしている「静かな変革者」のように見えます。
居続けられる強さはどこからくるのかと言えば、おそらく親への思いなのでしょう。
親に直接的にはできない親孝行を、環境を変えることによって、いつか間接的に母親の生活をよくすると考えています。
彼らは、親が精神疾患であるが故に、親が受けた屈辱、親の豹変、強制的な入院といった、トラウマを経験しています。
そのトラウマを乗り越える過程で、人生にとって大切なものを見つめ直していました。彼らは芯の強い人間です。彼らは、真の変革者になるのかもしれません。(P233)
この本は、ぜひ、お読みいただきたい1冊です。