連載小説「雲師」 第四話 願いごと
雨が降っていた。
人間界のある下方を見ても、今日は何層にも分厚い雲があるせいで灰色一色、何も見えなかった。曇天の中、ソラは自分のスパチュラに跨り雨粒を弾かせながら帰宅していた。
白いローブのフードからポタポタと水滴が落ちる。
家に到着し、ソラはまずローブ——悪天候の際に着る防風防水仕様のつやつやしたタイプだ——をパンパンと払って雨を丁寧に落とした。動物が濡れた体をブルブルと振るようにソラも頭を横に動かし、髪についていた水滴も落とす。
天上に住むソラたちは人間ではない。体調不良とも縁がない。雨に濡れたところで人間のように「風邪をひく」ことはないのだが、ソラの家に敷いてある「タタミ」が濡れるのはクモコばぁばが渋い顔をするので気を遣っているのだ。
「ただいまぁ」
「あぁ、ソラ。おかえり」
ソラがひょいと居間に顔を出すと、先客がいた。
赤い帽子を被ったおじさんだ。人懐っこい顔でちょっとシワがある彼は、願いの配達人というお仕事をしていた。
「やぁ、ソラちゃん。おかえりなさい」
「こんにちは。ただいま戻りました」
ソラは両足を揃え、ちょっと膝を曲げて挨拶をした。雲師を目指す者として礼節は大事なのだ。
願いの配達人さんとクモコばぁばはちゃぶ台に向かい合って座っていた。配達人さんの傍らには大量のわら半紙入りの黒革の大きな鞄。がま口が開けられて、持ってきたであろう願いごとが書かれた紙は、今はちゃぶ台の上に置いてあった。
「これらは、却下で良いと思うよ」
「えぇ、クモコさんの前にセキラさん宅にも立ち寄っておりますが、彼もこちらの束については同様の判断をされておりました」
「じゃあこれは問題ないね」
「そうですね」
配達人さんが鞄から大きなハンコを取り出し、数枚重なったわら半紙の一枚目に「却下」という赤い印をどーんと押した。
「こちらはいかがでしょうか」
「そうさねぇ……」
こんな調子で月に一度、ばぁばは配達員さんと仕分けのお仕事をしていた。
人間界の神社や寺、祠を通して届く人間たちのいろんな願い。
願いごとはいろいろあるけれど、やっぱりダントツで多いのは雨乞いと晴乞い系だ。農家の多い地域では作物に必要な雨と陽のどちらかをお願いされ、人が多く住む地域ではイベントの開催を左右するために願われる。
『神さま、お願いです。何月何日に運動会があります。絶対にかけっこで一位を取りたいので晴れにしてください!』
『神様仏様、お願いです。何月何日の運動会は絶対に雨にしてください。延期とかも嫌なので、その週はずっと雨続きにしてほしいです!』
このように重複し、かつ正反対の願いごとまである。
(どうせいっちゅうねん!)
ソラは年配の二人の横を通り過ぎ、台所へと向かう。目的はおやつである。ガサゴソと「ソラ」と書かれたおやつ箱をあさってめぼしい茶菓子を選んでいると……。
「ソラー! おやつ食いてぇ! 何かあるー?」
シラスが大声で玄関からやって来た。
「シラス……あなたって人は、下心しかないのね……」
脱力しながらもソラはシラスを家に迎え入れ、二人でおやつを物色した。ソラの祖父の「オブツダン」なるものが居間と台所の境目にあり、ばぁばはしょっちゅうお供えの茶菓子を買ってくるので、ソラはわりと日が経ったお菓子をもらえるのだ。シラスは幼馴染なのでそれも知っている。
おやつがほしい=ソラの家に行く。こういう構図がシラスの脳内にはあるらしい。
「ふーん、雨乞い系の願いごとは、却下なんだ」
「そうみたいね。あ、でも先月は、確かどこかで雨を降らせなかったっけ?」
シラスがちゃぶ台に置いていた願いごとの紙たちを見て感想を漏らし、ソラが答えた。クモコばぁばが頷いて言った。
「よく覚えているね。先月はあまりに酷暑で日照りが続いていてねぇ。さすがに三日だけ雨を降らせることにしたんだよ。農作物が全滅したらその地域だけではなく、国全体の食糧事情を揺るがす事態にもなりかねんからね」
国にもよるが、現代は食べ物を作る地域と消費する地域が離れているので、一箇所で食べ物が作れなくなると国全体にも被害が出てしまう。
「被害が大きくなる可能性があれば、雨を降らしたりお天気にしたり、するってこと?」
ソラはばぁばに尋ねた。
「命の数が判断材料には必ずしもならないけれど、それでも必ず未来が分かるような事態……食べ物の不足とかだね。そういう場合には、まぁ我々雲師が動かない訳でもない」
(動かない訳でもない。……ないが二つもある。何だかややこしい言い方をするなぁ)
ソラは納得していない顔をした。
下心しかないと言われたシラスが、隣で干菓子をかじりながら言った。
「ばーちゃん、この前学校で『掟』について先生から教えてもらったんだ」
「ほう、ほう」
「難しいよ。じゃあ結局願いごとってどうすればいいんだろう」
「そうね、存在を明かしてはならないっていうのは、隠れていれば大丈夫だと思うけど。雲師は神さまみたいにえらくはないから、願いごとを叶えても叶えなくてもいいってこと……なのかな?」
ソラもシラスに続いて疑問を口にした。
「叶えるかどうかって、誰が決めるの? ばぁばは今、配達員さんと一緒に決めてるよね?」
