【短編小説】苺と俺
コトリと俺の目の前にピンク色の飲み物が置かれた。
ある朝のことだった。
制服は出発直前に着るとして、俺はパジャマのままテーブル……ちゃぶ台と言われた丸いやつの前に正座をしていた。ついさっき朝ごはんを食べ終えたタイミングだった。
姉が俺に飲み物を手渡してきた。
「飲みなさい」
「え?」
「いいから、飲みなさい」
なんで命令するんだ。俺はムッとした。
姉はいつもこうだ。俺だってやればできるのに、いつもああしなさい、こうしなさいと母親の如く色々言ってくる。母親が二人もいるなんて! しかも同じことを毎日飽きもせず言ってくるのだ。
はぁ、とため息をついた。
反論しても無駄なことは分かっている。口では女どもに勝てない。
だから俺は飲んだ。
ピンクの液体を口に流し込んだ。
俺は苺が苦手だ。
姉と母は大好きで、父は好きかどうか分からないけれど、食卓に出されたら食べていた。今流行りの『べつにふつう』って感想かもしれない。
最初に食べた一粒が酸っぱかったせいだと思っている。
食べ方がダメなのよ、と姉に言われ、じゃあ最初に教えてくれよと思ったが黙っていた。
私の苺は甘いよと違うやつを差し出されたけど断った。
それは甘いかもしれないが、これは酸っぱいかもしれない。
姉はめちゃくちゃ怒りまくった。あぁ、怖い。
ショートケーキの苺は頑張れば食べられる。生クリームと一緒に食べたら酸っぱさが少なくなったのだ。
いつものヘタをとって洗った後の水滴の付いた苺たちは食べられなかった。砂糖をかけたいと言ったらまた怒られた。あぁ、怖い。
それを知っていての、この飲み物。
「……苺が入ってそうな匂いがするけど」
俺の指摘に姉は眉をキュッと持ち上げた。
「鼻は効くのね。だからもっと飲みなさい」
「……はい」
素直に飲んだ。俺ってエライ!
苺入りと判明したものの、どうしてかこれは飲めた。……というより、美味しい。
「おいしい……」
「でしょー?」
姉が得意げに言ってふんぞり返った。
台所から母の声がした。
「お姉ちゃーん、どう? 飲めそうだった?」
「うん! 飲めたよ! しかも絶賛してた!」
これが入ってるのよ、と姉が見せてくれたのは歯磨き粉みたいなチューブの何かだった。赤くて真ん中に牛の顔が書いてある。
聞いてみると、それは『れんにゅう』というらしい。
「あんたのために、お母さんがわざわざ、牛乳と苺と練乳を混ぜて作ってくれたのよ!」
と、姉は得意げに言った。
「作ったの、姉ちゃんじゃないじゃん。そんなえらそうに……」
「はぁ⁉︎ えらそうなのはあんたでしょ⁉︎」
「……」
あぁ、怖い。
俺は反論はせず、すぐ口を閉じた。
これを作るにはハンドブレンダーとかいう機械を使わないといけないらしいことや、洗うのは私はできないからお母さんにやってもらわなきゃいけないことや、苺の栄養についてとか、何だか色々言っていた。
「俺、この飲み物なら飲めるわ」
俺が言うと、母は朗らかに笑って言った。
「そう、良かった。それね、いちごオレ、って言うのよ」
「いちごおれ?」
「ふん、あんた、最近急に僕、から俺、に変わったわよね。カッコつけちゃって、やぁねぇー」
「いいじゃん、別に」
姉の発言に俺はプイとそっぽを向いた。
俺は、今日、いちごおれを人生で初めて飲んだ。デビューってやつだ。
俺は誰にも見えないところでニヤリと笑い、普通の服に着替えてから制服……幼稚園の紺色の長袖に腕を通し、紺色の制帽をサクッと被った。
苦手だった苺を克服し、
俺は、一歩、オトナになったのだ!
ちょっとだけ自信がついた俺の足たちが、悠々と玄関に向かって行った。たぶんだけど、そろそろバスがやってくる時間だろうと思うのだ(俺はまだ時計が読めない)。
「あんた、靴下忘れてるわよ」
ひと足先にランドセルを背負った姉が、ため息をつきながら指摘した。数年先に生まれただけなのに姉はすぐ俺からマウントをとりたがる。
でも確かに靴下がないと靴が履けない。
「知ってた。これから取りに行こうとしてただけ」
「あ、そ」
不敵な笑みを浮かべて姉が先に玄関を出た。
小学生になれば一人で学校に行っても良いのだ。
五歳の俺には遥か遠くのことに感じる。
軽く息を吐くと、その辺りの空気は少し甘酸っぱかった。
(おしまい)
喫茶店の飲み物シリーズ(約1,700字)
テーマ/初めてのこと
春なので苺を…。
と思っていましたら、いつの間にか初夏に突入しかけていた!
大人になるにつれ様々な経験もし、感動が薄れがちになりますが、誰もが初めての積み重ねで今に至っているんですよね。子供は初めての連続。だから目がキラキラしています。
あと数年したら見られなくなる姉弟の関係を、今この瞬間を忘れたくなくてお話にしました。
短くまとめるの、難しいです💦
俺、の生意気な台詞は事実そのまんま。指摘したら「知ってる。〜〜だもん」と本当に言います。分かっているならやっておくれよ、と毎回思います…。
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