太陽の塔と国立民族学博物館
明日から京都で行なわれる学会に参加するため、ひと足早く関西に来ています。今日は初めて大阪の地に足を踏み入れ、念願の「太陽の塔」と国立民族学博物館を訪れました。
念願の「太陽の塔」へ!
私は小学6年生の歴史の授業で縄文時代〜古墳時代について学んで以来、土偶や埴輪などの類が大大大好きになりました。そのため、岡本太郎さんの作品に惹かれるのは、もはや必然としか言いようがありません。10年ほど前から美術館を訪れるようになったきっかけも岡本太郎さんの作品に出会えたから。作品が放つ圧倒的なエネルギーは、やはり直接出逢うからこそ味わえることを知り、興味深い企画展を見つけたら必ず足を運ぶようにしています。
都内に住んでいる私はなかなか関西を訪れる機会がなく、でもいつかは絶対に直接「太陽の塔」を生で見たいと思っていたため、今日がやって来ることを子どものようにわくわくしながら待ち侘びていました。午前中に京都へ着く新幹線に乗り、昼過ぎにとうとう「太陽の塔」にご対面することができました‼️
チケットを購入すれば「太陽の塔」の中にも入ることができるとのことだったため、当日券を買って塔の内部へ。ちなみに内部は1階部分のみ撮影が可能となっています。
中に入ると「地底の太陽」と、巨大なみみずく土偶をはじめとした様々な神像たちがお出迎え。大好き過ぎる雰囲気の展示に、この時点で既に大興奮でした!
「地底の太陽」にはプロジェクションマッピングが投影され、様々な表情が浮かび上がります。時に艶やかに、時にグロテスクな表情を見ながら躍動する「太陽」は、まさに「生」そのもの。しばらく作品の前で心地良い思索に耽っていました。
順路に沿って進むと「生命の樹」があるエリアへと辿り着きます。
1階の微生物たちに始まり、階段を登るにつれて進化の過程を体感できる展示構成。様々な生物を模った像に加え、光や音などの演出がその世界観を創り上げます。
人類が登場するのは「太陽の塔」の両腕部分の高さまで到達したあたり。螺旋階段では辿り着けない天井部分からは、太陽を表したと思われる光が降り注いでいました。
世界各国の最先端技術が集結する万博。そのような場において、技術革新がもたらす明るい未来を無批判的に喜ぶのではなく、むしろ批判的に捉え、より根源的な「生命」や「祈り」に目を向けることの大切さを世界中の人々に投げかけた太郎さん。作品の偉大さのみならず、かつての支配的な社会的価値観に対して「ノン」を突き付け、ある種のスパークを人々の中に生み出すきっかけを作った点で偉大な方だなぁと改めて感じました。
いざ、みんぱくへ!
「太陽の塔」の興奮冷めやらぬまま、国立民族学博物館へ。ネイティブアメリカンの間で信仰されているカチナという精霊が好きで何年か前にカチナについて調べたところ「みんぱく」のホームページに辿り着き、それ以来ずっと行きたいなぁと思っていました。建物の前にはトーテムポールが。言わずもがな大好きなデザインなので、修学旅行生たちを横目に心の中でキャーキャー叫んでいました笑
みんぱくでは常設展を観覧。広いスペースを観て回ることで、まるで世界一周旅行をしたような感覚を味わうことができました。他にも大阪や京都で行きたい場所があったため限られた時間内で急ぎ足になってしまいましたが、その分どんな国や文化に私が興味を持っているのかを再認識することができました。
その地に根付いていた文化、祈り、神々、デザイン
私が無意識的に惹かれるのは、のちに大国がもたらした宗教的価値観や「合理的」「科学的」な価値観によって周縁へと追いやられてしまった文化や、そこで生まれた表現です。これは私自身のマイノリティ性に起因するのかも知れませんが、一般的に「綺麗」「美しい」とされる造形物や強国や強者が残した「歴史」「文化」には自分でもビックリするくらい全く興味がなく、逆にマジョリティの側に位置付けられた価値観や尺度では「理解」することが難しい、もっと根源的で荒々しく、エネルギーが渦巻いているような表現を好む傾向にあるようです。
実際はわざわざ自己分析しながら展示を観ていたわけではなく、直感的に「これ、面白い!」と釘付けになり写真におさめたものを後で振り返ったら、こうした傾向が見られた…という感じです。
長々と書いても分かりにくいので、私が惹かれた展示物たちを画像とキャプションで紹介します。
そしてなんと、大阪に来て、まさかの再会が…!
