「全く知らないことが、私の前に開けていた」
開始直前、40代ぐらいの女性が二人入って来た。続いて、ドミニクの夫ジャックの顔が見えた。彼は、私ににっこりとうなづいたが、「知った顔だけど誰だったかな」という様子だ。
二人の女性は、マットを敷きながら、アラブ料理レストランの話をしていた。行ったことないな、と思いながら、私は、腕を足の方に伸ばしてみたりする。
最後にもう一人若い女性が入って来て、フランス語でジャックと話し始めた。
私は、ストレッチをはげむ「ふり」をするのに、忙しかった。
*
言われるままに手足を動かして、その日のレッスンは終わった。水筒を傾けて水を飲む私に、「楽しかった?」と、ドミニクがきく。
Did you enjoy the lesson?
エンジョーイという言葉と、なんだか分からずに体を動かした時間とが結びつかず、えええ、と口ごもりながら、「エンジョイと言えるかどうか分からない」小さな声で言った。
「楽しかった」というのとは違う気がする。エンジョイしたと言えればよかったけれど。いやだったわけではないけど。
ドミニクを見る。自分の答えがそっけなさすぎると気づき、慌てて「でも、それは私がヨガ初めてだからだと思うわ」と付け足した。
私は、マットを丸める手を止めた。
何かが変だ。
楽しいとは、なんだろうか。おしゃべりしながら笑ってご飯食べるようなことか。テレビを見るようなことか。その感情を「知ってる」から楽しいと言えるのではないか。
ヨガの感じは、初めてだった。だから、楽しいに入れるのか、そうでないに入れるのか、分からない。
あ、そうか。
知らないものだった。
私は、ああ、と思った。
私は、知らないものに、出会ったのか。
*
ドミニクは、困惑した様子で私を見つめていた。
「私、続けるわ。次のレッスンも来る」私は言った。マットに、ストラップを止める。
ドミニクは、安心したように微笑んだ。
「そうね、来週ね」
「続けるわ」が、これ以降、ずっと続くとは思ってなかった。
この日から3年後、私は、ティーチャートレーニングに申し込んだのだ。
*
知らないものに出会った日のことだ。分からないから、だから、続けようと思った時のこと。
運転しながらの帰り道、私は、興奮とともにいたのを覚えている。全く知らないことが、私の前に開けていた。
知らないこと。
知らないもの。
後部座席のヨガマットは、まだピカピカだった。
私は、この時、一歩を踏み出していたのだろう。
知らないって、簡単に捨てないで、よかった。
声で聴く「クンダリーニヨガティーチャーになるまでの話 4話」