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イエスとノーの判断ができない不幸者。

皆さんは映画『イエスマン』を見たことがあるだろうか。

「ノー」が口癖の人生に後ろ向きな男カールは、生き方を変えるために参加したセミナーで、「どんな事に対しても『イエス』と答えることが、意味のある人生を送るための唯一のルール」と教えられる。それから「イエス」を連発するようになったカールの運気は上がっていくのだが……。「マスク」「トゥルーマン・ショー」のジム・キャリーが主演するコメディドラマ。共演に「ハプニング」のズーイー・デシャネル。監督は「チアーズ!」のペイトン・リード。

映画.comより引用


随分と前にこの映画を見たのだが、今になって超参考になるなと思い始めている。

イエスマンは、ぱっと見フッ軽で、なんでも受け入れてやってくれる超良いやつみたいなポジティブな要素が多い。実際、少しの勇気を出してイエスという回答を自分の中で出し、体験できることや新たに繋がっていく縁もあったりする。
だがしかし、イエスマンは続いていかない。いや、もう少し付け加えるなら、脳死イエスマンはどこかでガタが来る。あと先のこと、このイエスが自分にどういったポジティブな要素を与えてくれるのか。100%やりたくないことに承諾してしまうイエスは、周りに利用されているだけだと気がついた方がいい。また、なんでもかんでもイエスイエスと言っていると「あの人って自分の意見とかないの?」と、逆効果にさえなってしまう。

嫌われたくないからイエスマンになる、というのもナンセンスだと感じる。日本人は特にそうだと思うが、物事を断れないという特徴があまりにも強すぎる。それは周りの人にどう思われるか、マイナスな評価を与えないかという不安からくるものだと思うのだが、数回断ったくらいで関係性が絶ってしまうのなら、むしろそれくらいの関係でしか無かったんだなと捉えればいい。関係性を維持するためにイエスマンになることは時に重要なんだけれど、正直ずっとは疲れる。こいつはいつもイエスだから!と思われるなんて、なんだかAIのロボットのようで悲しくなる。感情を表現できるのが人間なのだから、もっとノーと言っても良いはずだと思う。


散々イエスマンの弊害について言ってみたが、ノーマンもそれはそれでキツい。映画イエスマンの中でもあるが、様々な物事にノーと言いすぎてチャンスを失ったとある。これは本当にそうだなと思う。イエスか、ノーか。どちらかに極端に振るのではなく、フラットマン。しっかり自分の中に意志や考えがあって、イエスとノーの使いわけができる人間を目指していきたい。

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