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連載小説「雲師」 第八話 雲をきりひらく 前編
少し前、彼女の願いごとを叶えるための案を、ソラとシラスは病院の庭のベンチで相談していた。そこは下界なので人間に存在を明かしてはならない。ソラたち雲師の姿かたちは大人の雲師が「おまじない」を施してくれたので見えなくなっている。一方、声だけは聞こえてしまうので注意が必要だった。
あーだこーだとソラたちが案を練っていると、いつの間にか近くに優雨がいた。
それがきっかけでソラとシラスと優雨は、それから何度かおしゃべりをする関係へと変わった。
優雨の病気の話。
彼女は、盲目……目が生まれつき見えないらしかった。それを補うかのように聴覚が鋭く、体調が落ち着いている時はいろんな音を楽しんでいると言っていた。
また身体すべての機能が弱く、立ち歩くことも難しいとか。一番は心臓を動かすために機械を使っていることだろうか。機械があって、優雨は生きていられる。機械がなければ命はすぐに消えてしまうのだと、優雨はしかし穏やかな微笑みを浮かべて説明してくれた。
『ソラさんは、きっと笑顔がすてきな女の子なんだろうな』
『シラスさんは、ソラさんがしんぱいなのね。それにとってもなかよし。ぽんぽんとボールが行ったり来たりする話し方が、二人にはできるもの』
目を閉じた優雨が透明な声でソラとシラスのイメージ像を語った。
彼女が着ていたのは青いパジャマで、もくもくの白い雲と顔付きの太陽、そして虹が散りばめられたデザインの服だった。柔らかそうな素材のパジャマの上に白いカーディガンを羽織っていた。
『願いごと、優雨の体だと難しいかもしれないって思ってて……』
ソラがしょんぼりとして素直な感想を言った。
『あ、おれが優雨を背中におぶって、空を飛べば行けるかもしれないんだけどさ……』
シラスは慌てて希望はある旨を述べた。ゆっくりと、時間をかけて、そして人に見つからないようにすれば大丈夫かもしれないのだ。
ところが優雨は気にしていないようだった。
両手をひらひらと振り、もうその願いごとは大丈夫なんだと言った。
『えっ? ピクニックはもういいの?』
『ええ、むかし、お母さんにちょっと話したねがいごとだし、そのときは夢みたいなことを言ってみたかっただけなの』
優雨の言葉に、ソラは頬に手を当てて口を尖らせる。
『でも……。雲師のわたしたちがいれば、なんとかなりそうなんじゃ……』
『ううん。わたし、きっとさみしかったのね。だってピクニックをするにはおともだちが必要だもの。おしゃべりするには、わたし以外に話し相手が必要なんだわ』
優雨が続けた。
『ソラさんとシラスさんと出会えて、わたしうれしいの。こうしてお話できて、本当にうれしいの』
満足している表情だった。両手を胸に当てて彼女はにっこりと笑っていた。
彼女の心臓に必要な機械は交換が必要らしい。少女の体が大きくなると新しいものに交換する。その手術がもうすぐ迫っている。
話しているうちにソラとシラスは気が付いた。
雨の日は寒くてお散歩はできない、晴れた日も暑くてお散歩はできない。
優雨の体にちょうどいい気温……それは曇りの日——輝く太陽の陽が長く当たれば彼女には刺激が強すぎる——じゃないと、外に出ることは難しい。
『おひさまって、あたたかいのかしら。おひさまのいろ、わたしにも分かるかな』
手術まであと数日。
「ねぇ、シラス」
クラスメイトたちが手にクラウドボーを携えて練習に精を出しているのを横目に、ソラはシラスのフードをぐいっと引っ張った。くすんだ青みがかったシラスのローブのフードは、なぜか動物の耳のようなものが付いていて、ソラは遠くからでも一発でシラスを見分けることができるのだ。
「優雨のことか?」
「そう! よく分かったね!」
ソラが目を輝かせて言った。
