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連載小説「雲師」 最終話 二人の作品

前の話第一話  あとがき
登場人物



 夜。ソラの手が赤くなった。
 理由は、雲に穴を開けるために下降している際、固い雲にクラウドボーが刺さり、握っていた手がその衝撃で棒と擦れてしまったからだった。赤くヒリヒリして火傷のようになってしまっていた。

「これで少しは早く治るだろう」

 軟膏(クモコばぁば自家製)を塗ってぐるぐると包帯を巻いてもらった。ちょっと大げさに見えるけど仕方ない。一晩寝ればコンテストのときには多少マシになっているはずだ。

 タタミのある居間で、ソラはばぁばと向かい合って正座をしていた。俯いたばぁばをそろりと見た。勝手なことをして!……とこっぴどく怒ったのは両親で(もちろんシラスも親に相当怒られたみたいだった)ばぁばは意外にも何も言わずに手当てをしてくれた。

優雨ゆうは喜んでくれたんだよ」
 結果的には願った人間を嬉しい気持ちにしたのだ、とソラは伝えたかった。優雨がどういう人間で、優雨とシラスと今までどのような話をしたのかもソラはばぁばに伝えていた。ばぁばが静かに頷いた。

「それは、何よりだ」
「……うん」

 ちゃぶ台の上でばぁばが淹れてくれた薬草茶が湯気を立てていた。

 しばらくしてシラスがトボトボとソラの家にやって来た。
 今あるのは干菓子しかないわよ、と言うと、お菓子が食べたいわけじゃないとシラスはプイと横を向いた。

「どうしたの? 怒られたからそんな顔をしているの?」
「いや……」
「じゃあ何?」

 シラスの顔は蒼白だった。言おうか言わまいか悩んでいるみたいに口がパクパクして、それがまるで魚みたいだった。

「おれたちのせいなんだろうか……」

 意味がわからず、ソラはキョトンと目を丸くした。シラスが呻く。

「おれ、さっき願い配達人さんと会ったんだ。今日最後の願い回収業務をしに行ったんだって。……そしたら、、、」

『例のピクニックの願いごとをした少女ですが、突然体調を崩したみたいで手術が延期になったそうですねぇ』

「えっ……!!!???」
 シラスが配達人さんに伝えられたことを聞き、ソラは絶句した。
 優雨とは数時間前に別れたばかりだ。曇天の中、ソラが開けた雲の穴からこぼれた光を浴びながら、優雨ははらはらと涙を流して喜んでいた……。

「おれたち雲師くもしが人間に関わったから……? おきてが……? 掟には何か力があるのか? ……天気は変えていないと思っていたけど、一部だけでも晴れにしてしまったならそれは雲師が『ことわりに手を出し』たことになっちゃうってことなのか……?」

雲師の掟
 一、世のことわりに手を出してはならぬ
 一、人間だけではなくすべての生き物を考慮せよ
 一、我々の存在は神ではないことを肝に銘じよ
 一、誰にも存在を明かしてはならぬ

 シラスの両目から大粒の涙が溢れてきた。
 ソラは首を横に振りながら、叫ぶ。

「でも! 掟が、って言うなら、優雨には存在を知られちゃってるじゃない? 最初っからさ! なんでもっと会ってすぐに体調を崩すとかにならなかったの⁉」
「知るかよ!」
「クモコばぁば! 優雨、具合が悪くなっちゃった! あんなに……喜んで、泣くくらいいっぱい、嬉しいって……言ってくれたのに……!」

 ソラも泣き出した。
 外に連れ出したのがまずかったんだろうか。
 作戦遂行に時間がかかってしまったのも悪かったんだろうか。
 体がとっても弱い優雨だから、いつも通りのお散歩とか、ただのおしゃべりでも本当は良かったんじゃないだろうか。

「優雨がいなくなっちゃう……」

 ソラがポツリと呟いた。シラスに至っては無言で呆けていた。


 そんな二人に、クモコばぁばが小首を傾げ、言った。
「ソラ……? シラス……? 体調を崩した、と言っただけで、いなくなるとまでは言ってないんじゃないかい?」
「…………えっ?」
「優雨という少女が余命宣告を受けていたことは確かにそうらしいが、手術の日が延びたからと言ってすぐに命に関わるわけではないんじゃないのかい?」
 ばぁばが一字一句確かめるように言った。

「そうなのかな……」
 ソラの表情が少し明るくなった。

 人間というものがどのような生き物なのかをソラたちは知らない。

 体調を崩さない雲師には、優雨の倒れた状況は想像することが難しかった。

 たった一時間ほど外にいただけで体調不良になるということが分からなかった。

「掟は何のためにあるんだろう?」
 シラスが呟いた。

「何のためにあるのか。それを知ることも、雲師を目指すのであれば知らないといけないね」

 ソラとシラスをじっと見つめ、ばぁばがいつもになく真剣な顔で言った。

 ソラがしゃもじのように包帯で巻かれた方の手をさすった。
 学校の授業のようにすぐに解答が出るとは限らないことを、二人は知った。

(雲師の掟……。まだまだ、知らないことが多すぎる)

 ソラは真一文字に口を結んだ。





 ドォーン!!! パン! パパン!!!

