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【紫陽花と太陽・下】プロローグ 写真

 ある日、椿つばきがトランプをしたいと言い出した。
 カードゲームができるようになったのだ。どんな些細な椿の成長にも、兄の僕は感動してしまう。母が亡くなってから椿の世話は僕の担当になっていた。保育園の送迎、食事の支度、遊び相手(ものすごくからんでくるので疲れるのだが)なんでもやっていた。

 その椿も今年は小学二年生になる。

 ランドセルの黄色いカバーは一年生だけ使用するものなので、外してみると真新しいランドセルの表面が現れた。


 ゲームは「七五三」だった。
 僕やつよしがよくやっていた「七五三」は、トランプ全部を裏にして丸く円を作り、真ん中に一枚ずつめくって置いていくルールだった。カードを置く時に表面の数字が見えるようにするのだけれど、「七」「五」「三」だったら、手でバシン! と真ん中のカードを叩くのだ。叩きそこねた人、もしくは一番叩くのが遅かった人は、積み上がった真ん中のカードを回収する。
 手元の回収カードが一番少なかった人は勝ち、一番多かった人が負けとなる。少ないということは素早く判断し、すばやく手を動かしたという証拠だ。

 それを椿はやりたいといって、僕とあずささんとひろまささんも一緒に、勝負した。

「椿の七五三、やってない……」
 僕の全敗という悔しい結果はともかくとして、重要な事実を知ってしまった。

「七五三?」
 あずささんが、不思議そうな顔をした。小さい頃の行事のひとつだね、とひろまささんが優しく教えてくれた。
 あずささんが珍しく早足で自分の部屋から辞書を取り出してきた。さすがだ。あずささんは知らないことがあるとすぐに辞書で調べる癖があるのだ。

「七歳に写真を撮らないといけないのか……?」

 その場にいた全員、椿を見た。
 椿はその日すでに八歳になっていた。

「写真、撮りたい。お兄ちゃん、撮って」
 椿がすっくと立ち上がって、僕に宣言した。慌てて写真屋に予約をしようと試みる。

 どうにか予約が取れたので、僕たちは次の次の週に、椿の七五三の写真撮影をすることになった……。


 椿は誕生日がものすごく早い。四月二日なのだ。これは、学年で一番早くに歳をとる誕生日になる。
 三月に出産すると思って当時母さんと父さんは名前を椿にした。品種にもよるらしいのだが、椿=三月の花というイメージがあったらしい。ところが椿は母さんのお腹の中にずっとしがみついていたのか、産まれたのは四月だった。脱力したとか、しなかったとか。


 撮影日は八月になった。写真屋さんで椿は赤がメインの着物を選んだ。お花やリボンや和模様がポップに散らばった可愛い柄で、バッグと髪飾りが赤色、帯がえんじ色で満面の笑みで写真を撮られていた。

「か……かわいいな……‼︎」
 一緒に来てくれたあずささんは、両手をぎゅっと握って胸のあたりでふるわせていた。

 確かに椿は、ノリノリで撮影していた。いろんなポーズを喜んでやってみせるので、カメラマンさんも大興奮してやたらと撮りまくっていた。

 百何枚もの膨大な写真からたった二点を選ぶのに相当苦労したのだが、椿は帰り道、
「お兄ちゃん、お腹すいた」
 と自分の欲求を素直に吐いていたので、逞しくていいなと感嘆してしまった。


 しばらくして、椿の七五三の写真が自宅に届いた。
 桐華とうか姉やひろまささん、あずささんがかわるがわる写真を見て、感想を漏らす。写真が届く日を伝えておいたので、一人暮らしをしている梨枝りえ姉もやってきて、写真を見て絶賛した。椿はふふんと胸を反らした。

 台所で僕がお茶の用意をしながら、向こうにいる皆を見た。
 リビングのローテーブルに大きなアルバムを広げて、兄姉妹の小さい頃の変遷を楽しんでいるのが見えた。若かりし頃の母さんと父さん、生きていた頃の母さんと父さん、赤ちゃんの僕、幼い僕、赤ちゃんの椿……。

 あずささんの横顔を遠くから眺める。あずささんの小さい頃の写真は、一枚もない。アルバムというものすらない。あずささんが僕の家に住み始めた時、持ってきたものは何もなかった。後に、前にあずささんから椿に貸した絵本があると知ったのだけれど、それ以外は全て義兄の家に置いてきた。そして、持ち物全てを新しく買い直した。

 あずささんの持ち物はとても少ない。必要最低限のものばかりだ。それに、僕が贈ったプレゼントがいくつかと、姉たちから渡されたスマホ。それくらいか。少なくとも「写真」というものをあずささんは一枚も持っていない。

「このときの遼介はねぇ、猫を追いかけたーとかなんかで迷子になったのよね」
「これは剛くんが迷子センターにいる遼介を探してきてくれた時の写真ね」
「椿が産まれて、一ヶ月くらい経った頃かしら。懐かしいわねぇ」
「母さん、こういう顔をしていたこともあったのね。遺影写真しかいつも見なかったから、久しぶりに見てびっくりしたわ」

 姉たちが口々に思い出を語る。僕よりも十歳以上離れているのだ。僕が知らない記憶や思い出も、姉たちにはあって少し羨ましい。

 お茶とおやつの準備ができたのでダイニングテーブルに集まった。

 千歳飴はおやつじゃない、と言って撮影したその日に椿がボリボリ食べてしまったので、今日はゼリーにした。葛のゼリーがスーパーであったので、人数分買っておいた。

 姉たちがめいめい席につく。あずささんもやって来た。椿はアルバムを閉じようとしていて、ひろまささんが近くで念のため様子を見ていた。たぶん、さっきアルバムを本棚から持ってきた時に椿が持ちたいと言い出し、でもあまりの重さに太腿に落っことしてしまったので、それを心配してのことだろう。

