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連載小説「雲師」 第十話 ひだまりのいろ
「ソーーーラーーー!!!!!」
ものすごく大きなシラスの叫び声が聞こえた。
姿は見えないのに声だけがソラのもとに飛んでくる。
その時ソラは諦めることなく両手でクラウドボー(ナイフ形)を持ち、ザックザックと足元の雲を切ったり掘ったりしているところだった。
(なにこの雲め!!! 圧縮でもされてるの⁉ ちょっとしか刃先が刺さんないんだけど!)
口をへの字にしながらソラが干菓子のように固い雲を突き、悪態をついていた。ソラソラと叫ぶ声がだんだんと近くに聞こえ、そのうち下からズバァン!と、スパチュラに乗ったシラスが雲の欠片を頭から滴り落としながら現れた。
「!!!!…………ソラ……!」
「シラス! ……ごめんっ! うまくいってなくて……!」
感動の再会……⁉ シラスはソラが無事だったことに感無量な表情をしたが、ソラはというと固い雲をペシンと踏んで、怒涛のように文句を言った。
「この雲がさ! めっちゃくちゃ固いのよ! 信じられない! 雲ってカットして造形するための素材になるんでしょ⁉ それなのにこの雲ときたら……。信じられない! ありえない! シラスもちょっと聞いてよこのわたしがジャンプして着地した時の音を! ドスンって、何、ドスンって、土とか石じゃないんだからさ、ねぇシラス聞いてる?」
ふぅー……と、シラスはまず深呼吸をした。
「ボーを貸してくれ」
シラス聞いてる?に生返事をしながら、シラスはソラからクラウドボーを受け取った。刃先ではない反対側の棒の先端で雲をつつく。いろいろつついた後、ジョリジョリとありえない音をさせながら、二人が立っている雲の上にシラスは大きく円を描いた。
「何するの?」
「時間がない。ソラ、ちょっと隣の雲に飛び移って見ててほしい」
「う、うん」
シラスはスパチュラに乗り、渾身の力を込めて描いた円の線に沿って刃先を突き立てた。刺してはまた刃を抜いて戻し、ちょっと隣に移動して刺して、戻し……。これを淡々と繰り返した。
最後の縁に刃を突き立てると今までより違った音がした。
「どうだろう」
シラスはそのまま彼のスパチュラに乗り、一瞬高く舞い上がってから全体重をかけて思いっきり地面……のような固い雲面に衝撃を加えた。
「ぐっ……!」
ドッコン!!!
鈍い音をたてて、固めの雲がわずかに歪んだ。
ソラは何となくだが、シラスの思惑が分かった感じがした。
「シラス! この、切り込みを入れた円ごと、貫通させるつもりね⁉」
「う、ぐっ……! ん? あぁ、まぁうまくいくかは分からないけどな。ここ辺りの雲だけ何だかやたらと固いんだよなぁ……」
「ぎゅっと固まってる感じがするもんね!」
人間界でいう「手芸」でよくある羊毛フエルトみたいに、ふわふわのフエルトも針でチクチク突き刺すと固さを増すのだとか。雲師界隈にはもちろんそんなものは無いけれど。
シラスが両足で踏ん張って着地をすると、ソラより重みのある音がする。
「ねぇ、シラス! わたしも後ろに乗ってみる! その方が重くなるよ!」
ソラの提案に、頬に汗を垂らしたシラスも同意した。
二人分の重さを乗せて、シラスとソラはひたすら雲に着地する。
ドッコン!!!
飛んで、着地。
ドッコン!!!