 コンテスト当日。
 開催しますよとの合図の空砲が打ち上げられた。
 天上の天気はすこぶる上機嫌。
 見渡す限りの蒼い空に、コンテスト実行委員たちが作品づくりに適した風合いの雲を運び込み、着々と準備を進めているのが見えた。巨大な雲の広場にはテントが立てられ、観覧者や参加者の身内などが応援のために駆けつけていた。

「ソラ、手は痛むのか?」
「え? うぅーん、ちょっとだけね。軟膏のおかげでかなりいつも通りだよ!」
 そう言って、ソラは軽くテーピングを巻いた手をひらひらさせてシラスに見せた。
 ソラが背中に数本のクラウドボーを担ぎ、片方には飛ぶためのスパチュラ、もう片方の腕は腰にあててニヤリと笑っていた。目が輝いているのを見て、シラスは、彼女が今日のコンテストに万全のコンディションで臨んでいることが分かった。それこそ手の怪我など気にならないほどに。

 広場にコンテスト参加者がずらっと整列した。初等部、中高等部、一般枠に分かれ、応募順に割り当てられたナンバーの札を手渡された。バッジ——胸につける小さな記章——をさっそくつけ、シラスはソラを探した。ソラは目を閉じて軽く上を見ていた。

(何だよ。優雨の真似じゃん)

 シラスはふっと笑い、また前を向いた。この数週間、おれたちはどれくらい優雨のことを考えて、優雨と一緒に過ごしてきたのだろうか。耳に残るのは優雨の透明な声。忘れることはない。そして今日……

(おれのテーマと作品は……!)

 あれほどテーマに悩んでいたとは思えないくらい、シラスの頭の中には完成イメージ図がありありと思い浮かんでいた。筋トレ用にと重量を施した己のスパチュラをぎゅっと握りしめる。

「それでは……! みなさん、頑張って作品を創りあげて下さぁーーい! スタァァァトォォォ!!!!!!」

 コンテストの司会者が絶叫し、パァーーーン! と再び空砲が。そして参加する雲師たちはそれぞれスパチュラに乗り、材料となる雲へと飛び駆けていくのであった。



 数刻後。
 空にプカプカと雲がいくつか残っているほかは、巨大な広場には数多くの作品が立ち並んでいた。雲を使った作品のため見た目はすべて白一色だ。
 作品を置く移動式台の前に番号札を立てて、参加者たちは道具一式を片付けて控えエリアへと戻って行った。制限時間が過ぎたのでこれ以上は作品に触れることはご法度なのである。

「んあぁー、頑張った! わたし!」
 ソラが思い切りバンザイをして言った。
 遠くにいる審査員たちを見ると、すべての作品を雨に濡れないよう特別にあつらえた保管エリアまで台を押していた。屋根付きのそのエリアは数年前から導入された場所だった。ある年のコンテストで、審査中に雨が降って作品が台無しになったことがあったのだ。

(雲は雨に弱いんだよね)

 にっこり笑った猫ちゃんの作品は顔が溶けておばけみたいになってしまったり、繊細な模様とダイナミックな曲線美で創られたイスの作品は、もはやザブトンみたいになってしまったり……。

 シラスの作品は見る暇がなかった。制限時間めいっぱい頑張って作っていたのだ。シラスのやつも友達のやつも、よそ見をすることなくソラは一心不乱にクラウドボーを動かしていた。

「あ、シラスだ」
「ん? おぉ……ソラか……」
 疲れ果てた表情のシラスがいたのでソラは近づいた。……が、思わず二歩後ずさってしまった。
「シラス! 汗、やばっ!」
 シラスの両頬に頭から汗が垂れ落ちていた。ソラがドン引きするのも無理はない。

 そんなソラを見て、シラスは慌ててタオルで頭を拭きまくった……。


 ところで、白い雲による「素晴らしい作品」とは一体なんだろうか?
 例えばそれは、「技術力」「発想力」「独自性」「実現力」などの項目で評価される。
 雲の表面だけで言うと、なめらかさを追求しているのか、それとも風合いを大事にしたものなのかなど、テーマとそれへの想い、そういったものが総合的に表現されているかも重要なポイントとなる。

「なに、これ!!!」
「なんだこれ!!!」

 ソラはシラスの作品を、シラスはソラの作品を見て、叫んだ。
 叫びながらも審査員からの総評にもしっかりと目を通す。そこに書かれているのはこんな感じだった——……。

ソラ(初等部) 作品No.4
美しい少女が右手を掲げて斜め前方を向いている。陶器のようになめらかで美しい肌、衣服の表現はまるで真の布をまとったかのように写実的に再現された秀逸な作品。本年初出場とは思えぬ技術力の高さに今後も強く期待される。
テーマは【夢】。
掲げられた手は固く握られており、それは自ら夢を勝ち取ったという証。

シラス(初等部) 作品No.14
既視感がある美しい少女が再び。ふわりとなびくボブヘアはまるで此処に風が吹いているかのような錯覚を感じさせる。顔の表現レベルは出色の出来映え。少女の顔が斜め前方を向いているところは作品No.4と酷似しているが、こちらは左手を掲げている。
テーマは【友】。
掲げられた手のひらは上を向いている。これは友に手を差し伸べ、これからも手を取り合って共に歩もうという願いにも受け取れる。

