あとがき 中巻を公開して
いらっしゃいませ。
数多くの記事の中からこちらをご覧くださり、ありがとうございます。
創作オリジナル長編小説「紫陽花と太陽」の中巻の公開が終わりました。
あとがき
「紫陽花と太陽」のテーマは優しさ、です。
上巻は中学生ができる精一杯の優しさを。
中巻はひとまわり世界が広がってきたからこそできる優しさを。
全般に渡って暗いお話が多めでしたが、それでも読んでいただいた方々には感謝しかありません。思春期ならではの悩み、大人にとっては「もっとこうしたらいいのに」と思う面もいろいろあるかと思います。でも悩むのも大事なこと。最初から正解へは辿り着かないように、いろんなことに挑戦しながら自分の気持ちを素直に伝えられたら素敵だと思っております。
キーワードは「失敗」「メンター」「過去の言葉」
以下、ネタバレになるのでまっさらな状態で小説を読みたい方は下記マガジンにてぜひご購読ください。
一方、あとがきでの解説を受けてご興味がありましたら読む…という形もありかと思います。ご随意にどうぞ。
中学生時代の上巻から時は進み、主人公の遼介たちは高校生になりました。小・中学校はその地域の人が集まりますが高校は違います。仲が良かった友達とも分かれることもあるでしょうし、そうすると人間関係も一度リセットされ、新しく友達を作っていくことになります。
高校生の遼介たち。
彼らに向けて伝えたいことは「失敗はたくさんした方がいい」ことなのかなと、ある日、大人になった私は思いました。
私は失敗を極度に恐れる学生時代でした。
勉強についていけなかったらどうしよう、友達とうまく遊べないしどうしよう、係を引き受けなかったら誰かが困ってしまうしどうしよう、などなど。不安ばかりで四六時中ビクビクしていました。
そのうち、何かを言って人を嫌な気持ちにさせるくらいなら何も話さない方がいいのではと思うようになり、ますます殻に閉じこもって漫画を描いていました。
今、過去の私と彼らに言いたいのは「失敗すればいいじゃん」ということ。大した事ないんです。恐れて何もしないでいたら、その時間は何も学ばない。もったいない。誰かが死ぬような失敗なんてそうそう起こらない。
そんな簡単なことも、昔は知らなかった。
知っていたらもっと楽に生きていけたのになぁ、そう自戒も込めて、小説に紡がせました。
メンターの縁田さん
皆さんは、自分の人生観がガラリと変わるような方と出会ったことはあるでしょうか。
メンターとは日本語で「指導者、助言者」と訳される言葉で、イメージとしては公私ともに何でも相談できる人、人生において力になってくれる人、のような感じかなぁと思います。
一人でなくても、何人か、この人と末永くお付き合いしていきたいなという素晴らしい方と出会うと、価値観が広がっていろんな考え方を吸収できます。
小説では、遼介の父が亡くなり、代わりに縁田さんという熟年男性が登場しました。喫茶店の店長、しかも個人事業主という細かい設定は今の自分の仕事を存分に含んだ要素であります。ざっくばらんでグイグイな彼の性格は、私が昔勤めた頃に出会った方がモデルです。
遼介のターニングポイントを考えた際、鍵となる人を登場させました。
彼と出会わなかった遼介がどんな人生を歩むのか…いろいろな未来を考えてみましたが、結局はこのように決着をつけました。
自分の内面と向き合った台詞たち
この中巻あたりは、私が妊娠中〜育児中で一番精神的にやられていた時期に考えていたお話でした。当時の私が向いていたのは「今」ではなく「過去」。これから我が子を育てるにあたって、過去の自分と親の関係を日々鬱々と考えていました。
いや、疲れていたんです。
寝ればいいのに、何かリフレッシュできることをしたら良かったのに、当時の私はしなかった。我慢ばかりして、友人知人がいない土地でずっと一人塞ぎ込んでいました。
親は、特に母親は自分の叶えられなかった夢を私に託していました。
進学ですね。大学に入って勉強してほしい。
それには裏にこういう気持ちも見え隠れしていました。