ありがとう山梨!大好き山梨!やっぱり私は山梨とは切っても切り離せない運命にあるようです…!笑
…はい、盛り上がり過ぎましたね😓
日本最古の人形芝居とも言われ、国の重要無形民俗文化財に指定されているため、こうして山梨県の伝統文化が大切に展示されていることが嬉しいです。
以上、国立民族学博物館のレポートでした。
まとまらないまとめ〜何故か惹かれたトンパ文字と切貼民話のこれから〜
というわけで、終始大興奮しながら万博記念公園内をエンジョイすることができました。
様々な文化に触れ、「自分はアジアでもヨーロッパでもなく、オーストラリアや南米アメリカの先住民族の文化が好きなんだなぁ!アボリジニのドリーミングやアレブリヘに関連した文献とかないかなぁ…」と思っていたはずなのに、何故かミュージアムショップで直感的に惹かれて購入したのは、中国雲南省のナシ族の間で今もなお用いられている「トンパ文字」の入門書的な文献でした。
タロットカード店にてトンパ文字の占いカードが販売されており、それがきっかけでうっすらとトンパ文字について調べてはいたものの、まさかこのタイミングでピンとくるとは!もしかしたら「もじつけ」をしている影響なのか、それとも一連の展示を観る中で「未知のものと出会い、それを伝えようとする時、人々はどのように表現をするのか」という興味を抱いたからなのか…。真相は定かではありません。
いずれにせよ、「象形文字」「色を用い、同じ文字でも色が変われば意味が変わる」「読み進める向きや順番は決まっていない」という興味深過ぎる要素盛り盛りのものに出会って私がピンと来ないわけがないなぁ、これは必然だなぁと後々振り返って納得してしまいました笑
「文字で伝えることと、絵画や身体表現で伝えること、あるいは口伝で伝えること…」云々などとドリーミングのキャプションで書きましたが、そのうちの2つ(なんなら色も含めると3つ)の要素を掛け合わせているにも関わらず読み取ることができる情報が閉鎖的になるどころか、むしろ言語圏や文化圏などの差異を越えて共通理解ができる可能性を持ち、かつ多様な解釈に開かれているため誰か1人の捉え方が特権化される恐れも少ない…。実質今日初めてトンパ文字に出会ったばかりの素人ですが、非常に可能性に満ちた文字だなぁと思いました。
良くも悪くもグローバル化やマスメディアの普及が進み、表面的には多様性に満ちているように見える現代社会。けれどその実、使用する言語や用いられるツールの淘汰が進み、支配層からすればどんどん情報操作や文化統一がしやすくなっているという事態が生じている気もします。
だからこそ私は「切貼民話」というアプローチを創って地道に実践し、唯一絶対の「正解」を想定した教育観・価値観を越えていこうとチャレンジしているつもりです。ただ現状は、表現した作品に対する説明を日本語の文章で行なっており、既存の民話や物自体のイメージや性質をコラージュという技法で乗り越えつつも、最終的には「新たな民話を想像・創造する」というところに留まっているのが課題だと感じていました。要するに「唯一の『正解』はない」と言いつつ、それに代わる新たな「正解」を創っているだけに過ぎない。
けれど、トンパ文字と出会うことにより、「切貼民話の説明をトンパ文字的なものを用いて行うことにより、切貼民話作品を観てくださった方々が一方的に私の価値観を受け取るのではなく、新たなイメージを膨らませていくことができるのではないか」という考えが湧いてきました。表面的には、よりカオスで意味不明で理解されにくくなるかも知れません。でも目指すところをとことん突き詰めていきたいため、意味のあるチャレンジだなぁと思っています。
全くまとまらないまとめになってしまいましたが、岡本太郎さんの作品や世界各地の様々な文化に触れることで、たくさんのエネルギーやアイディアをいただくことができました。本当によかった‼️
長くなってしまいましたが、最後までご覧いただきありがとうございました☺️