飛んで、着地。
少しずつ、雲の中心部が歪んできた。
「あっ!!!!!」
「おっ!!!!!」
貫通はしなかったが、かなり凹んだ場所があるのを発見した。ここを打開策としてこのまま突き進むことはできるかもしれないと二人は思った。
「あっ! ここから先にいけそうかも!」
「こういう雲もあるんだな……」
「わたしのスパチュラ……。あっ、ないんだった! ねぇシラス! このまま行くよ! 振り落とされないようにしっかり捕まっててね!」
「ちょい待ち。ソラが前だ」
前列にいたシラスが、跨っていたスパチュラから降りた。ソラのスパチュラは固い雲に突っ込んだ衝撃で手を離してしまい、今は落っこちて地上にあるのだ。シラスの棒を受け取ったソラはあまりの重さに取り落としてしまった。
「重〜〜〜! なにこれぇ〜〜〜!」
「飛べば操作はできるだろ。時間がないんだ。おれごと一緒に下降できるならしてもいいし、やりにくいならおれは自力でなんとかして降りるよ」
やたらと重量感のあるスパチュラに乗れば、すぐにふわんとソラは浮かび上がる。慣れないけれど仕方がない。クラウドボーを再び構え直し、ソラは雲を切り開く体勢を整えた。
シラスが言った。彼が首に付けていた「シラスの居場所を伝えるおまじないの巾着」は、優雨に渡してきたのだと。本物の彼は目の前にいるけれど、目標地点は地上の巾着のある優雨の場所だ。
「分かった、シラス! ありがと! 先に行くね!!!」
言うが早いか、ソラの姿が一瞬で消えた。
「ソラさん……シラスさん……」
開いた両手のひらを顔の前で合わせ、優雨が祈りを捧げていた。
「……あめ」
透明な声で呟いた。優雨の頬に一粒、何かこぼれ落ちてきた。
粒はそのまま頬を落ち、顎から下へ、吸い込まれるように消えていった。
音の気配がして、優雨は上を向く。
一瞬、数瞬、どのくらいの間?
スポンッ!
雲というものは、いい音を立てるものなのだと、優雨は初めて知った。彼女は微笑んで、自分に近づいて来る大切な人が纏う空気を感じとった。
ふわりふわりと浮かびながら下降しているソラと、車椅子に座って精いっぱい背中を伸ばし、手も伸ばした優雨。二人の指先が触れ合った。
「ただいま、優雨」
今日初めて見る優雨の細い手をぎゅっと包み、ソラは言った。
「おかえり、ソラさん」
優雨も答えた。優雨の「おかえり」はいつものように、それ以上でもそれ以下でもない、ただの「おかえり」だった。ソラが優しく優雨を抱きしめた。抜けるように白い肌の優雨は、温かくしっとりしていた。
「はっ! 太陽! 太陽の光はどこだっ!」
ソラは思い出して慌てて空を見上げた。
雲に遮られない、太陽のまっすぐな光。
優雨が座っている車椅子から少し離れたところに、まるい光の円が現れていた。
少し湿り気を帯びた空気の中、雲の切れ間から光が漏れて、光線の柱がまっすぐその輪まで降り注いで見えた。
光の中に漂う何かが時折煌めいているのが分かる。
優雨の車椅子を光の円まで移動させるために、ソラはスパチュラから降りた。謎にやたらと重いシラスの空飛び棒が、ドゴンとおかしな音を立てて地面に転がった。
よっこいしょと気合を入れながら、ソラが優雨の車椅子をひだまりの輪のところまで動かして行った。
「優雨、あとちょっとね」
「えぇ。ソラさん、ゆっくりでだいじょうぶよ」
「んん……! 地面に石が……」
石のせいで車輪が変に曲がり、思うように動かせられないことに焦ってしまう。
しばらくして、シラスも雲をぴょんぴょんとジャンプしながら降りてきた。汗だくになりながらも急いで地上へと飛んできたのだ。
二人で協力して優雨を移動させた。
「あたたかい」
輪のところに優雨の顔が入ると、さぁっと頬の肌が輝いた。
目を閉じたまま、優雨が、ゆっくりと両手を光にかざした。まるで光の粒を手のひらで受け止めているようだった。すくって手放して、顔を空に向けて太陽の光を全身で受けていた。
「すげぇ。青空が見える」
シラスが目元を手でかざしながら呟いた。これだけ天上と地上とが離れているにも関わらず、ここから空の青さを僅かだがしっかりと見ることができるのがすごいと感じた。
「優雨」
ソラが優雨を見て声をかけた。
優雨は泣いていた。
とじたまぶたは煌めいていて、頬に幾つもの涙の線を作っていた。
——天使のはしご、という言葉をご存知だろうか。
雲の隙間から太陽の光が漏れ、地上を優しく照らす現象だ。
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ソラが作ったのは一般的な「天使のはしご」のように何本も筋が降りている訳ではなく、穴はひとつだけ。はるか遠くの空にいる太陽が、ながいながい穴を通って、ぽっかりと優雨の周りだけをひだまりのいろに染めている。
「なんてあたたかいの」
優雨が呟く。
「ありがとう、ソラさん。ありがとう、シラスさん」
「良かった。ずっとお日様を浴びれないの、もったいないよ」
「作戦成功して良かったよ」
ソラとシラスも微笑んだ。
声のする方を優雨も向いて、ひだまりいろの笑顔を見せた。
(つづく)
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