後悔しない人生なんて無いという事
部屋の中で、一人でぼーっとしていると時々思う事がある。
それは、自分はいつか死ぬのだなという事についてだ。
10代の頃は、まだ何年も、何十年も、下手すりゃ謎の科学技術の発展で、永遠に生きることも可能なのかもしれないなんて、夢物語を頭の中で展開することもできたわけだけど
さすがに30代になって…、しかも30代なかばになってまでそんなお花畑な頭ではいられない。
いつか人は必ず死ぬのだ。
しかし、年をとって変わったのは、死ぬという事がさほど嫌ではなくなった事くらい。
それについては一旦おいておくとして…。
死ぬ時の後悔について
人間はいつか死ぬわけで、生きてる間にやっておきたかったことという事は山程残して死ぬものだと思っていた。
それが普通だと思っていたし、そういった後悔を少しでも減らすために沢山の事を経験して、やりたい事をたんまりとやりつくして死ぬのがベストだと考えていた時もあった。
でも、今は違う。
「やり残した」という感覚や「あの時やっておけば」という感覚は、あくまでも想像、妄想の中の未来や過去に対して抱く感情だ。
現実には、今しか存在しない。
今、僕が死ぬ寸前、あと一週間の命ですと言われて、過去にああしておけばよかったとか、こうしておけばよかったと考えた所で現実は変わらず、一週間後には存在しなくなっているのだろうし。
活動的に動いている人であればあるほど、死ぬ寸前にやり残したことを抱えて道半ばで死ぬ事になるのだろうと思う。
まるでニヒリズムのような話だが、これは事実だ。
過去に何をしようが、未来にどれだけの思いを抱えていようが、現実は変わらない。
後悔しない生き方なんてのは、所詮、今を生きるための起爆剤的な詭弁でしかなく、何かをしておいたとかしなかったとか
それは現実にはなんの影響も与えない。
ただ、「そういった妄想」をしているだけに過ぎない。
死ぬ時に必要な事は今に目を向けること
後悔しない生き方なんて出来ない。
今日食べ過ぎたとか。昨日飲みすぎたとか。もっと時間を有効に使えばよかったとか。
小さい単位で人は過去を振り返れば後悔ばかりだ。
未来についても同じ事で、こういう未来を創造したいから、今日アレをしようこれをしようと、コスパコスパと口にして生きている。
現実は、今しかないのに。
死ぬ時も同じだ。
過去どうであったとか、病気にならなければ、もっと体が自由に動けば素敵な未来があったのになんて考える。
それが死ぬ時の精神的な苦悩であって後悔であって、奪われた未来への喪失であって…
でも結局、現実は変わらない。
いつ何時も、どんな状況であっても、精神的な平静を維持するのに必要なのは
「今に目を向けること」
これだけだと僕は思う。
今いくら何かを積み上げようと、死ぬ瞬間に過去に目を向ければ、きっと後悔するだろう。
人間はそういう生き物だ。
死ぬ時に必要なのは、何をするかではなくて、常に今に目を向けて
コントローラブルな事だけに取り組むスキルなんじゃないかと、そんな事を思う。
このスキルさえ身に着けておけば、死ぬ時も「さて死ぬまでどう生きるか」と考えられる事が出来るんじゃないだろうか。
知らんけど。まだ生きてるから。