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私の人生に影響を与えた本

私自身の歩みを本とともに振り返る

私は、高校生まではほぼ本を読みませんでした。部活や勉強で忙しく、また自分にとって本を読む必然性を感じるほど心震えるようなものが見えていなかったからかも知れません。しかし、大学生になってこどもたちと関わるようになり、「こども理解」と「自己理解」を行き来する中で、次第に「より深く考えたい」という思いから専門書を中心に読むようになりました。まだまだ読書量は少ないですが、今振り返ると、本との出会いによって人生が豊かに彩られているように感じます。今回のブログでは、学生時代から現在に至るまでのいくつかの段階で出会った本を厳選して、そのエピソードとともに紹介していきたいと思います。なお本の説明部分はあくまで私の主観的な捉え方で、かつ読んでからしばらく経過していたり読みや解釈が不十分だったりするものも含まれます。予めご了承ください。

学部生時代

放課後の場やおもちゃ売り場てこどもたちと出会う中で次第に学校外の居場所に興味を抱き始めた学部生の頃、私はゼミで読み合い語り合った山崎隆夫先生の教育実践書や、フリースクール、学童保育についての実践記録に出会い、自分のビジョンを深めていました。また、障がいのあるこどもたちとの関わりの中で、いわゆる言語を媒介としないやり取りの中でこどもたちの”声”を聴くことができる援助者の姿に興味を抱き、そこから鯨岡峻先生や小林隆児先生の文献も読んでいました。この時期に読んだ文献の中で、特に今の自分の在り方に影響を与えたものがこちら。

○田中孝彦『子ども理解ー臨床教育学の試みー』岩波書店、2009年

田中孝彦先生の講義がきっかけとなり、私はこどもたちの〝声〟を聴く実践を目指しながら自分自身の在り方について問い続けるようになりました。こどもたちの姿を「荒れ」「問題行動」などと表面的に捉えて「治療」や「矯正」の対象としてしまう上からの教育や、その背景にある競争と自己責任、個人主義を促す新自由主義的風潮。それを越えていくべく、こどもたちの語りを通して共に実践を紡いでいく「発達援助専門職」(教師に限らず、こどもの生存・成長を支える人々の総称)の在り方について考えることができる一冊です。様々な現場(特にコミュニティー・スペース)を経験させていただいた今だからこそ、教育・保育・心理・福祉などの分野の垣根を越えた協働や、いずれかの立場に特権階級を持たせたり「正解」とされる唯一の支援を決定するような喧々諤々の議論をしたりするのではなく、対話を重ねつつこども理解と自己理解を深めていく「子ども理解のカンファレンス」の重要性を感じます。さらには、学童保育職員や公民館、児童館などの職員、プレーリーダー、コミュニティー・スペースの職員、さらには駄菓子屋さんや「地域のおじちゃん・おばちゃん(お兄さん・お姉さん)」などの人々が持つ大切な役割をも内包する重要な概念であるようにも思います。いわゆる「コロナ禍」という困難な状況に見舞われ、こどもたちを取り巻く学びや育ちの在り方が揺らぎ変化しつつある今だからこそ、ぜひ読んでいただきたい本です。

○増山均『アニマシオンが子どもを育てる』旬報社、2000年

こどもたちとの関わり合いの中で生まれる即興的・共創造的な遊びについて関心を抱き始めた頃に出会ったのが、この本でした。「アニマシオン」は、「生命・魂(アニマ)を活気づける」という意味。スペインにおける「社会文化アニマシオン」の事例を通して、根源的なアニマシオン観について学ぶことができます。スペインでは「アニマドール」という存在の専門性が認められていることを知り、そのような存在を目指したいという思いを抱きました。また、この本を通して子どもの権利条約の第31条とも出会うことができ、後に学童保育でこどもの権利について考えるお仕事をさせていただけたことに不思議な運命を感じます。当時は大学の図書館で借りて読んでいましたが、ブログを書いているうちにもう一度読みたくなって先日購入しました。思い出の本と再会することができ、幸せです。

