連載小説「雲師」 第六話 コンテストをどうしよう
優雨、というのが少女の名前だと判明した。
名前の持つ意味を知り、ソラは胸が高鳴るのを感じた。優しい雨! なんて素敵な名前だろうか! それに出会ったあの日も雨が降っていた。さあさあと穏やかに優しく降っていて、まるで優雨みたいだと心から思えた。
「コンテストは三週間後かー……」
ソラの隣で、シラスが雲を造形するための道具を磨きながら呟いた。
(そうだった……コンテストに応募するためのテーマ決めがまだだった……)
ソラはがっくりと両肩を落とした。
今受けている授業は座学ではなく、実習形式だった。クラスメイトたちが広い中庭にお互い適度な距離をとって座り、まずは道具の手入れをしていた。
ソラやシラス以外にもコンテストに参加する子はたくさんいるので全員がもはやライバルだった。授業で学んだことがコンテスト入賞に繋がる。誰もが集中して目の前の作業に没頭していた。
「シラス。テーマはもう決めたの?」
「テーマ? あぁ、いや、まだだ。台風はやめたしな」
「言ってたねそんなこと」
ふふふとソラが笑った。台風がカッコいいからテーマにしようかと、前にシラスが言っていたのを思い出したのだ。
コンテストで一体何をするのかというと、参加者は一つ作品を仕上げることになっている。テーマ、作品、それを作った理由などの解説文。この三点を制限時間内に仕上げて提出し、審査員が選定、そして優勝者が決まるのだ。
ちなみに、優勝以外にも準優勝や頑張りましたで賞などもあるから、入賞するくらいなら確率は高いのかもしれない。
使う材料は「雲」のみ。ソラの祖母、クモコばぁばも雲だけで土偶を作り上げたのだ。
「これは雲を切り取るやつ……。こっちは雲を移動させるやつ……」
ぶつぶつと呟きながら、ソラも真面目に道具の手入れを進めていく。これらの道具は「クラウドボー」と呼ばれる杖のような棒状のもので、先端が異なる形の棒を用途によって使い分ける。自分の背丈よりも長い棒の先の金属部分を、専用の布でつややかに磨き上げていった。
「うっし! 終わりっ! じゃあなっ、ソラっ! 先に行くぞ!」
先端がフォークのように四つ叉になった棒を持ったシラスが、スパチュラに跨って颯爽と飛び立った。背には雲をカットするナイフ形の棒を背負っている。用途ごとに使う棒が違うので何本も背負う必要があるのだ。
今日は、シラスは「積雲」と呼ばれる固まった雲をスパスパとカットしていく練習をすると豪語していた。頭上の彼を見上げると、さっそく練習用の雲を選んでフォークで突き刺し、手元に引き寄せているところだった。
コンテストに向けてみんな毎日練習を重ねている。
ソラはシラスから目を逸らして自分のクラウドボーを見つめた。
祖母が初代コンテストの優勝者であることがとても嬉しくて、ソラは幼い頃から既にクラウドボーを手に雲と戯れていた。それ以前に子供用スパチュラでびゅんびゅんと飛び回っているのだから、同年代よりはずいぶんと道具の扱いには長けていたのかと思う。
(優雨……)
シラスやばぁばには内緒なのだが、ソラは初めて優雨に会った日から何度か下界に降りていた。目的はもちろん、優雨を見るためだ。声はかけていない。掟があるからだ。
願い配達人のおじさんはすごくソラを心配していた。
会ったところで我々には何もできないと何度も教えてくれていた。
優雨と彼女の母親の会話から、彼女は重い病気なのだということも知った。
『そとで思いっきり遊びたかったな』
そう呟いた優雨の言葉がズンとソラの心に響いた。
ソラもシラスも友達も、思いっきり空を駆け巡ることができる。あっちの雲、こっちの雲とぴょこんとジャンプをして、空の散歩を楽しんだりもしている。
(遊びたかった、だなんて、どうして諦めたことを言うのだろう……)
何度もこっそりと見に行って、優雨は手術を控えていることも知った。
おじさんに聞くと、手術とは身体の中の悪いところを道具を使って取り出したりする行為のことを言うらしい。道具って、クラウドボーみたいな? ソラは震撼した。
スラリと四つ叉のフォークのような棒を持ち、ソラは飛び立った。ナイフのクラウドボーは今日は使う気になれなかった。雲をフォークで突き刺してスッと横に動かす。シラス雲と呼ばれる薄くて刷毛で書いたような雲を作る練習を重ねた。
ザクッ、スッ、ふぁっ。
ザクッ、スッ、ふぁっ。
ザクッ、スッ、ふぁっ。
(三番目の雲はかなり薄めにちぎれたな。これくらい柔らかいちぎり具合はわたしの好みと近いな……)
テーマはまだ決められていないけれど、作りたいものができてそれを思うように仕上げるには「技術」が絶対に必要だ。
ソラは黙々とちぎる練習をする。一通り練習をして満足すると今度はフォークで器用に雲を集め、まとめて、そこをプスプスと刺していった。柔らかな雲が少しずつ塊になっていった。
ある日のこと。
ソラが下界に行った時、優雨は車椅子で病院の庭をゆっくりとお散歩しているところだった。優しい笑顔の看護師さんが車椅子の後ろを押していた。
(あ! 今日は優雨が笑ってる!)