「やってみようと思ったことがあるの!」
ソラとシラスの頭の中は、もうコンテストをどうするか……ではなかった。掟や校則のことはいつも心の片隅で気になってはいるけれど、優雨と会って今じゃないとできないことがあるのなら、そして優雨が喜んでくれることがあるのなら、やってみたいと思っているのだ。
おまじないは施さず、ソラとシラスは学校が終わってから下界へと飛び降りて行った。どのみち優雨に二人のことは見えない。人間の、彼女の母親や看護師さんにさえ注意をすれば何とかなるだろう……まぁ、それは言い訳で、実際はおまじないのために大人の雲師に話をしに行く時間がもったいなかった。またおまじないを施すのかと苦言を受けるのも煩わしかった。
優雨の病室の窓辺に行くとわずかに窓が開いていた。この日の下界は霧がかった天気で、少し肌寒い日だった。
「だぁれ?」
後ろにいたシラスのスパチュラがソラのお尻に当たったのでつい文句を言っていると、その小さな声をしっかり聞き取った優雨がすぐに反応した。真っ白い部屋のベッドの上に横たわっていた優雨は、窓を向いた。
「ソラだよ。優雨、こんにちは」
「おれもいるぞ」
「うふふ、こんにちは。窓を開けておいてよかった。きてくれるかなぁーって、おもってたの」
穏やかな優雨に、ソラたちはホッとした。会いたかったのが自分たちだけじゃなくて嬉しかった。
「今日ね、実はシラスと一緒に作戦を練ってきたの」
「さくせん?」
「うん。優雨がお庭で座っているだけで、太陽の光を浴びれるように!」
「補足すると、晴れの日に思いっきり浴びるんじゃなくて、ほんの一瞬だけ太陽を味わうっていう感じだな。優雨は晴れてたら散歩できないんだろ?」
シラスの確認に優雨は頷いた。
「明日はお散歩する?」
「……どうかしら。きょうは朝に小雨がふっていたからって、おさんぽはなくなったわ。明日も雨がふっていたらお部屋ですごすとおもうの」
「そうかぁ……」
後で天気を調べてみようとソラたちは決めた。明日がダメなら明後日か。
「優雨、太陽がどんな色か知りたくない?」
ソラが目を輝かせて尋ねる。優雨も頷く。
「わたしにいろはみえないけど……。でも、わたしだけのいろを、感じることはできるとおもう」
手術前に無理はさせてはいけないことくらいはソラもシラスも分かっている。
空を飛ばなくていい、車椅子から降りなくてもいい、優雨の体はそのままで、太陽の光だけを彼女のもとに届ける。
(ピクニックしてみたいという願いはもう叶った、と優雨は言った……)
「手術の後にしようかとも思ったんだけどね! 優雨も手術でたくさん頑張るんだからきっといっぱい疲れちゃうと思うしさ」
「ありがとう。手術はいまもやっぱり……こわいんだ。
明日か、明後日、ね。おひさまを味わうの、たのしみにしてるね……!」
おまじないをしていないので今日は見つからないうちに早く引き上げないといけない。ソラとシラスは自分たちが優雨に太陽の光を届けさせる作戦を伝え、すぐに天上へと帰って行った。
シラスの部屋で作戦を詰めることにした。ソラの家だとばぁばに聞かれてはまずいかと思ったのだ。
ちなみにシラスの家は一般的で「タタミ」も「オブツダン」もない。ちゃぶ台より高いテーブルの脚はゆるぅく曲がって猫みたいに独特の形をしていて可愛い。こげ茶色のテーブルにおそろいの椅子。紺色でふわふわしたクッションに座り、ソラは足をぶらつかせながら(床に足がつかないのだ)飛んでいる途中で話した作戦をもう一度確認した。
作戦と言ってもやることは簡単だ。
一、太陽の位置を確認
二、ソラまたはシラスが天上に待機し、上からクラウドボーで雲に穴を開けていく
三、ソラまたはシラスが優雨に付き添い、穴から漏れた太陽の光のもとまで車椅子を動かす
「カ、ン、ペ、キ……! じゃない? シラス!」