○E.L.カニグズバーグ『ドラゴンをさがせ』岩波少年文庫、1991年

思春期かつアウトサイダーなこどもたちが織りなす物語を中心に書いているカニグズバーグ。読み始めは内容を理解しにくい印象を受けますが、読み進めていくうちに少しずつ謎が解かれていくカニグズバーグのスタイルに魅せられ、夢中になって読み進めたことを覚えています。この『ドラゴンをさがせ』を知ったのは、横湯園子先生の『アーベル指輪のおまじない―不登校児とともに生きて』(岩波書店、1992年)がきっかけ。いわゆる学校文化からは浮いており、ドラゴンの絵ばかり描き将来は探偵になりたいと考える少年と、近所に引っ越してきた一風変わった主婦とが出会い、少年の夢に向けた修行をしていく中で大きな事件へと巻き込まれていく―。学生の頃はこの物語を「ナナメの存在の大切さ」という解釈で読んでいましたが、今は「未知のものを真ん中に、協働・共創造していくような発達観・教育観」という文脈から捉え直しています。いずれにせよ、こどもと大人との関わりについて考えることができる一冊です。

大学院生時代

修士論文のテーマで紆余曲折しつつ、最終的に『「わたし」の萌芽・育ちを基軸に据えた「遊び」についての一考察―子ども-大人関係の中で即興的に生まれる「遊び」の場面を手掛かりに―』というタイトルで論文を書きました。いかにして私が伝えたい「遊び」と、「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」などといったような「名のある遊び」(修論執筆時点では、このような表現は用いていませんが)との違いを定義するのか、なぜ即興的に生まれる協働・共創造的な遊びが大切だと考えるのか…。使い古され、故に多様な解釈が存在する「遊び」という概念を自分なりに捉え直した2年間は、現在の実践観の礎となっています。そんな2年間で特に私に影響を与えた本がこちら。

○ボストン変化プロセス研究会『解釈を越えて―サイコセラピーにおける治療的変化プロセス』岩崎学術出版社、2011年

私が抱く遊びについて指導教授に伝えたところ「こんな本があるけど、よかったら読んでみて!」と紹介していただいたのがこちらの本でした。クライアントの困難の根源を「知って」おり(過去の経験や「無意識」「リビドー」など)言語的な解釈を以て治療するセラピストと、一方的に治療を受ける立場であるクライアントという関係性。私は臨床心理専門ではないため、これを「こども-大人」との関わりに置き換えて解釈しました(「知っている大人-知らないこども」「教える大人-教わるこども」「成熟した大人-未熟なこども」など)。こうした関係の構図や「言語的な解釈こそが治療効果を持つ」という従来の価値観を越えて、不確かさや可謬性を孕みながら、瞬間瞬間の連なりを共構築していくプロセスに光を当て治療効果を見いだそうとする研究は、私がイメージしていた遊び観と響き合い、グッと考えを深めることとなりました。なお、この本の翻訳をされている丸田俊彦先生の文献や、ダニエル・スターンの「情動調律」「生気」論についての文献もおすすめです。