 総評を読み、二人は同時に叫んだ。

「シラスの! 何よ、優雨がモデルじゃないの!」
「ソラの! お前も優雨がモデルじゃんか!」

 しかも挙げている手が右手か左手か、握ってるか開いているかの違いだ。

「シラス、わたしが作ってるところ、実はこっそりとどっかで見てたんでしょ!」
「見てねーよっ! そんな暇ねぇよっ! 四番と十四番って、むちゃくちゃ遠いわっ!」
「だったらどうしてモデルがかぶってるのよ!」
「たまたまだろ! ってか、おれたちずっと優雨とばかりいたんだから、仕方ないだろ!」
「そりゃそうかもしれないけど……。じゃあ、なんで手を上にしたの!」
「総評にも書いてあるだろ!
 ——友に手を差し伸べ、これからも手を取り合って共に歩もうという願い
 こういう想いがいろいろと込められた手なわけであって……」

 ゼイゼイ、ハァハァと息を切らして、ソラもシラスも叫ぶのをやめた。疲れたのだ。これほどの大作を集中して作ることは練習でもできなかったことだった。今思い返してみても、ぶっつけ本番でよく頭のイメージを立体に再現できたなと思っている。

 なんだかんだと言い合っていると、やがて雨が降ってきた。
 ぽつん、ぽつん。
 小さな小さな、粒。

「あ……雨」
 ソラが呟き、手のひらで微小の水滴を受け止めた。

「すぐ止みそうだな。空、天気だし」
 シラスも呟いた。青空が広がったまま雨だけがポツポツと降ってきている、天気雨のようだった。

「天気雨って、ぬるいよね。雨の温度がさ」
「温度?」
「うん。落ちてくる間に、太陽の温かいのが混ざって降ってくるからかな」

 ソラが俯いて手のひらの雨粒をちょん、とつついた。粒はすぐに溶け消えた。

 ぽつん、ぽつん、から、ぽつぽつぽつ……さぁぁぁ……と変わった。

 地面に水分が吸収された時に匂い立つ、独特の香りが漂い始めると、審査員さんたちは慌てて作品に雨がかかっていないかどうか丁寧にチェックを始めた。ソラたちは雨除けのひさしがある作品置きエリアにいるので濡れていない。

 なんとも不思議な天気だった。

 さぁぁあ……、さぁあ……。

 霧のような雨のようだった。
 あまりに小さくて、降りながら風で舞い上がってしまうくらい、軽い雨。

(優しい雨だな……)
 シラスが思い、思った瞬間に優雨のことを思い出した。

(優しい雨……まるで、優雨みたい……)
 ソラも心の中で思った。

(遠く人間界にいる優雨が、わたしたちの作品を見るためにやってきたのかな。重たい雨だとすぐに地上に落ちちゃうから、上に昇れるように、小さい雨になってきたのかな……)

 ソラはそんなことを考えながら、ぞくりと背筋が凍る気がした。

「ねぇ、シラス。この雨、優雨みたいだよね」
「ん? ……うん、まぁ、ソラもそう思ったのか」
「シラスも? うん、そう。優雨みたいに優しくて、あたたかくて、儚い……」

 ソラが空を見上げた。シラスの作品のように、手を掲げて手のひらで雨を受け止めた。

「優雨、見に来てくれたのかなぁ……」

 シラスも空を見る。こういう天気雨が降る時はどこかで虹がかかるかもしれない。七色の虹を、目の見えない優雨に見せることができたなら、彼女は一体どんな感想を口にするのだろうか。

「優雨が落ち着いたら、おれたちの作品がこうでしたって、伝えに行こうな」

「…………うん」

 そうソラが返事をすれば、雨が一瞬やんだ。

「やんだ……? やあね、優雨が返事をしているみたいに、いいタイミングでやむのね」

 ソラが言うと、再びさぁさぁと降り出した。

(この雨は優雨なのかもしれない)とソラ。
(この雨が優雨だとしたら、本物の優雨は今はどこにいる?)とシラス。

 雨が降っている。
 静かに、ゆっくりと、雲の広場を涙のようにしっとりと濡らしていく。



 シラスがふと言った。

「ところでさ。おれの方が勝ちだよな」

 その言葉にすぐさま反応するソラ。

「なんでよ」
「だって、ほら、見てみろよ」

 お互いの作品をもう一度眺めてみた。

「おれは手のひらが開いている。ソラのは握っている。だから、おれの勝ちだ」

 ソラは一瞬目を瞠り、それからどーんとシラスに体当たりをした。


「じゃんけんしてんじゃ、ないわよぉーーー!!!」


 ソラの叫び声が天高くこだました。
 すると一瞬、雨がやみ、それからぽつん、ぽつん、と軽やかな雨に変わった。

 もし、雨に感情というものがあるのなら。

 最後の雨は、軽く、弾ける、

 まるで誰かの笑い声のようだった——……。



(おしまい)



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