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連載小説「雲師」 第七話 びっくりしちゃった

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登場人物紹介



「ソラ、人間に会いに下界に何度も行ったんですってね」

 コンテストまでついに二週間を切った。ある朝、ソラは母親から心配された。ソラの両肩にそっと手を置き、潤んだ瞳で母が娘を心配していた。

「ここ数日は行ってないよ」

 本当のことだった。雲師くもしおきてを破りかけていることで叱られるかもしれないとソラは首をすくめた。

「雲師はね、できることと、できないことがあるの。それだけは分かってちょうだい」
「……うん。分かった」
「そう、ありがとう。お母さんたちは心配しているのよ」
「うん! ありがと。ごめんね、心配かけちゃって。内緒にしてたのは確かにダメだった」

 ソラがぱっと笑顔になり母に向き直った。ニィっと歯を見せて笑顔になると母も安心したような表情になった。

 食べ終わった朝食の食器をちゃぶ台から台所の流しに置いて、ソラは出発の準備をした。タタミから一段降りれば靴を履いて歩く石床だ。土足の廊下にはトイレ、物置、玄関が続いている。玄関脇の壁に肩がけ鞄が吊り下がっており、ソラは白いローブを羽織り鞄を背負った。

「いってきまぁす!」

 玄関に家族それぞれのスパチュラ立てがあり、ソラはその中から自分のものを手に取り、出発した。ソラの空色の瞳が映す今日の空。スカッとペカッと晴れた、降水確率ゼロパーセントみたいな素晴らしい天気だった。


 晴天の日は飛びやすい。練習にも精が出るな……と思ったら、シラスが唇を一文字に引き締めてソラへと飛びながら近づいてきた。

「どしたの? シラス……」
「……おれも会ってきた」

 は? と素っ頓狂な声が出てしまった。
 詳しく聞いてみると、ソラが下界に行くのを控えていた数日、今度はシラスが優雨ゆうに会いに降りていたというのだ。

「優雨さ……目が見えてないんじゃないか?」

 シラスの言葉にソラは驚いた。

「え? え? 見えてない?」
「手術って、目の手術なのかな。それとも車椅子乗ってっから、足もどっか悪いのかな」
「…………」

 ソラもシラスも困った顔になってしまった。でも、ソラには目が見えないことの心当たりがあったことを思い出した。紫陽花の話が出ていたのに優雨は横を通り過ぎる時に見向きもしなかったのだ。

「目、そういえばずっと閉じていた気がする……」

 目が見えない、それに歩けないかもしれない、そんな彼女が願うこと。

「空を飛んで雲の上でピクニックをしてみたい」

 一体どうしたらいいのだろうか。ソラたちは途方に暮れた。

 とりあえず居ても立ってもいられなくなり、学校が終わってから二人して優雨の住んでいる病院まで下界してしまった。下界は穏やかな曇天だった。
 病室をみると誰もおらず、優雨も寝ていなかった。

「空を飛んでみたいっていうことは、例えばシラスがおんぶしたら飛べるかな」
「まぁ、そうだろうな」
「わたしがおんぶするのじゃ難しいかなぁ」
「後ろから支えてたら大丈夫かもしれないけど、スパチュラ一本に三人も乗ったら飛びにくいんじゃないか? ソラとおれが別々のスパチュラに乗ってたら棒同士がぶつかってもっと飛びにくいかもしれねぇし……」

 病院の敷地内にある庭のベンチに座って、腕を組みながらウンウンと二人で作戦を練ってみた。目標は優雨の願いをどう叶えられるかの検証だ。

「そういえばシラスのスパチュラ、わたしのとちょっと違うよね」

 ソラと比べてシラスの棒は握る部分が太く、片側の先端にキラリと鈍い銀色の輪模様があり、反対側はすべてのスパチュラと同じように平らでひし形のヘラみたいなものがくっついていた。

「雲の上に立てない問題はどうする?」
 シラスが次なる問題点を指摘した。雲師のソラとシラスは雲の上に立ったり歩いたりできるけれど、人間である優雨にはそのようなことはできない。人間は雲を突き抜けて落下するらしいと授業で習ったばかりだった。

「それもシラスがおんぶしてたらいいんじゃない?」
「おれは車椅子の代わりかよ!」
「筋トレになりそうよ」
「……やれやれ」

 シラスが優雨をおんぶして空へと上がり、ソラが前もって手近なところに引き寄せておいた雲にシラスが立つ。その間ずっとおぶったままだ。ピクニックということで口の中の水分がパサパサになってしまう干菓子ではなく、もっと良さげなお菓子(クッキーとかマドレーヌとか?)をみんなで食べる。優雨の目が見えるかどうかは分からないけれど、よりピクニック気分を味わうために籐編みのカゴかなんかにお茶とお菓子を入れて持っていけばいいんじゃないか……。