〇ジャック・アンリオ『遊び―遊ぶ主体の現象学へ』白水社、2000年

プレーパークの説明会の帰り、たまたま立ち寄った古本屋で出会ったのがこちらの本でした。修論ではアンリオの理論に基づき、社会的・客観的に「遊びである」と認識される「構造的遊び」、客観的に観察可能な次元での「行為的遊び」、そして遊び手自身の内面の働きを外界へと投企する「実存的遊び」という3段階に区分しました。しばしば「構造的遊び」や「行為的遊び」といった目に見える次元(パッケージや行為)だけを捉えて「遊び」と解釈してしまいがちです。しかし、アンリオの「実存的遊び」観、すなわち自己存在の中核である「わたし《Je》」が、次の瞬間そうありたい自身の姿としての「自分《Je》」を投企するという「主態観」(主体ではなく)と出会ったことにより、「確かに『構造的遊び』のレベルではドッジボールをしており、確かに『行為的遊び』のレベルでは相手チームからのボールを避け、相手に向かってボールを投げている。けれどその実、『もし抜けたら、一生同じ遊びには入れないからな!』という脅し文句に怯えながら、全然楽しそうではないことが表情や声のトーン、動きの間などの『生気』を介して伝わってくる」という状況に対して、「果たしてこれは『遊び』『遊んでいる』と言えるのか」というモヤモヤに対して理論的に自分なりの答えを見出すことができるようになりました。なお、現在私自身は中核的な自己を前提とした人間観というよりも、社会構成主義を提唱するケネス・J・ガーゲンが『関係からはじまる』(ナカニシヤ出版、2020年)で述べている「存在 being」という人間観、すなわち「分詞か名詞か動名詞かが曖昧で、境界をもつ個体というイメージ」を覆し、「現在から未来(生成・なることbeing)へ過去を引き連れて進むという動き」を持つ、協働・共創造に開かれた人間観を抱いています。

〇岡田美智男『弱いロボット』医学書院、2012年

タイトルに惹きつけられて手にしたところ、私が捉えようとしていた遊び観との重なりを感じ、岡田先生のコミュニケーション論に魅せられました。「サイモンの蟻」の話や「アフォーダンス」という概念に出会い、上記の『解釈を越えて』などに書かれている理論と結び付けて考えたことを覚えています。また、少し視点がズレてしまいますが、私の「遊びの活性化因子」観(おもちゃに限らず、遊びの触媒となるもの全般)にも影響を与えた一冊です。私は学生時代6年間おもちゃ売り場でアルバイトをしてきましたが、市場に出回るおもちゃが「遊び方」まで完成され過ぎており、こどもたちの遊び(アンリオ理論から考えた「実存的遊び」の部分)が入り込む余地がないことにモヤモヤしていました。そのような折にこの本と出会い、何等かの誘引性を持ちながらも未知・余地を含みそれ単体では完結されていないものの大切さについて考えるとともに、それによって引き出される遊び手の”遊び”(能動とも受動ともいえない「中動」という概念と繋がるように思います)を捉えるという視点を持つことができました。

小学校教諭時代

私は大学院を修了し、小学校の特別支援学級にて1年間介助員として働いた後、小学校教諭として2年間働きました。1年目は2年生、2年目は特別支援学級を担任。わからないことだらけで悩み苦しんだこともありましたが、その中でこどもたちや先生方に支えていただきながら少しずつ自分らしい実践を模索していった経験は今の自分にとって大きな力になっています。また、学生時代から抱いていた「サードプレイス的な場でこどもたちと関わりたい」という思いを捨てきれず、長期休み期間などを利用して、保育やオルタナティブ教育などの現場やシンポジウム等に積極的に参加した時期でもありました。揺れ動きながら進んでいった当時の私に、特に影響を与えた本がこちらです。

〇森眞理『レッジョ・エミリアからのおくりもの―子どもが真ん中にある乳幼児教育』フレーベル館、2013年

様々な壁に直面し悩み苦しんでいた教員1年目の夏。レッジョ・エミリア市のペダゴジスタによるシンポジウムが開催されることを何かのきっかけで知り、勇気を出して申し込みました。
たくさんの学びや発見があり、その日のうちにシンポジウムの内容をブログにまとめました。このシンポジウムをきっかけにレッジョ・エミリアの哲学や実践観、こども観に興味を抱き、森眞理先生の本とも出会うことができました。レッジョ・エミリアの実践観とも深く結び付く戦前〜戦後の流れの歴史や、専制や独裁に支配される人間像を越えた対話し協働しながら社会を創り続ける市民観、ローリス・マラグッツィの人物像、「百の言葉」に代表されるような人間観、研究者・探求者であるこどもとの共同建設的な学びなどついてわかりやすくまとめられており、「いつか現地へ行ってみたい」という憧れを抱きました。この数年後、まさか本当に現地研修に参加できることになるとは、当時の私は夢にも思っていませんでした。