目を閉じたままの少女が口元を綻ばせて大きな車輪付き乗り物で運ばれていた。
ソラは曇りの日にしては爽やかな薫風をおでこで感じながら、少女と看護師さんの会話をこっそり(姿は見えていないのである意味堂々と?)聞いていた。
「優雨さん、今日は右側の少し先に紫陽花が咲いていますよ」
「あじさい……。どんなかんじですか?」
「いろんな色がありますね。明るい色、涼しそうな色。紫陽花は土の種類によってお花の色が変わると言われております。ですので、向こうのどのお花も同じ色にはなっていないですね」
「そうなのですね。おもしろいですね」
ゆっくりと車椅子が進み、看護師さんが教えてくれた紫陽花の横を通り過ぎた。優雨は目を閉じたまま花の方を向くこともせず、前を向いたまま通り過ぎた。
ソラが何度か下界に降りていることが、ついにばぁばに知られてしまった。
その時おやつ目当てのシラスも隣にいたのだが、彼は目を丸くしてそれからソラを睨んだ。
「おれにも内緒で会ってたなんて……!」
「どうしてシラスが怒るのよ」
プリプリと両腕を腰に当ててシラスが怒っていた。ばぁばは大きくため息をついた。
「ソラ……。あんまり人間に近くなってはいけないよ」
「わたしはわたしよ? おまじないで姿は見られてはいないし、話しかけてもいない。バレてないから別にいいじゃないの!」
正直なところ、どうして掟でそこまで正体を見られてはいけないのかが分からなかった。悪い人ならまだしも、優雨はきっと優しい子。たとえソラを見たとしても、彼女はきっとびっくりして、それからまっすぐな言葉でソラのことを受け入れてくれると思っている。
「下界ばっかり行ってたら練習もしてないな? コンテストは受けないことにしたのか?」
シラスが話題を変えてソラに言った。ソラは首を横に振る。
「コンテストは参加するわよ! それはそれ、優雨に会いに行くのだって、やりたいことなんだもん!」
「いつ練習するんだよ」
「テーマが決まってないから……まだなんだもん」
「いつ決めんだよ」
「……うっ、それは…………」
シラスだって決めてないじゃないと言い返そうとした時、後ろで所在なく突っ立っていた配達人さんが静かに言った。
「ソラさん……。先ほどの少女さんたちが仰っていた『手術』の話ですが……。どうやらコンテスト当日に予定されているようですよ」
(えっ……⁉)
ソラが絶句して目を瞠った。コンテストは三週間後だ。
(かといって、何が変わるわけでもないんだけど……)
ソラがちらりとシラスを見やる。無表情のシラスと目が合い、すぐに彼はぷいと目を逸らした。まだ何か怒っているのだろうか?
コンテスト、テーマ、優雨の手術、願いごと……。
どれもこれも悩ましいことばっかり。
仕方なくソラは両腕をうーんと持ち上げ、大きく伸ばしてみた。
その日、シラスはおやつ目当てで来たにも関わらず結局何も食べずに帰って行った。
(つづく)
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