 ソラとシラスがひねり出した優雨の願いごとの解決案はこんなところだった。

「お菓子はクッキーがいいと思う? マドレーヌの方がいいかなぁ?」
 と、ソラが言えば、
「飯の方がピクニックっぽいんじゃないか? おにぎりとかさ。ほら、クモコばぁばが「ニホン」の伝統食をーって、よく作るじゃん」
 と、シラスがすぐに答える。

 そうして二人でアイディアを言い合っていると……。


「わたしのねがいごと、知っているあなたたちは、だぁれ?」


 透明な声がした。
 ソラとシラスがぎょっとして声の発生源をキョロキョロと探した。
 さっきまではいなかったはずなのに、車椅子に座った優雨が目を閉じたまま二人の近くにひっそりと留まっていた。

(ど、どうするよ……ソラ!)
 シラスが小声でソラを小突く。
(どうするったって……! 顔はわたしたちの方を向いていないよ⁉)
 同じく小声で返すソラ。

 無表情で目を閉じた優雨が、コソコソ会話をしていた二人の方を向いた。

「ごめんなさい。わたし、目が見えていなくて、顔の向きがおかしいときがあるの……」

 美しく静かな声だった。優雨は確かに言った、目が見えていないと。身近にそういう雲師はいなかったので、ソラは妙にその真実が心に刺さった。

「……誰にも、見つからないようにしないといけないの、わたしたち」
(お、おい! ……ソラ!)
「だってもう声、聞かれちゃってるじゃん! 優雨以外、周りに誰もいなさそうよ?」

 ソラが驚愕したシラスをなだめながら言った。優雨がくすくすと口に手を当てて笑った。

「ふふ、いまはだれも近くにはいないわ。わたしの帽子が風に飛ばされたのを看護師さんが探しているところだから」
「そうなのね。あっ、あなた、目が見えないのね。それならわたしたちの姿も見えないの?」
「ええ、そうね」
「良かった! わたし、ソラっていうの。隣にいるのはシラス。……ほら、シラスも何か言いなさいよ!」

 ソラが隣のシラスを小突いた。

「え……? あ、ええと、シラスです」
「貧弱な声!」
「うるせぇな! ……えっと、雲師を目指してます。十三歳です。雲の上に住んでいます」
 シラスが不慣れな自己紹介を始めた。優雨は不思議そうな表情になり、尋ねた。
「くもし?」
「雲師って言われても分からないでしょぉー! それに、雲師のことまで話しちゃったらそれこそ掟に反するんじゃない?」
「……それもそうか。じゃあどうしたらいいんだ。もう言っちまったぞ」
「んもぉー!」

 ソラがプリプリと両腕を腰に当てて怒った。たまらず優雨がくすくすと笑い出した。

「ソラさんとシラスさんね。あぁ、とってもおもしろいわ。よくわからないのだけれど、人に見つかったりしてはいけないのね?」
「そうそう!」
「そうだ!」
「ふふふ……わたしは見えないから、だいじょうぶ。二人は雲の上に住んでいる妖精さん、って思っておはなしすることにするわね」

 飲み込みが早い優雨に脱帽し、ソラたちはホッとして胸を撫で下ろした。
 看護師さんが彼女の帽子を見つけて戻ってくるまでの僅かな時間、三人はいろいろ一気に話し込んだ。肩までの黒髪を揺らして優雨が笑う。見えていないと分かっていながら身振り手振りでおしゃべりするシラス、そこをツッコむソラ。

 ザザッと草木が擦れる音がして優雨がハッと音のする方を振り向いた。

「優雨さん! ごめんなさいね、けっこう遠くまで飛ばされていたみたいで……!」
「いえ、帽子、探してきていただいてありがとうございます……」
「あんまり外に長くいるとお身体に障ります。今日はもう戻りますね」
「……あ、はい」

 外にたくさんいることすら難しいという彼女に、ソラとシラスは驚いた。優雨は看護師さんに促されて車椅子でまた戻り始めた。つばの大きい帽子を被ると顔がすっぽりと隠れてしまう。それを見るだけで、ソラには彼女の存在がすごく小さなものに思えてしまった。

 ソラが思わず優雨の近くに駆け寄った。

 ぎゅっ

 ソラが優雨の小さく柔らかい手を握りしめると彼女はハッとした表情になり、少し微笑んでくれた。ソラたちが危惧していた「他の人に見つかるのではないか」という問題は、彼女が何も言わなかったため起こらなかった。


 優雨が去っていった。
 シラスはぼんやりと今しがたの出来事を噛み締めていた。

『びっくりしちゃった』

 優雨はそう言って、言いながらも雲師の二人の存在を受け入れていた。
 不思議なひと……。
 人間という存在が何なのか、まだ二人はよく知らない。

 分かったことは、ソラもシラスも、できることなら優雨の願いを叶えてあげたいと思っている、その事実だけだった——……。


(つづく)


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