〇ジャンニ・ロダーリ『ファンタジーの文法―物語創作法入門』筑摩書房、1990年

レッジョ・エミリアへの興味関心の高まりと同時に、アナログゲームを使ったワークショップや身近にあるものから遊びを探すワークショップなどに参加しながら自分なりの「遊び」観を膨らませていた時期に出会ったのが、こちらのジャンニ・ロダーリの本でした。レッジョ・エミリアの実践にも深くかかわっているロダーリ。その物語観と数々の実践事例に目から鱗でした。感激のあまり、この本に出てくる「アニメーター」(魂を活性化する人)という言葉を拝借して、自分が目指したい像として描いたほど。こどもと関わる立場にある方々には、ぜひとも読んでいただきたい一冊です。

〇フィリップ・ヤノウィン『学力をのばす美術鑑賞』淡交社、2015年

私は学生時代、図工・美術教育についてほぼ知識も経験もありませんでした。しかし初任の頃、偶然職員室の回覧に興味を抱いて参加させていただいた造形教育の会との出会いがきっかけで関心が膨らみ、自分が大切にしてきた臨床教育学や遊び観と結び付けながら(1年目は図工を受け持っていなかったため)特別支援学級での図工の授業を探求しました。小学生の頃から漠然と埴輪や土偶、古代民族のデザイン・色遣いなどに惹かれ、社会人になってからも具象的な絵よりも岡本太郎や現代美術の展示を観ながら思索に耽る時間に心地よさを感じている私ですが、前述の通り図工・美術の知識・経験がないことがある種のコンプレックスでした(今もそうです。作家名や制作背景もわからなければ、素材や技法についても無知です)。そのような時に出会ったのが、こちらの本でした。「学力をのばす」というタイトルにやや引っかかりを感じますが、「美術=知識を持っていなければ触れることができないもの」というこれまでの価値観を越え、多様な解釈から対話が膨らんでいくという”動き”のある鑑賞があるのだと驚きました。この本に影響を受け、特別支援学級で対話型鑑賞的な実践をしてみたところ、こどもたちは1枚の絵から想像を膨らませて45分間の授業時間では足りないほど語り合い、その姿に感動しました。「観る」という行為は静的なものではなく、むしろ動的で対話に開かれたものであることを学ぶことができたような、そんな一冊です。

NPO学童保育時代

悩みや困難もありましたが、2年間の教員生活の中で、少しずつ学校現場で働くことのやりがいを感じることができました。それと同時に、20代半ばを過ぎて自分の人生について考え始めた時期でもあり、「学生時代から抱いてきた思いを実現させたい」という思いも強まりました。そこで、2年目を終えたところで小学校教諭を退職し、都内のNPO学童保育で働かせていただくという道を選びました。学童保育では「子どもの権利」について深く考え、遊びについてもアナログゲーム等を探求しながらこどもたちと楽しむことができました。現在は違う職場に移りましたが、今でもこの学童保育の先生方と繋がらせていただいており、先日はイエナ・プランとレッジョ・エミリアについてのオンライン対談会を開催。学生時代の夢や目標に近付いた1年間で、素敵な方々や素敵な本たちと出会うことができました。