「あ、何かはさまってる」

 椿がアルバムから小さな紙を引っ張り出した。
 僕のお茶を置いていた手が止まった。
「あ、これって、お兄ちゃ」

「だめだぁぁああー‼︎ 椿ー‼︎」

 ダッシュして椿の手から紙を奪い取った。声が裏返ってしまった。

 急にダッシュしたのでハァハァと息が切れた。椿をジロリと睨んで、尋ねた。
「……見た?」

 椿がキョトンとして、ウンウンと頷いた。……見られてしまった。

「あずさちゃんの写真だねぇ」
 隣でひろまささんが小声で囁いた。びっくりして見ると、ニヤリと笑っていた。


 そう、この紙は写真なのだ。
 中学三年生の修学旅行の時のもの。学校の壁に膨大な枚数の行事写真が貼り出され、希望の写真の番号を封筒に書いて、お金を入れて提出する。椿の記念写真の撮影枚数より遥かにたくさんの写真たち。なにせ一クラスだけでも生徒が多いのに、一学年全員が撮影されているのだ。見るだけでも時間がかかる。

 買う気はなかったので、ザーッと眺めて済ますつもりだった。
 でも目に飛び込んできた。

 あずささんが、笑っている、たった一枚の写真が。

 慌てて他の写真も見てみた。自分のクラスではなくて、あずささんと剛のクラスを。他の女の子はたくさん写っているにも関わらず、彼女は写真に全然写っていなかった。写っていたとしても、笑顔ではなかった。修学旅行の最後の日、旅館で僕と剛が彼女を探して、やっと見つけた時に彼女は言った。寂しかった、と。僕は、三年生になってあずささんと剛とは、別のクラスになってしまった。クラスが違ってグループも違うのだ。旅行中はほぼ出会うことはなかった。精神的な面で体調を崩し、保健室として使っている部屋にいた時間もあったと聞いた時は肝が冷えた。唯一出会ったのは、自由行動の時間に街中ですれ違った一瞬だった。全員指定のジャージ姿で街を歩いているのだ。顔は分からなくても同じ中学ということはすぐ分かる。

 僕は反対側からこちらに向かって歩いてくるグループにいたあずささんに気が付いて、嬉しかったのでつい大きな声で名前を呼んでしまった。

 あずささんは一瞬驚いて、それから、笑ったのだ。その一瞬を、どこにいたのか知らないけれど、カメラマンさんが撮った。


 という一幕を椿に話すつもりは毛頭ない。

 だから僕は仏頂面で椿を睨んだ。
「見たなら、誰にも言わないでほしい」
 椿がキョトンとしている。
「それ、裏が白いし、何も書いてない。折り目もない」
 椿が言う。とんでもない爆弾発言だ。僕は背中に汗が流れるのを感じた。

「そうだねぇ。不思議だねぇ、椿ちゃん」
 ひろまささんがニヤニヤ笑っている。気が付いているのだ。
 僕が、に。

 一枚は、父さんとのお約束と遺言(のようなもの)を書きなぐった。メモ帳に挟むにはどうしても折らなければならなかったので、折ってメモ帳ごと持ち歩いていた。ことあるごとに遺言を見た。写真はどんどんボロボロになってしまっていた。あずささんに告白しようとした時に、ボロボロの遺言は破って捨てた。燃やしもした。

 もう一枚は、ここにある。

 どうしよう。捨てられない。スマホみたいにデジタルではないから、これを捨てたらもう当時のあずささんの笑顔がどんなだったのか忘れてしまう。
 なぜ昔の自分がこの写真を二枚買ったのかは明白だ。父の遺言を裏に書かなくてはいけないと知っていたからだ。

 父はこの頃既にしゃべれなくなっていた。死ぬことが決まっていた。どうしようもなかった。約束も遺言も忘れないようにしないといけない、それだけを必死に考えていた。

 保存用にと考えていたのだろうか。
 そんな用意周到なことを当時の僕は考えていたのだろうか。

「遼介? お茶が、冷めてしまうぞ」
「あ……、うん」
 あずささんが不思議そうにこちらを見ていた。
 僕は、椿に絶対に誰にも言うなよと念を押して、ひろまささんの方を仏頂面で一瞥して、ダイニングテーブルの方に戻って行った。


 二枚目の写真をどこにしまったのか、正直忘れてしまっていたのだ。

 アルバムは危険だ。

 やはり、大事なものは肌身離さず、持っていなくてはだめなのだ。




(つづく)

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紙媒体で作成した小説を区切りながら公開しております。
お気軽にお付き合いくださいませ。

下巻から読み始めた方は家族関係が分かりにくいかと思います。

遼介の家族はたくさん一緒に暮らしています
梨絵姉は一人暮らしで別なところ
あずさは居候として同居している設定です

下巻スタート時の遼介は17歳。
これから彼とあずさと剛と…新しい友達と。
悩みながら一歩ずつ前に進む彼らを見守っていただけると幸いです…!

学校行事の写真が壁一面に貼り出される、という方法は今はとられていないようですね。ネットで探してネットでカード決済。ここ数年のことでしょうか。ずいぶん簡素化されました。
アナログ写真をスキャンすればデジタル変換できますが、そこは遼介。当時は知らなかったということです。
大切な写真についてはいずれ触れる予定です。

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