クモコばぁばがソラたちを見つめてゆっくりと言った。
「叶えるかどうかの云々は『掟』には入っていないよ。あくまで、我々の行動の指針を言っているのが掟だからね。確かにとても難しい。あたしだけが判断していいものでもないから、だから配達人さんもあたし以外に、セキラさんや他の雲師とも相談して回っているんだよ。一人で決めていいものじゃないからね」
甘い食べ物を干して固めた菓子は口の中の水分をめちゃくちゃ吸い取ってしまう。ソラもシラスも、干菓子、お茶、お茶、干菓子、の割合で頑張っておやつを食べていた。
「いくら我々が隠れていても、願えば願う度に天候が望み通りになれば、人間はどう考えるだろうか。神様仏様とやらは願いを叶えてくれるものだ、と、それが当たり前になってしまうかもしれん」
「……確かに」
「おれたちの存在はまだバレてはいないけどな」
「雨を降らせ、という願いと、晴れにしてくれ、という願い。これは相反するものだ。同時期に反対の天気など起こせるものでもない」
ばぁばは一口茶を啜り、続ける。
「願いが叶った者とそうでない者とで諍いが起こるのも望ましくない。そして叶うことが多ければ、何か力を持った存在がいるという証拠にも繋がりかねん。ずっと神仏の仕業と思ってくれたらいいが、万が一雲師がちらっと正体を見せてしまったら……」
(ど、どうなるんだろう……)
ソラは少し不安に思って両手を握りしめた。だけど、ばぁばはそれ以上は何も言わなかった。
少しの間、静かな時が刻まれた。
「こっちは? 却下ハンコ、押してないよ?」
呑気な声でシラスが言った。ソラも俯いていた顔を上げてシラスの手元の紙を見た。
「あぁ、それは判断しかねる願いごと、さ」
「おや。またその願いごとが届いたのかい」
「そうなんだよ、クモコさん。もう数年にわたって届き続けているからね、一時の子供の気の迷いでもなさそうで。かといって『無理です、はい却下』とも言いにくい夢のある願いだし……」
ソラとシラスが正方形のわら半紙を見た。
「……ロマンチックな願い事だな」
「ピクニックだって」
シラスがポツリと呟き、ソラも驚きの声を上げた。
差出人は同じ人のようで、一年くらいずっと同じ願いごとを送り続けているようだった。
ところで、先述の通り、雲師には特別な力がある。
まず、空を飛べる。スパチュラという長い棒に跨って念を込めれば自由に空を駆けることが可能だ。集中力が途切れたりすると思うようには飛べない。だから訓練が必要だ。
そして、雲の上に立てる。立ったり歩いたりするのに特別な道具はいらない。
「人間は……雲の上に乗れる?」
ソラは例の願いごとを検証してみた。シラスは首を捻り、ばぁばは横に振った。
「乗れん。立てん。もちろん座れもしない」
「……ですよねー……」
「ピクニックの前に、雲に乗れないんじゃ、無理だよなぁ」
シラスが困った顔で言った。空を飛んで、というところだけなら、雲師が両脇を支えて……とか、雲師がおんぶして……でなんとかなるかと思ったけれど。
(そもそも姿を見せられないし、世の理に手を出しまくってる感じがするから、やっぱり難しい願いごとだよね……)
ソラはしゅんと項垂れて、ため息をついた。これほど何回も願うくらい大切なことなら、できることなら叶えてあげたいと思ったのだ。
配達人さんとばぁばが引き続き仕分け作業に取り掛かった。ピクニックの願いは今回も保留となったらしい。次、次、と見事な手際の良さで願いごとの仕分けが進んでいく。
配達人さんが赤い帽子を被り直し、玄関で帰り支度をした。ばぁばとソラとシラスも見送りに来た。おじさんが年季の入ったスパチュラを片手に、反対の手で大事な黒革の鞄を抱え、丁寧におじぎをした。
ソラがふと思いついた質問をした。
「あの、おじさん?」
「何だい?」
「さっきの難しい願いごとをしたのって、誰がしてるのか、分かるものなんですか?」
「あぁ、分かるよ」
生き物たちの中で強い思念を持つものは人間だけだ。他の種族……虫や動物は天候などを願わない。今この瞬間を生きているだけだから。
人間たちの強い願いは、神社や寺、祠などを通して光となって天上に届けられる。願いを集める雲師がいて、紙に書き留める雲師がいて、今日のような赤い帽子の配達人さんが相談役と言われるクモコばぁばみたいな雲師の元を尋ね、判断をしていく。叶える雲師もまた、別にいる。
おじさんは目尻にシワを寄せて笑い、ソラに言った。
「差出人は母親だそうですが、願ったのは娘さんとのことでした。
娘さんは命に期限があるようで、余命宣告もされております、と注意書きも添えられています。……だからといって、叶えることはまず難しい内容ですので、本当に毎回保留にはしていますけれど、心苦しい気持ちは拭えませんね」
ソラとシラスは目を瞠った。
外は未だに雨が降り注いでいた。
天上のさらに上空から溢れ落ちる雨たちは、人間の世界に届く頃には、一体どのような色彩に染まるのだろうか。
(つづく)
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