〇ロイス・ホルツマン『遊ぶヴィゴツキー』新曜社、2014年

厳密に言うと、この本と出会ったのは小学校教諭時代でした。「遊ぶ」というタイトルに惹かれて購入したところ、ホルツマンが描く未知のものを真ん中にした協働・共創造的な発達観にすっかり夢中になりました。教育学を研究されている方と読書会をし、私が知らないことを教えていただきながら読み進めたことは大切な思い出です。その後、学童保育で働き始めた頃にホルツマンが来日されるという情報を偶然得ることができ(レッジョといいホルツマンといい、絶妙なタイミングで巡り合った人生を変えるような出会いに感謝!)、全く知識や繋がりがないまま勢いで学会に参加しました。学会開始前は「どうしよう…周りは知らない方々ばかりだし、自分がここに居て良いのだろうか」とドギマギしていましたが、「アニメーター」に代わる肩書き?として勝手ながら使わせていただいている「Unknowability」という言葉をはじめとしたホルツマン理論との出会いや、学んだことを即興劇などで振り返るというリフレクション(それまで私自身の不勉強により初めて出会ったヴィトゲンシュタインの言葉を、怖くて観ていなかった「世にも奇妙な物語」の「ズンドコベロンチョ」を取り入れた寸劇で参加者の方々と表現したことを鮮明に記憶しています)の虜となり、気付けば3回にわたってブログにまとめるくらい充実した時間を過ごすことができました。ホルツマンの新著『「知らない」のパフォーマンスが未来を創るー知識偏重社会への警鐘』(ナカニシヤ出版、2020年)もおすすめ。

〇塚本智宏『コルチャック 子どもの権利の尊重』

こどもの権利について考えながら実践させていただく機会をいただいたNPO学童保育時代。増山先生の本を学生時代に読んだことを思い返しながら、いくつか文献を購入しました。その中の一冊がこちら。1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」に大きな影響を与えたコルチャックの思想。「子どもの死に対する権利」「今日という日に対する子どもの権利」「子どもがあるがままでいる権利」という権利観に感動しました。また、「子どもの権利条約」を理解する上で『子どもによる子どものための「子どもの権利条約」』(小口尚子・福岡鮎美 著、小学館、1995年)もおすすめの一冊です。一緒にこどもの権利について考えていた別校舎の先生がこの本をこどもたちに共有したことで豊かな展開が生まれたことをブログにまとめました。この本をきっかけに、こどもたちが/こどもたちと権利について考える実践も展開できそうだなぁと思っています。

〇ダニエル・ピンク『ハイコンセプト 「新しいこと」を考え出す人の時代』三笠書房、2006年

レッジョ・インスパイアドの園で働くペダゴジスタの方が来日された際、この本について言及されていたことがきっかけで購入した一冊です。予め「正解」があり、その知識を詰め込みアウトプットすれば良いという時代は過ぎ去り、これからは「ハイコンセプト」と「ハイタッチ」が重要であると説くダニエル・ピンクの主張に共感。「機能」だけでなく「デザイン」、「議論」よりも「物語」、「個別」よりも「全体の調和(シンフォニー)」、「論理」ではなく「共感」、「まじめ」だけでなく「遊び心」、「モノ」よりも「生きがい」という視点はきっとビジネス的な観点だけでなく、保育・教育実践を考える上でも大切だと思います。

コミュニティー・スペース、学童保育時代

NPO学童保育退職後は、埼玉県の法人にてコミュニティー・スペースと学童保育を兼務させていただきました。これまでは「こども 対 私」という閉ざされた関係性を暗黙の裡に想定した上で理論や実践について考えていました。しかし、コミュニティー・スペースで様々な方々と協働して活動を共創造していく中で、「教える-教わる」という一方向的な関係性を越えた、より多様でダイナミックかつ協働・共創造的な学びや育ちの在り方について考えるようになりました。また、在職中に念願のレッジョ・エミリア研修へ行かせていただいたことも、私の価値観を深める重要な経験となりました。

〇ケネス・J・ガーゲン『あなたへの社会構成主義』ナカニシヤ出版、2004年

〇ケネス・J・ガーゲン『関係からはじまる―社会構成主義がひらく人間観』ナカニシヤ出版、2020年

コミュニティー・スペースの実践をしていく中でケネス・J・ガーゲンの社会構成主義に出会い、大きな影響を受けました。どちらも厚めの本ですが、人々の協働・共創造を考える手掛かりとなる一冊です。入門としては『現実はいつも対話から生まれる』(ケネス・J・ガーゲン、メアリー・ガーゲン、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2018年)もおすすめ。『あなたへの社会構成主義』では、特に「対立し合う人々が、まだどちらの側にも実現されていない『現実』の未来図に加わる瞬間―対話における想像的な瞬間―」の必要性について書かれた部分を、最近よく引用させていただいています。また、ガーゲンの新著である『関係からはじまる』と出会ったことで、それまで抱いていた中核的な「自己」を想定した発達観・教育観から、より協働・共創造に開かれた「存在」という捉え方に基づく発達観・教育観への転換が私の中で生まれました。