できれば親戚に堂々と言える有名な大学に合格した、と言いたい。
母親自身も昔、母親(私の祖母)から叶えられなかった夢を託され、望み通りの職についていた時期がありました。嫌だったそうです。親の代わりにどうして自分(母)がその道に就かないといけないの、と零していました。
それでも結局は同じようなことを私にもしました。
親というものはそういうものなのか?と考え、やっぱり腑に落ちない。考え方は似ているけれど得意不得意、興味の有無は違うから。
私は小説の中で、衝突する場面でこういうことを言わせました。
それに対して遼介にこう言わせました。
私はきっと、遼介のように親に言いたかった、叫びたかった。
でももう遅いのです。過去ですし。戻れない。
思い出している過去はもう捏造されたもので、言葉の一つ一つも間違っていると思います。しかも言った母本人はもう忘れていると思います。
過去に言いたかったことを悔やみ続けるのではなく、小説として昇華してしまえ。そんな気持ちで台詞と映像が先立って物語が続いていきました。
言いたかったことだけではなく、言われたかった言葉も台詞として書いています。これは未来に子供に自分が言いたい、という自戒の念も込めました。
人の人生について何か言うなんて。責任なんて何も持てません。こうしたら、ああしたら、と言われた通りにしたとして、そこに責任なんてない。だからといって「好きにしたら」と言われたらそれは放ったらかしな気がして悲しい。
だったらどう言ってほしかったのか。
考えて、あずさに遼介を支える言葉を言ってもらいました。
これがあって遼介は前を向けたのだと思います。
当たり前、ではない
日常には、たくさんの「当たり前」に溢れていて、一つ一つに意識を向けることは少ないかと思います。
例えば、星空を見上げる。
あずさは夜に外を出歩くことがなかった。上巻では触れていましたが、彼女は家柄もあって厳しく育てられており、両親の死後も外出に許可が必要なほどでした。星を見たことがあったかどうかすら怪しい。
遼介は、第八話で『仕事が終わっても、いつもまっすぐ帰宅しているので空なんか見上げてなかった』と言っています。それより昔は妹の寝かしつけと同時に寝落ちしている描写がありました。
誰だって見たことあるだろう、それが、ない人もいる。
他にも一つ。例えば、遼介が毎日朝ごはんを作るシーン。
この数年の彼の成長を書き表してみたかったところでして。
毎日やっていれば誰だって…と思うところを、あえて書きました。
誰だってできることを、自分がされていたなら自分を労い、パートナーや家族がしていたのなら感謝の言葉を。当たり前と思いたくない、忘れてほしくない、そういう日常の大切な出来事も一つ残さず拾い集めたかった。
恋の終着点
第十話でようやく遼介とあずさが結ばれます。
行動は賛否両論あるかと思いますが、ここで書きたかったのはいちゃいちゃではなく、受容というテーマでした。
汚くなんかない、ということをまるで証明するために
全部に触れる、全部にキスをする
幼い子供が不安になった時に親にぴたりと寄り添ってきた時のように、思う存分抱きしめる
そういうことをしたのだと思っていただければ幸いです。
あずさの父は厳格で、その普段の対応の様子は下巻で触れていきます。母との思い出は少なく、遺品として思い出すのは簪かハンカチ程度。彼女は過去にぎゅっと抱きしめられたことはなく、小さい大人になるよう求められ、育てられてきました。
遼介が妹にしていた「抱っこ」「ぎゅう」「分かりやすい言葉を紡ぐ」それを、彼の全身全霊をささげて行動した。
だからこそあずさも遼介に応えたのだと思います。
今後の予定
中巻の公開が終わったところで、一旦連載小説の公開に入りたいと思います。
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だからこそ、読んでいただいた方に読みやすく辿りやすい投稿を作らないとですね!
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