ソラがぐびっと冷たい薬草茶を飲んで言った。一方のシラス、何やら思案顔をして両腕を胸の前で組んでいた。
「何、不満? ダメなところがあった?」
「おれたちがドリルみたいに回転しながら雲に穴を開けていくのはいいんだ。昔からクラウドボー使って、いやってほど遊んだりもしてきたからな。……問題は」
「問題?」
「あぁ。上から穴を開けていくうちに軌道が逸れた場合、優雨から遠い場所に出口ができてしまうかもしれない。優雨は車椅子だろ。動かすったって、庭からは出られない。雲は常に動くものなんだし穴が塞がる前に優雨に光が届くようにしないといけない」
「つまり時間との戦いってことね!」
「時間と、軌道。最短距離で穴を開けられたらベストだな」
スピードなら負けない。クモコばぁばにどれだけ訓練されてきたと思っているのだ、とソラは鼻息をあらくする。クラスの中でも二人はダントツだ。ソラとシラスの飛行速度を比べてみると、ソラの方が少し速い。
「お互いの位置関係が分かればいいよね」
「んだな。そこは大人に聞いてみるとするか」
雲師は、あまりにひどい悪天候の場合は調整作業をすることがある。雷雲を扱う作業となるため、技術、経験、的確な判断も必要な危険な仕事だ。複数でグループを作って各所に散らばって作業する。そういう場合には雲師それぞれの位置を把握できる「特別なおまじない」を施されると聞いたことがあったのだ。
「雲に穴を開けるのは、わたしでいいかなぁ?」
「……やりたいんだろ? それに、スピードは……ソラの方が速いんだし……」
目を閉じたままシラスが唸るように言った。これで役割分担も決定した。
ソラは上から、シラスは下で優雨と待つ。
おもむろにシラスはスパチュラを磨き始めた。握る柄が木製のそれは、使い込んでいくうちにささくれができることもある。シラスは真剣な表情で柄の状態を仔細にチェックしていった。十三歳とはいえ雲師を目指す者。いつだって道具の手入れや、何のために行動するのかを考えなくてはならない。
(スパチュラの重り……軽くするか? ……いや、急に変えても慣れていない状態ですぐ乗りこなせるとも思えないしな……)
シラスは己のスパチュラを眺めながらひとりごちた。筋トレを兼ねてシラスはスパチュラの先端に金属製の輪を付けてカスタマイズしていた。見た目はさほど変わらないのに重さだけはかなりのものだ。毎日手に持つものだからこそ、彼は積み重ねを大事にしようと考えていた。
「シラス、なんか食べよ! お腹すいちゃった!」
作戦が決まって安心したのか、ソラが呑気にシラスに話しかけた。シラスはツッコむ。
「ここ、おれの家だぞ……」
翌日は優雨の予想した通り、雨模様だった。
雨の日は優雨は散歩をしない。ソラたちは次の日に備えることにした。
手術予定日は明後日、という今日。
重厚感のある雲が何層にも重なった曇天だった。
看護師さんと優雨の母親に前もって言っておいたそうで、この日だけは温かな格好をするから散歩の時間を少し長めにしてほしいと優雨は希望を出していたようだった。
地上の病院のいつもの庭。紫陽花やハイノキ、紅葉、ほかにもたくさんの庭木たちが風にそよいでいる。
「ソラさんは上から降りてくるんですね?」
さわ……さわ……。
風のごく小さな音しか聞こえない庭で、白い肌の少女が目を瞑って顔を上げた。おまじないで姿を見えなくしたシラスが隣で答える。胸元に握りこぶしほどの小さな巾着をぶら下げて。
シラスと優雨は灰色の空を見上げる。
ソラの飛ぶスピードなら、それほど時間はかからない。
(ソラ……、頼んだぞ!!!)
シラスは巾着をぎゅっと握りしめ、心の中でソラを応援した。
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(つづく)
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