〇ミッチェル・レズニック『ライフロング・キンダーガーテン―創造的思考力を育む4つの原則』日経BP社、2018年

私はプログラミングに疎いのですが、こどもたちが様々な素材や機械を使ってものづくりをする場を見学させていただいたことで、何かをつくるという営みが持つ可能性を感じるようになりました。そのような時に出会ったのがレズニックの本でした。いわゆる「早期教育」「先取り教育」的な風潮に対して、レズニックは幼稚園生たちが遊びの中で自然と展開させている創造的なプロセスに光を当てながら理論や実践を展開しています。「大事な点は、子供たちがどのテクノロジーを使用しているのかではなく、子供たちがそれを使って何をやっているかです。新しいテクノロジーの中には、創造的思考を育むものもあれば、それを阻害するものもあります。これは古いテクノロジーでも同じことです。ハイテク、ローテク、ノーテクのいずれかを選ぶのではなく、親と先生たちは創造的思考や創造的表現に子供たちを関わらせるアクティビティを探していかなければなりません」というレズニックの主張は、ぜひたくさんの大人たちに伝えたいですし、私自身も大切にしていきたいです。また、この本の中で引用されている「遊び場」と「ベビーサークル」の議論について、以前こちらの記事で考察しました。
ともすればレズニックが批判していたような方向で導入されてしまっている印象を受けてしまう「プログラミング」。そうではなく、遊びや協働・共創造、その1つの表れであり場であり思考であるというプログラミング観を抱くことができる一冊です。

〇カルラ・リナルディ『レッジョ・エミリアと対話しながら―知の紡ぎ手たちの町と学校』ミネルヴァ書房、2019年

レッジョ・エミリアは「メソッド」や「How to」では決してありません(そもそも市の名前です)。しかし、「アート」「プロジェクト」などの目に見えやすい部分だけが伝わってしまったり、漠然と「”良い”教育」「”こども主体”の教育」というイメージ(そして、その裏返しの批判や的外れ?な指摘…「日本は文化が違うから無理」「”自由”だと”ワガママ”になる。ある程度の”規律”が必要」などなど)を抱かれてしまったりすることに対して、現地研修後モヤモヤしていました。そんなモヤモヤを晴らしてくれたのが、この本です。ボリュームがありますが、里見 実先生の和訳がとても心に響き、スッと内容が入ってきます。何等かの権威ある「メソッド」を絶対視してそれを信奉するような教育(=独裁・専制によって支配されるこども・教育者像)を否定し、未知のプロセスを協働で探求し続ける生成変化の”動き”としての教育実践を生み出し、その中で生まれた実践の営みやホットな瞬間を捉えるための実践言語・概念・方法論を創造し続けるレッジョ・エミリアのアプローチ。これは、ファシズムに対するレジスタンス運動を行ない、戦後も壊滅的な状況から市民たちの協働によって未知の教育を創造した市の歴史とも重なります。ぜひともたくさんの方に読んでいただきたいですし、私も一緒に活動する仲間たちと読書会などできたらなぁと思っています。

まとめ

以上、長くなってしまいましたが、私の人生に影響を与えた本を厳選して紹介しました。振り返ってみると、学生~社会人になってからの歩みは本とともにあったと言っても過言ではないのだなぁと感じます。「臨床教育学」「レッジョ・エミリア」「社会構成主義」「遊び」「間主観」「協働・共創造」「未知」「不確かさ」「中動」あたりがテーマになるでしょうか。

これからも様々な経験とともに、たくさんの本と出会うことでしょう。そして、本との対話を通して新たな考えや実践を協働・共創造していくのだと思います。これから踏み出す一歩。そのプロセスで新たにどのような本との出会いがあるのか、とても楽しみです。

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